第3話 魔法と若旦那


 生まれ変わる前の世界には、魔法なんてものは存在しなかった。

 いや、実はあったのかもしれないけれど、少なくとも俺は知らなかった。

 科学技術を発達させ、人類が文明を築いてきた前世では 魔法などというオカルトで非科学的な事象は一切観測されず、物語の中だけの空想の産物として認識されていたと思う。

 魔法だけでなく、龍や妖精、妖怪、幽霊なんかのスピリチュアルでミステリアスな生物もいなかった。

 神という存在については、世界中で数多く様々な形で信仰されていたけれども、実際に見たという人を俺は知らないし、本当に神の声を聴いた、神の代弁者だ、なんて嘯くやつはたいてい嘘つきだったり、自覚的にしろ無自覚的にしろ周囲に悪意や迷惑を振りまくような人種だったりして、これもまた信憑性を下げる要因になったりしていた。

 まぁ、信仰心を否定はしないし、歴史上数えきれないほどの人が心の支えとして救われてきたのだろうけど、少なくとも俺や俺の周囲に幸福をもたらしてくれるものではなかった。


 しかし、この世界には確かに神さまがいて、俺たちを見守っているのだという。

 俺たちのいるハーグ孤児院、そこに連なるメーテル教会は当然メーテル様を信仰しており、俺も先生に連れられて何度もミサに参加し、祈りを捧げた。

 なんなら教会の一員として神事の手伝いに回ったこともある。


 そして、確かに神さまはいらっしゃった。

 ヒトの営み、地上の世界に干渉することは滅多に無く、”喜びも悲しみも幸福も苦痛も、すべて大地に生きるヒトたちのもの。だからこそ手を取り合い、悪に克ちより善く生きるべく歩んでいくのを見守っている”というのがこの世界の神の在り方のようだ。


 どうして俺が前世の、しかも異世界らしきところから生まれ変わった記憶を得たのかはわからない。

 でも、おかげで俺は先生を助け、子どもたちのために生きるという道を選ぶことができた。

 あのままの幼い俺で居たら、きっと今この時の平穏はなかったと思う。先生を喪った孤児院は教会から解体され、俺たちは散り散りになって野垂れ死んでいただろうから。

 前世では神さまなんてろくに信じちゃいなかったが、今では俺も立派なメーテル信者である。

 ありがとうございます、神さま。


 さて、そういうわけでこの世界には神さまもいらっしゃるし、魔法なるモノもあって、技術として確立され、生活に根差している。

 となれば、ぜひとも使ってみたい!

 単純に好奇心もあるし、出来ることが増えるのは大いに役立つ。この小さな身体では、出来ないことが多すぎるからな。


 そんなわけで、俺にとって魔法を覚えることは今一番関心のある事になっていた。


 「なー、いいだろ? ちょっと教えてくれるだけでいいんだって」

 「勘弁してくれよ、後でシスターにどやされんのこっちなんだぜ?」

 「そんなこと言わずにさ~、せめて魔力の使い方だけでもいいんだけどな~」

 「駄目なもんは駄目だっての!」


 俺はその日、ハロルドさんを捕まえていつものお願いをしていた。

 お願いというのはもちろん、魔法を教えてほしいというものだ。


 ハロルドさんは街の小売店の若旦那で、週に一度か二度、うちに食料品や日用品を卸しに来てくれている。

 三十半ばの独身男なのだが、孤児院の運営状況をよく理解してくれて、育児の必需品はもちろん、季節ごとに必要なものを見極めて手配してくれるし、そのうえで良心的な取引をしてくれている。子ども好きなのか面倒見もいいし、高身長・高収入と街の奥様方からの評判も良い。

 孤児院が何とか食いつないでいけているのは、この人の配慮あってのものだった。


 そんな出来る男ではあるのだが、なぜかこの人、シスターにはまったく頭が上がらない。なんでも以前世話になったとかで、シスターの言う事に絶対服従なのだ。

 その辺りのことは俺にはどうでもいいのだけれど、困るのはシスターから余計なことを吹き込まれていることと、俺の素行についてシスターに告げ口しているってところだ。


 最近シスターはますます俺に厳しくなってきていて、何をするにも口を出してくるのだ。

 ……まあ俺もシスターの立場だったら、こんな頭のおかしい子ども、要注意扱いしたくなるだろうけど。


 「とにかく、シスターから言われてるんで無理だ。坊ちゃんも、もういい加減諦めてちょうだいな」

 「だって、俺の周りで教えてくれそうなのハロルドさんだけだし」

 「もうちょっとの辛抱さ。シスターも鬼じゃないんだから、あと何年かしたら教えてくれるんじゃないか?」

 「俺は今使いたいんだってば!」


 尚も駄々をこねる俺を軽くあしらって、ハロルドさんはさっさと行ってしまった。

 ……今回も駄目だったか。もう何度目になるかわからないし、ハロルドさんに頼むのは諦めるしかなさそうだ。


 「魔法さえ使えれば、いろんなことがもっと楽になるのになあ……」


 俺は肩を落としてハロルドさんの後をとぼとぼと追いかけた。


 「……その話は本当なの? どうしてこう、悪い方へ悪い方へ進んでしまうのかしら」

 「いえ、私には何とも……ともかく、お伝えしましたので」

 「仕方ないわね。報告は受け取ったわ。御苦労さま、ハロルド」

 「は……。ん、おや坊ちゃん、来たのかい」


 今日お手伝いに来ている見習いシスターさんに挨拶してから応接室に入ると、既にハロルドさんが先生と二人で話をしていた。

 振り返った先生が、いかにも不機嫌な顔つきでこっちを睨んでくる。

 多分さっきの俺とのやり取りを話していたんだろう。奥でハロルドさんが微妙な顔をしている。


 「ゾルバ、あなたまたハロルドにちょっかいをかけていたそうね。いい加減にしなさい」

 「……わかったって。もうしないよ」

 「あれ、どうした坊ちゃん。今日はやけに聞きわけがいいんだな」

 「別に」

 「んじゃま、その話はお終いってことで。シスター、今週の納品分です。確認お願いしますね」

 「ええ、ありがとう」


 ハロルドさんは先生に目録を渡すと、大きなトランクケース型の魔法鞄を開き、中身を取り出していく。

 およそ見た目には入りきらないほどの荷物が床に並べられる。

 ハロルドさんの持つ魔法鞄は、見た目の十倍の容量を誇る業務用の特注品らしい。

 いつ見ても不思議だ。質量保存とか関係ないのかな。ないんだろうな。


 「このところの麦の不作に加えて、国王陛下御成婚の式典が近いこともあって、物価が上がってましてね。全体的な品薄が続いてるせいで、こちらへ融通できる分も厳しくなってきていまして……。シスターには申し訳ありません」

 「なんでハロルドさんが謝るのさ! ハロルドさんが悪いわけじゃないでしょ?」

 「そうね。必要最低限の分は取り置きしてくれているし、いつも助かっているわ」

 「……そう言っていただけると」


 先生は目録にサインすると、代金の入った袋とともにハロルドさんに手渡す。

 それを丁寧に確認すると、金貨だけを抜いて袋を先生に返した。


 「毎度、どうも。そんじゃ荷物を置いたら、今日は失礼します。この後ちょっと立て込んでるもんで」

 「え、遊んで行かないの? あいつらも今日はハロルドさんが来るって楽しみにしてんのに」

 「ゾルバ、ハロルドを困らせないの。……悪いけどお願いね、ハロルド」

 「いつも言ってますけど、ほんと気にしないでくださいよ。私もシスターのお役に立てて光栄っすから」

 

 ハロルドさんは立ち上がって、重いものから順に運び込んでいく。

 先生は俺に大人しくしてなさいね、と言って新しい粉ミルクの袋を持って台所へ向かった。

 そういえば、そろそろお昼か。これが終わったらあいつら呼びに行かないとな。


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