月の前の灯
三鹿ショート
月の前の灯
彼女には、欠点というものが存在していない。
文武両道に秀で、容姿端麗であり、温厚篤実ゆえに、彼女は多くの人間から好かれていた。
性質の悪い人間たちは彼女のことを嫌っているらしいが、それは優秀な彼女に対する嫉妬によるものだろう。
では、私はどのような感情を抱いているのか。
私は彼女と肩を並べるほどではないが、優秀な人間であることは間違いない。
同時に、性質の悪い人間たちのように、厄介者ではない。
それでも私は、彼女のことを嫌っていた。
その理由は、単純である。
彼女が存在している限り、私は二番目の人間と化すからだった。
***
地元において、私よりも優れている人間は存在していなかった。
そのため、私は周囲から常に尊敬の眼差しを向けられており、心地よい時間を過ごすことができていた。
だが、進学先で彼女と出会ったことで、状況は一変した。
学業成績のみならば、私と彼女の差異はそれほど大きなものではないのだが、人間性や身体能力、外見などといったあらゆる点において、私は敗北していたのである。
他の人間たちからすれば、自分よりも優れている人間が数多く存在しているために気になることはないだろうが、私の眼前には、常に同じ人間が立ち塞がっているのだ。
どのような行動をしたところで、その壁を破壊することも、乗り越えることもできない。
その人間に勝利する姿を想像することができないことが、私を苛立たせていた。
だからこそ、私は彼女のことを嫌っていたのである。
彼女に罪は無いが、私にとってはその優秀さが、何よりも罪深かったのだ。
***
全ての生徒が帰宅しなければならない時間になったため、勉強のために使っていた図書室を出た。
そのまま学校を出ようとしたところで、私は彼女の姿を目にした。
生徒は帰宅するべきなのだが、彼女は校門ではなく、階上へと向かっていた。
常ならばそれほど気にすることはなかったが、彼女の表情が嬉しそうなものだったために、私は思わず跡を追った。
しかし、最上階の廊下は、無人だった。
何処かの教室に入ったのかと思い、私は教室を一つずつ見ていくことにした。
やがて、私は彼女を見つけることができたのだが、其処にいたのは、彼女だけではなかった。
彼女は、とある男性教師と愛し合っていたのである。
周囲から優等生と評価され、欠点など存在していないと思われていた彼女のその行動を、私は信ずることができなかった。
だが、どれほど見たところで、彼女が家庭のある教師と愛し合っている光景が変わることはなかった。
***
自宅に戻った私は、彼女の乱れる姿を思い出していたが、それは汚れた欲望のためではない。
露見すれば全てを失うことになるような行為に、何故彼女が及んでいたのかという疑問を抱いていたためだ。
優等生であることに疲れ、自棄になってしまったのか。
もしくは、彼女の真の姿は誰もが目にしているものではなく、実際は欲望に塗れた、誰よりも人間らしい人間だったのか。
あらゆる可能性を想像するが、彼女の行動を止めようと考えることはなかった。
彼女が望んでいる行為ならば、それを止める権利は、誰にも無いためである。
私は其処で立ち止まり、これまでの生活に戻ることを決めた。
この件を利用し、彼女を頂点から引きずり下ろそうなどとは、考えなかった。
家庭のある教師との関係について口外しないことを条件にすれば、彼女は私の要望に応えるだろう。
学業成績だけでも私を頂点に立たせてほしいと伝えれば、彼女は次回の考査について、手を抜いてくれることは間違いない。
しかし、それでは本当に勝利したことにはならない。
己の実力のみで挑み、相手を上回るからこそ達成感を味わうことができるのであり、卑怯な手を使って勝ったところで、嬉しくも何ともないのだ。
私は彼女よりもあらゆる点で劣っているが、性根が悪いわけではないのである。
だからこそ、私は彼女と教師の件について、他者に語ることは考えなかったのだ。
***
結局、私が彼女に勝利することができたことは、一度も無かった。
悔しさを抱きながら学生という身分を失ったものの、私は即座に、その感情を消した。
何故なら、彼女のように優秀な人間は何処にでも存在しており、それら全ての人間に勝利することなど不可能だということに気が付いたからである。
ゆえに、教師との関係を口外しない代わりに、彼女と関係を持っておいた方が良かったのではないかと後悔することになった。
だが、同時に、そのような行為に及ばなかった自分を褒めたいとも思った。
他者の弱みにつけ込んでうまい汁を吸うことは、愚行以外の何物でもない。
やはり、何においても、己の力で勝ち取ることが重要なのである。
もしかすると、このような思考こそ、私が彼女に勝利している唯一のものなのではないだろうか。
月の前の灯 三鹿ショート @mijikashort
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