第6話 秋の暮れに


 「新しい子が来る?」

 「ええ、あなたと同い年くらいよ」


 俺と先生は、子どもたちの世話をばあちゃんたちに任せて、教会の正門そばにあるベンチに並んで座っていた。

 秋も暮れに入り、見事だった紅葉は次第に葉を落とし始めている。

 祝日であれば少なくない人が礼拝に訪れるものだが、平日の今日はたいして人影もなく、幾つかある木製の剥げかけた白いベンチにも、俺たち以外の利用者はいなかった。


 「そんな大事なこと何で黙ってたのさ」

 「最初は断るつもりでいたのよ。でも、他に行く当ても無くてね。うちの方で預かることに決めたの。もう間もなく見えるはずよ」

 「それ、みんなはまだ知らないよね?」

 「昼食の時に話すわ。ゾルバ、手伝ってちょうだいね」

 「なんだよ、それ。こんな時ばっかり都合よく言っちゃってさあ」

 「言葉遣い」


 まったくなんだってこんな直前に……せめて朝食の時にでも言ってくれればいいのに。しかも、他の子どもたちにはその場で説明して、あとは俺に面倒を任せるつもりのようだ。

 不満だぞ、という意思を込めて睨みつけてみるも、先生は落ち葉でまばらに染まった石畳を眺めたまま、こちらを見ようともしない。

  

 「ねえ。その子さあ……なんか、あるの?」

 「……どうして?」

 「行く当てがないって言うんなら、先生、断らないでしょ。だから、なんかあるのかなって」


 先生は黙ってじっとこちらを見ている。

 この先生に限って、困っている子どもをただ拒絶しておしまい、なんてあり得ない。

 ハロルドさん含め、街の主要な人物には相談済みだろうし、養子の引き取り手だって検討したのだろう。まあ、この孤児院にこれだけの数の子どもが残っていることを考えれば、引き取り手は望み薄ではあるが……それはともかくとして。

 少なくともこれまで、新しい子が増えたときには温かな気持ちで出迎えてあげるのだと、俺達には言い聞かせていたはずだ。

 なのに今回はやけに消極的。どころか、不安げでさえある。


 「別に無理して言わなくってもいいけど」

 「……いいえ、聞いてちょうだい。ちょっと長くなるけれど」


 先生は逡巡するように何度か口を動かした後、やがてぽつぽつと俺に語り始めた。


 「その子は捨て子ではないの。ご家族の方もちゃんといるのだけれど……わけあって、しばらく別々に暮らすことになってね」

 「うちで預かってくれって?」

 「ええ、そうよ。どのくらいの期間かはわからないけど、少なくとも、お家の問題が解決するまではね」


 なんだろう。

 話の経緯はわかった。が、どうにも腑に落ちない。

 この街に住む者が年端もいかない子どもを手放す場合、大抵はスラム街に放逐するか、バードマン養護施設へと話を持っていく。

 そうしなかったということは、条件に見合わなかったか、その子の家がエイサス宗派ではないか、のどちらかだが――先生は『問題が解決するまでは』と言った。

 ということは、いずれ家に呼び戻すつもりがあるってことなんだろう。

 しかし、親戚や友人知人に預けるわけではなく、わざわざこの孤児院を選んで預けに来るのは何故か。

 ……どう考えても厄介ごとが待っているんだろう。


 「その問題ってのはいつ解決するの?」

 「さあ、どうでしょうね。それが明日か、明後日か、……大人になるまでには解決できるといいけど」

 

 仮に単なる家庭内不和とか育児放棄とかであれば、先生ならむしろ積極的に保護に回るだろう。あるいは怪我にしろ病気にしろ、経済的事情にしろ、先生が受け入れを拒む理由にはならないはず……。

 となれば、考えられる理由はおそらく。


 「その子、貴族なの?」

 「……どうして?」

 「まあ、なんとなく」


 先生が息を呑む。当たり、か。

 貴族の家で何らかのトラブルが起こり、その子どもが一時的にでも避難しなければならない状況にあるとすれば――確実に孤児院の方にも面倒が降りかかってくるだろうな。

 

 「俺、貴族ってハロルドさんしか知らないんだけど。その子の家は違うんだ?」

 「……ええ、ハロルドのところとは違うわ。もっと、ずっと、位の高いお家よ」

 「ふーん……。先生ってさ、もしかして貴族が嫌いなの?」

 「そうじゃないわ。ただ、貴族にもいろいろな方がいらっしゃるから」


 先生は明言を避けたが、眉間に刻まれた深い皺が、その内心を物語っていた。

 この国の身分制度はかなり根深くて、政治はもちろん軍事、医療、商業に至るまで、あらゆるところに階級による差別が存在する。当然、宗教もその限りではない。

 もちろん先生が言ったように、身分でものごとを考えるべきではないとする思想派も一定数いるが、現状は選民意識の強い貴族が幅を利かせている。

 ハロルドさんのように平民の孤児にも優しくしてくれる貴族なんて、滅多にいないのだ。


 先生も平民の生まれだから、この国の負の側面をたくさん見てきたんだろう。

 吹き抜ける秋風が、冷たく吹き付けてくる。

 俯く先生の横顔は、少し、泣いているようにも見えた。


 「先生はさ、その子と会ったことあるの?」

 「え……? い、いいえ、無いわ。今日が初めてよ」

 「ふーん。どんな子かな? 男? それとも女?」

 「女の子よ。どんな子かは……ちょっと、わからないけれど……」

 「まあ、会ってみればわかるか。それより先生、今日はその子の歓迎会やるんでしょ? 晩御飯ちょっと豪華にしたりしないの? 塊のお肉とかさ!」

 「そういうのは出せないけれど……そうね。果実水くらいなら出せるかもしれないわね」

 「よし、決まり! あいつら喜ぶぞ~。ねえ先生、ひとり何杯までおかわり自由?」

 「ひとり一杯までです。贅沢は禁物よ」

 「ちぇー、ケチ」

 「言葉遣い」

 「はーい。あ、そうそう、折角だから大風呂沸かそうよ! 前に入ったのってサラの誕生日のとき以来だから、久しぶりにさあ――」


 くだらないことを言って、お茶を濁す。

 結局、俺に出来ることなんてこの程度だ。

 前世の記憶があったって、体は五歳の子どもで。何の力も持っていないのだ。

 何もしてあげられないのだ。


 「ねえ、先生。俺さ……その子とうまくやっていけるかな?」

 「……もちろん。あなたは優しい子だもの。心配は要らないわ」

 「そっか。あー、早く来ないかなー! これ以上待ってたら石になっちゃうよー!」

 「焦らなくてもすぐ見えるわよ。ほら、足をバタバタしないの。お行儀の悪い」


 だから、せいいっぱい笑おう。

 先生が笑えないのなら、代わりに俺が先生の分まで笑おう。


 今はまだそれでいい。

 それしか、出来ない。


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