第10話 脳筋がぶっ飛んだお嬢様を味方につける話




 ──2020年8月15日、東京中野区の通学路。


 今日も今日とて暑さにグッタリ風味の愛犬を引き連れて、妹と一緒にぶい⭐︎ちゅう部の部室ユニットハウスがある母校とへと向かう。

 その足取りは軽く、真夏の猛烈な日差しもまったく気にならない。

 淳司がわたしのキャラクターを用意してくれた動画を投稿してから二日ほど経ったが、そちらの反響がとても大きなものだったことがわたしをそうさせるのだ。

 動画の再生数も前回の3倍以上と格段に伸び、付けられたコメントもより具体的にぶい⭐︎ちゅう部の活動を応援するものが増えたのは嬉しいところ。

 ここまでバズった要因は、もちろん玲央ちゃんたちがぶい⭐︎ちゅう部の動画を紹介してくれたのもあるだろうけども……個人的に妹の働きも大きいのかな、とスマホを眺める。

 うん、以前はわたし個人のアカウントから「そのうちぶい⭐︎ちゅう部の動画を投稿するよ」としか告知しなかったからね。

 なんのこっちゃと首をひねる人が多発したけど……今回は妹が運営用のアカウントを取得して、ぶい⭐︎ちゅう部の発足した経緯から活動理念まで分かりやすく説明してくれて、こまめに動画の進捗状況を報告した上で正式に告知してくれたから、一目でファンの理解度が違うなって驚かされたよ。

 ともあれ、Togetherのリプライに他国の言語が増えていることを考えても、わたしが本気でVTuberになろうとしていることはより広く知られるようになったと見るべきだ。

 もしかしたらそのうちTV局から取材の打診が来るかもしれない。そうなったらぶい⭐︎ちゅう部のみんなだけじゃなく、玲央ちゃんたちエルミタージュのVTuberも宣伝して恩返しをしようと息を巻いたら「ちょっとお姉ちゃん」って妹に運動着ジャージの袖を引かれた。


「なぁに沙耶?」

「ほらあれ、お客さん……また校門の前で待ってるよ」

「あ、ホントだ」


 ヒソヒソと耳打ちしてきた妹が視線を向けた先には、なんと三人もお客さんが。

 一人は金髪の縦巻きドリルが特徴的なフランス風味なお嬢様で、その背後には渋くて威厳のあるダンディーなおじさまと、鋭い目つきをした美人のメイドさんが控えている。

 三人とも友好的な笑みこそ浮かべていたがその物腰には隙がなく、微かにこちらを注視するメイドさんがわたしの出方を警戒するように目を細めたが……この三人、なかなかの腕前と見た。


「三匹とも待て。……ちょっと時間が掛かるかもしれないから、沙耶はガイアたちをお願いね」

「はいはい。お姉ちゃんもできれば穏便にね」


 わたしの掲げる最強に異議を唱える格闘家の挑戦もこれで何度目か。当初は面食らってた妹も今では慣れたものだ。

 年齢も性別も異なる三名からなる異国の達人たちの静かな闘気に応えて右足を踏み込むと、扇子のようなアイテムで顔の下半分を隠したお嬢様がその手を下げ、優雅な微笑みを刻んだ口元をゆっくりと開くのだった。


「ご機嫌よう。お久しぶりですわね、梨花さん。腑抜けてないか心配でしたが、この様子なら平気そうかしら……?」


 だが、その口から出たのはまるで旧知の間柄であるかのような挨拶……わたしは思わず首をひねった。


「お姉ちゃん知り合い?」

「ううん、これっぽっちも記憶にない」

「憶えておりませんのっ!?」


 本当に欠片も脳内の検索に引っ掛からなかったので否定すると、いっけん優雅なお嬢様はムキーッと憤慨して地団駄を踏んだ。

 そしてハァハァと深呼吸するや、フンッと金髪ドリルを跳ね上げ高らかに宣言するのだ。


「まったくなんて無礼なのかしら? ワタクシの名はアンジェリーヌ・オリオール! 欧州の名門貴族オリオール家の娘にして、梨花さんと金メダルを争ったフランスの女子柔道代表ですわよ!!」


 イマイチ話についていけず流暢な日本語とリアクションの派手さに目の行きがちだったわたしでも、流石にここまで具体的に言及してもらえれば埋もれていた記憶が覚醒する。


「あっ、思い出した! イライザ・オークリーだっけ? うん、久しぶりだね」

「そうそう……って違いますわよねっ!? そっちは男女混交団体! ワタクシは女子超軽量級で金メダルを争ったアンジェリーヌ・オリオールですわ!!」

「そうだったんだ? ごめんね、間違えちゃった」


 いやぁ、失敬失敗と謝罪するがこれに関してはわたしにも言い分がある。

 だってこのノリツッコミだよ? 芸人さんの知り合いなんて居たかなって、一瞬記憶が錯乱するのも無理はないと思うんだ。


「姉が失礼しました。……ところでアンジェリーヌさんのご用件をお伺いしても?」

「もしかして再戦の申し込みかな?」


 なんてやってたら一向に進まない話に業を煮やしたのか、愛犬のリードを預けた妹がこちらに来てアンジェリーヌに尋ねたので嬉々として確認すると「お姉ちゃんは黙ってて?」ってすごい眼で睨まれるのだった。


再戦ソレもたしかに魅力的だけれども……」


 だが、さすがはわたしと金メダルを争ったという武闘派の娘だろうか?

 アンジェリーヌは歯を剥き出しにして笑った口元を扇子のようなもので隠すと、しかしわたしの闘気に応えることなくゆっくりと首を振るのだった。


「誤解のないように言っておきますが……ワタクシ、あの敗北には納得しておりますの」


 そして静かに目を伏せた彼女は、まるで過去を懐かしむかのように切々と語り出した。


「一瞬の事でしたけれども、梨花さんの動きはまるで閃光のように記憶に焼き付いていますわ。……まさに完璧ッ! 十分に警戒していたはずのワタクシの気付かぬうちに懐へと潜り込み、万物を巻き込む竜巻のような山嵐はまさに芸術の一言ッ! そして見事に柔よく剛を制するの精神を体現して、あのイライザ・オークリーを宙に舞わせたときは……ワタクシも観客の一人として喝采を叫びましたわ!! そうよ、あの日ワタクシは柔の頂点を垣間見ましたのよッッ!?」


 そこで言葉を切って体の震えを鎮めた彼女は大きく息を吐き、最後に自身の心境をこう締め括った。


「よって梨花さんとの再戦は、最低でもあの頂きに挑めるほどの修練を積んでからになりますわね。……そうでなければ梨花さんも退屈でしょうし、貴女に失礼というものですわ」


 ……ここまで静聴したわたしの感想は「なんかすごいな、この子」であった。

 常時発動型のチートで無双しているわたしが言うものなんだが、自分の敗北をここまで素直に受け止めるのは生半可なことじゃないと思う。

 特にわたしのように年下で、身長も147センチと小柄な女子に投げ飛ばされた相手は「今のは何かの間違いだ」とでも言い出しそうな顔で食い下がってきたり、しつこく再戦を希望してきたりしたものだ。


「そうですよね。同じ負けるにしても負け方ってものがありますよね」

「そうですわね。ワタクシもあの敗戦以来プライドを保つのに必死で……って何を言わせるおつもりッ!?」


 それとこのノリツッコミと芸人体質……これはハッキリと逸材ではなかろうか?


「まあまあ、アンジェリーヌがわたしに仕返しをするために待ち構えてたんじゃないのは分かったからさ。……でもそれならなんで校門の前で待ち構えてたの?」

「それですわ! 表彰後のインタビューを聞いたときはなんのことか判りませんでしたけれども、VTuberってなんですのっ!? ぶい⭐︎ちゅう部とやらの動画も拝見したけれど何の事かサッパリ……それでこのままでは埒が明かないと思って貴女に直接聞きに来ましたのよ!!」


 しかも本人の意向たるや、わたしの話を聞きたくって堪らないというもの。

 ……ならばたっぷり聞かせてあげようじゃないか。

 わたしの野望を。そしてVTuberやエルミタージュ……特にリオ&レオの魅力をたっぷりとね。


「そういうことなら部室に行こっか? すぐ近くだし、そっちのほうが涼しいしね。もちろんお茶も出すよ」

「そうですわね……。どちらにしろ立ったまま済ませる話ではありませんし、ここは貴女の好意に甘えさせてもらいますわ」


 今後の展開が読めたのだろうか? 会話の流れに隣の妹がため息をつき、使用人のお二人は微かに警戒する様子も見せたがアンジェリーヌは乗り気であり、わたしはしめしめとほくそ笑むのだった……。




「というワケで新しい仲間を紹介するよ! わたしとオリンピックで闘ったフランスのアンジェリーヌ・オリオールさんね。今日からこっちで暮らすことになったからみんな仲良くしてね?」

「ご紹介に与りましたアンジェリーヌ・オリオールと申します。実家は歴とした貴族ですけど、皆様にはどうか身分の差など気にせず接していただけると嬉しいですわ」


 さっそく言いくるめて一階の休憩室で緑茶とお煎餅を堪能するアンジェリーヌを部員のみんなに紹介すると、なつきさんが「これは予想不可能」と珍しく頭の痛みを堪えるような表情になった。


「アッハッハッ! 相変わらず梨花のすることは面白くて仕方ねぇな!!」

「類が友を呼びやがったぉ」

「そして朱に交わってますます赤くなるんですね、分かります」

「おい、お前ら失礼だぞ」


 しかし渋い顔になったなつきさんもこの件に反対までする気はないらしく、その他の部員もアンジェリーヌの入部に拒否反応は見せなかった。


「失礼ながらしばしお待ちを。お嬢様の意向は了解しましたが、母国を離れるとなると旦那様の許可が……」

「お黙りセバス。ワタクシの決めたことにはお父様と言えども口出しはさせません! このまま日本で暮らせば梨花さんと共に切磋琢磨して、プライベートや趣味まで共有できる……そんな機会を逃す手はなくってよ? ワタクシもこの学校に通うからベアトリスは直ちに転校の届け出を」

「お言葉ですがお嬢様。すでに中等部を卒業して、秋から飛び級で大学に通われるお嬢様が日本の公立校に転校するのは制度的に難しいかと……」


 しかし向こうの話し合いはかなり難航しているらしく、お付きのコンビは頑として首を縦に振らなかった。

 ここでネックになっているのはアンジェリーヌの年齢と学歴──そう判断したわたしは早速ナイスアイデアを披露するのだった。


「それなら向こうの大学に休学届だけ出してさ。こっちの部活にはわたしの関係者として参加するのはどうかな? これならたぶん通ると思うよ」


 通らないなら推して参るまで。校長先生との話し合いは任せてほしいと確約すると、この現実的な折衷案にアンジェリーヌは飛びつくのだった。


「個人的に梨花さんとクラスメイトになりたかったけれども、その辺りが現実的ですわね。……さあ、そうと決まったら物件の手配よ。このワタクシの滞在する住居に些かの綻びもあってはなりません。セバスはこの周辺で一番いい物件を確保なさい。ベアトリスは本国のメイドに連絡を。わたしのメイドは全員呼び寄せるのよ」

「畏まりました」

「はい、直ちに」


 こうして難航していた向こうの話し合いもわたしの鶴の一声で無事落着。

 我関せずと人数分のお茶出しに専念していた妹がわたしのすれ違ったときにため息をついた。


「お姉ちゃんって脳筋なのに、ホンット昔っから口だけは巧いんだから」

「ま、口も肉体の一部だからね。成功判定にはオートで潜り抜けるんだよ」


 なんのこっちゃと首をひねる妹の向こうで見るからに上機嫌のアンジェリーヌがあらためて挨拶する。


「さあ、こちらの話は纏まりましたわ。ぶい⭐︎ちゅう部の皆様方におかれましては、ワタクシのことはアンジェと気軽にお呼びくださいませ」

「はいよアンジェ。俺は杉浦健太郎。とりあえず梨花の被害枠担当だと思ってくれりゃいい」

「原画担当の新島淳司だぉ。自分はなっちゃん一筋だから梨花みたいにパーソナルスペースを侵略しなきゃよろしくしてやるぉ」

「システム全般担当の武内秀治です。僕も無茶振りさえしてこなければアンジェさんの入部に異論はありませんよ」

「何でも屋の椎名なつきだ。私も貴女の入部を歓迎するが、あまり梨花に夢を見るなと忠告だけはさせてくれ」

「舞台裏と大まかな動画の流れを管理してる久里山まどかだ。……ま、今回は完全にアドリブだけどな。わざわざ動画のネタになりに来てくれてありがとうよ」


 そうしてお互いの挨拶と自己紹介を見届けたわたしは、早速ぶい⭐︎ちゅう部におけるアンジェリーヌあらためアンジェの役割を発表するのだった。


「とりあえずアンジェにはわたしのパートナーとしてVTuberになってもらうつもりだから、みんなもそのつもりでいてね?」

「ええっ、ですのでワタクシのキャラクターは前回の梨花のように美しく荘厳で、彼女が背中を預けるのに相応しいデザインでお願いしますわ」

「はっ? 自分の負担がいきなり倍……?」

「それとワタクシ、梨花と語り合って日本のVTuberの文化に感銘を受けましたの! ですから今後の動画には英語の字幕を付けた英語版だけではなく、フランス語の字幕を付けたフランス版の制作も必須ですわ!!」

「いきなり無茶振りキタァー!! やっぱり同類ですねこの人たち!?」

「ドンマイ秀治。とりあえず誤字のチェックはこっちでもやるから頑張ってくれ」

「私も手伝うから絶望のあまり自ら死を選択しそうな顔をするな、秀治」


 にわかに騒がしくなった一階の休憩室で、自らわたしの被害者と公言して憚らない健太郎がこちらにやって来た。

 てっきり小言かなとちょっと緊張したけれども、妹とよく似たため息をついた幼馴染が触れたのは別の事だった。


「アンジェは共に切磋琢磨するって言ってたが、あの子も道場に連れてくつもりか?」

「うん、そのつもりだけど」

「そうか……。ま、警視庁の道場なら問題ないだろうけど、師範せんせいのところはどうかな。やっぱりお悪いのか?」

「うん、ちょっと腰をやっちゃってね。それ以来ちょっと弱気になってるところがあるよ」


 例外は無自覚にロジハラを働いていたお爺ちゃんたちをとっちめたときぐらい。


「やっぱりあれくらいの年齢で今まで出来たことが出来なくなるとね、家族に迷惑を掛けてるって自分を責めるもんらしいよ。お母さんもそんなことを言わないでくださいって参っちゃってるみたい」

「そうだよな。梨花たちのお母さんも家を空けっぱなしだからな……ヘルニアだったか? 完治が難しいのもわかるが、せめて腰の痛みだけでもなんとかなってくれりゃあな……」

「そうだね。なんなら回復魔法の一発で」

「おいおい、ゲームじゃないんだから……ま、奇跡にすがりたくなる気持ちは分かるよ。俺もまたお元気になられて稽古をつけてもらいたいと願ってるからな」


 事情を知らない健太郎は苦笑したが、なぜ気付かなかったのだろうか。

 居るではないか。わたしの友達にそんな奇跡の担い手が……!!


「ん? どうした梨花は……そんなにアタシの顔をまじまじと見つめてさ?」

「ねぇ、まどかちゃん。ちょっと相談があるんだけど……」


 午後は予定を変更してお婆ちゃんのお見舞いをする。

 まどかちゃんの耳元で内緒話をしたわたしの頭脳では、すでに快癒したお婆ちゃんがいつもの調子で周りを振り回す光景が見えていたのだった。



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