第9話 推しの激励に限界化した脳筋が我が身を振り返る話
──それは深夜のことだった。
わたしの最推しであるリオ&レオの配信が終わりに近づき、二人が笑顔でスパチャを読み上げていたときのことだ。
『あ、ところで莉音知ってる? 柔道の小嵐梨花ちゃんなんだけどさ……あの子どうやらウチらのファンみたいよ』
「うぇぇっ!?」
思わず声に出してしまった。
外では一切その話をしてないし、スパチャも推しの迷惑にならないようにサブ垢を使ってるのに……一体全体どうして露見した?
『えっ、そうなの? 玲央ちゃんそれどこで聞いたの?』
『えっとね、なんか最近梨花ちゃんがYourTubeに投稿した動画がネットで話題になってたから観てみたんよ。そしたら──』
そうだよっ! ぶい⭐︎ちゅう部の動画でバッチリ言ってたじゃんかッッ!!
リオ&レオの限定グッズを自慢することしか頭になかったけど、あんな動画を投稿したら本人の目に留まりかねないって気付きそうなものなのに……そんなコトにも気付かないなんてわたしってばバカ丸出しじゃん!!
『えー、観たい観たい。莉音も観たい。それどこにあるの?』
『ちょっと待ってね。
やだっ! やめて、見ないで、恥ずかしい……お願いだから見ないでよぉ……!!
『あっ、本当だぁ〜! お部屋にウチらのグッズがいっぱい飾ってあるぅ〜!』
『ぶい⭐︎ちゅう部だって。VTuberになりたかったら事務所に応募するとか他の方法が幾らでもあるのに、力を貸してくれそうな友達を集めて部活動から始めるなんて本当に偉いよねぇ』
あ゛あ゛あ゛っ、莉音ちゃんにも見られたっ!?
イヤだ、恥ずかしい、もう消えてなくなりたい……けどっ、けどっっ、なんか嬉しい……!!
『おぉ〜! 玲央ちゃんがそんなに褒めるのは珍しいよねぇ……もしかして梨花ちゃんのこと好きなの?』
『好きだよ。……そりゃオリンピックで活躍した国民的なアイドルっていうのもあるけどさ、やっぱりどんなジャンルでも世界的な大舞台で闘うってのは大変なのに、金メダルを二つも奪っちゃうだもん。それも女子柔道界で世界最強と言われたイライザ・オークリーを破ってさ……本当にすごい子だなって素直に尊敬してるし、ファンだって言われてちょっと気恥ずかしいけど好きだよ、梨花ちゃんのことは』
あっ、あっ、あっ……玲央ちゃん好きだって言われた。
あのクールでスタイリッシュな玲央ちゃんに尊敬してるって褒められて、す、好きだよって、あんなにウットリした表情で……!!
『まっ、多少の贔屓目も入ってるけどね。……ほら、私ってばエルミタージュに移籍する以前の下積み時代は個人勢だったからさ。梨花ちゃんが大手の事務所に頼らずデビューしようとしてるのを知って、頑張れって応援したくなったってワケよ』
『あ、それなら分かるなぁ〜。莉緒もね、以前の事務所が閉鎖しちゃってエルミタージュに移籍してきたからね。応援したいなって気持ちも分かるよ』
も、もうダメ……こんなの耐えられない。キュン死する。リオ&レオが尊すぎてキュン死しちゃうって……!!
『はいっ、というワケで梨花ちゃんがVTuberになるのを応援してるって話でした。梨花ちゃんVTuberになったらコラボしようね!!』
『梨花ちゃん頑張ってねぇ〜! この動画もいいよぉ〜、すごく面白い! お腹を出して昼寝してるワンちゃんも可愛いよ! 今度連れて来てねぇ〜!!』
「うん、なるよわたし……ぜったい会いに行くから……」
目と鼻と口から同時に体液を垂れ流して枕をグチョグチョにしたわたしはそのままの姿勢で己の魂に誓った。
もう何も怖くない。たとえ志の半ばに斃れることがあろうとも、わたしは最期までわたしのまま逝けるだろう。
その確信を胸に、わたしはいつまでもキュン死の余韻に浸るのだった……。
──2020年8月13日、都立本郷中学校の部室内。
「成る程な。道理で動画が急にバズったり梨花がそんなふうになっちまうワケだよ」
翌日になっても顔の締まりが戻らないわたしを目にした一同は、健太郎の言葉を受けて実にしみじみとため息を吐き出すのであった。
「ほら、お姉ちゃん……恥ずかしいからもう少しシャッキリして? お姉ちゃんがそんなんじゃいつまで経ってもVTuberになれないよ?」
足元の愛犬たちまで「なんやコイツ?」と見上げる視界の中央では、妹がだらしなく開いたままの口だけでも何とかしようと、顔の下を必死に押し上げてわたしを正気に戻そうとする。
わたしは未だに
「うん、大丈夫……安心して? わたしは勇者。大魔王の手下に拐われた玲央ちゃんと莉音ちゃんを助けたわたしは、たんに村の宿屋で『ゆうべはおたのしみでしたね』なだけだから」
「ほらぁあああッ!! ぜんっぜん正気じゃないじゃんかさぁ……!!」
「このままじゃ
ガックリと項垂れた妹の横から顔を出したまどかちゃんはそう言うと、まるで感覚のないわたしの頬をペチペチと叩くと何事か囁くのであった。
……するとどうしたことだろうか?
わたしの全身は急速に感覚を取り戻し、幸福に
「あれ? わたし……?」
「おはよう梨花。その顔を見るによっぽどいい夢が見れたようだな」
夢か……言われてみればそうだったのかもしれない。推しにわたしの動画を取り上げられてもらったことは憶えているが、そこから先は都合のいい妄想に浸っていたような、そんな気がする。
……わたしもまだまだだね。歓喜のあまり夢と現実の区別が付かなくなるなんてさ。
「何をした?」
「梨花の精神を安定させるためにちょっとな」
何度も瞬きするわたしから離れたところでなつきさんがまどかちゃんに何事かつぶやき、ホッと胸を撫でおろした妹の向こうで健太郎たちの肩から力が抜ける。
「ハァ……一時はどうなるかと思ったが、どうやら大丈夫そうだな」
「まったく人騒がせなヤツだぉ。人の尻を叩いて一晩でラフ画を用意させた本人があのままだったらタダじゃ置かなかったぉ」
「あっ、一応完成したんですね?」
「まあ、なっちゃんが今回は自分のラフ画を叩き台に話を進めるって言うから一応ね。……本当は描きかけの作品なんて見せたくないけど、今回は特別ってことで」
そして淳司がブツクサと文句を言いながらAiPadを取り出し……あれ? これってもう始まってるのかな?
「どうしよう沙耶……わたし挨拶したっけ?」
「あ、うん。したよ、一応。勇者どうとか、拐われた双子のお姫さまは必ず助けるとか」
なんじゃそりゃと思わず仰け反る。
これはもしやせずとも寝起きの醜態を全世界に晒してしまったのでは……?
「おい、梨花も遊んで泣いて自分のラフ画をさっさと確認しろぉ?」
「ほら、新島さんもああ言ってるしお姉ちゃんも確認しよう?」
やはりわたしのメンタルは無敵とはいかないようで、正直なところ顔から火が吹き出すほど恥ずかしかったが……妹に手を引かれて淳司のAiPadが目に入るとそんな気分はどこかへ消え去った。
「わぁ……」
代わりにわたしを満たしたのは驚きと称賛だった。
荒涼とした灰色の大地と星が瞬く夜空を背景として、茶色い髪を風に靡かせる中学生くらいの女の子が自信に満ちた不敵な笑顔で腕組みして、数多の怪物を威圧するSFチックなイラストはまだ未完成の大雑把なものだったが、不思議とわたしの心を捉えて離さなかった。
「ま、いいんじゃねぇか? 俺はてっきり前回は9歳の魔法少女を描いてダメ出しを食らったから、今回は幼稚園児なんてボケをかますんじゃないかって身構えてたが……どことなく梨花っぽいし、これならまあ、悪くないよな……」
「素直に上手いって言えぉ。
「なるほど……でもこのエ◯スーツ、どうしてこんなに露出度が高いんですか? これだと下着とあまり変わらないんじゃ……?」
だが一点……秀治くんの言うようにこの露出度は如何なものだろうか?
「うーん、SFの世界観だとアリかもしれないけど……この肌色面積じゃYourTube君に目を付けられそうだね」
わたしの言うYourTube君というのは、ぶい⭐︎ちゅう部でも使わせてもらっている動画投稿サイト『YourTube』の風紀を監視しているとされる
YourTube君は規約に反する動画を運営に通報する役割を負っているとされているが、特にセンシティブな動画に厳しく、その判断基準は肌色の面積に拠るのではないかと実しやかに囁かれているため、確かにこの露出度では最悪警告を飛び越して一発BANも有り得なくはない。
「ふむ……それなら下はスパッツにして、上にもジャケットのようなものを羽織らせるのはどうだろうか?」
「なっちゃんがそう言うなら修正するぉ。……ちょっと待ってね。上にレイヤーを敷いてチョチョイのチョイっと」
それになつきさんが修正案を出して、わりとアッサリ受け入れた淳司が慣れた手つきでラフ画に書き足すと、その子の造形はより深みを増したように思えた。
この子は一体どんな経緯で怪物どもに包囲されて、なおも
そんな空想が頭の中で湧き上がるくらいその子は魅力的で、不思議な気分にさせてくれる女の子だった。
「さっきよりだいふ落ち着いたけどよ……。なんでジャケットに胸から腹の部分が無いんだよ?」
「他にも黒い水着みたいなインナーの上下を繋いでおきながらおへそが丸出しだったり、スパッツの丈がギリギリだったり、どことなくエッチな絵柄は変わらないんですね」
「外野があれこれうるせぇよ。これでも自重して胸の突起と股間の食い込みは消したんだから文句言うなぉ」
他にもまだ刺激的だという意見も出てるくるが、わたしとしてはそこまで気にならない。
エルミタージュのVTuberも年を追うごとに露出度の高い水着を着るようになったが、それを理由にBANされたことがないことを思うに、この程度ならYourTube君を赤面させることもないのだろう。
「梨花はどう思う? ファンタジー由来のVTuberは多いが、SF由来のVTuberは珍しいためにこのデザインはそれなりに人目を引くと思うが……」
「そうだね。わたしもこの子がいい。上手く説明できないけど、なんとなくそう思ったんだ」
「そうか。まどかと沙耶はどうだ? 反対意見があるなら挙げてくれ」
わたしが答えるとなつきさんはまどかちゃんと妹に確認したが、二人とも特に反対するつもりはないようだ。
「梨花がいいって言ってんだっらアタシから言うことは特にないね。たぶん感性が合致したんだろ? 梨花のしたいようにしなよ」
「あたしもお姉ちゃんらしくていいと思いますけど……お願いだからリアルでこの格好をするのはやめてね?」
「うむ、それなら決まりだ。淳司はこの原画を元に立ち絵と表情の差分を用意してくれ。そちらを確認したら私も3Dモデルの構築に取り掛かる」
「こっちもすぐ取り掛かるぉ。健太郎もLive2Aの入力画面を出しといてね? それによって用意する差分の量も変わるからさ」
「あいよ。……しかし急に忙しくなってきたな。ここからが本番か……」
「あ。梨花さん、録音した音声データを貰ってもいいですか? なつきさんがこちらの条件に合致した企業用のAIを見つけてくれたんで、購入の許可を頂いたらさっそく調律に取り掛かりたいんですよ」
「うん、どっちもオッケーだよ。みんなよろしくね?」
わたしの配信用のキャラクターも固まり、にわかに活気付いた部室内はクーラーが効いているのに汗ばむほどの熱気を感じた。
「まったく、みんなご苦労なこったぜ。……さて、役立たずは買い出しくらいしねぇとな。毎日出前を取るってのもなんだから、今日は駅前の弁当屋に行ってくるよ」
「わたしもこっちじゃ役立たずだから一緒に行くよ。力仕事は任せてね」
「いや、梨花はこっちに居てくれ。ここから先は部長でありスポンサーである理科の決済が必要となる場面が増えるからな」
そんな中、立ち上がってあくびをしたまどかちゃんの付き添いをしようとしたらなつきさんに引き止められた。
「それならあたしがまどかさんの買い出しを手伝うから、お姉ちゃんはこっちに居て? それとあたしもぶい⭐︎ちゅう部の運営用にSNSのアカウント作ったから、あとでフォロワー申請を承認しといて。今後は動画の告知はお姉ちゃん個人のアカウントじゃなくこっちでやるからさ」
「うん、わかった」
そう答えて妹とまどかちゃんを見送ったわたしは、さっそく困難にぶち当たったみんなの姿に沸々と闘志が湧き上がった。
「うげっ、こんなにあるのかぉ? こりゃ大変だ……」
「だよな。入力と調整はこっちでやるから、とりあえず淳司は原案に集中してくれ」
「わぁ……アメリカ産だから予想していましたが、やっぱり全部英語ですよね。別に苦手じゃないけどちょっとゲンナリしちゃうな……」
「そちらは私が請け負う。秀治はAIの調律そのものよりも、AIに梨花の音声を読ませるプログラムを優先してくれ。基本となる骨子だけでいい。そちらの肉付きも私が担当する」
何もかもが未知数な黎明期こそ過ぎ去ったが、わたしのような素人がVTuberになるための道が生半可じゃないことは最初から判っていた。
そのことをわたしよりずっと正確に理解しながら同行を承諾してくれた仲間たちには本当に感謝しかない。
その決断をしたみんなにも色んな思惑があるのだろうけども……わたしもまた、みんなに言っていないことがある。
彼らはいずれ世界に羽ばたく人材だ。だからわたしはVTuberになって彼らをプロデュースしたいのだ。
見果てぬユメにほくそ笑んだわたしは役立たずは役立たずなりに働こうと、一階の給油室で人数分の飲み物とお菓子を用意するのだった……。
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