第8話 脳筋が脳筋なりに友達の力になる話。




 ──2020年8月12日、都立本郷中学校の部室内。


 翌日に『ぶい⭐︎ちゅう部』の名を冠した初動画の成果を検証するために集まったわたしたちは、そこで予想だにしなかった強敵を目の当たりにするのだった。


「……それなりにられてるよな。チャンネル登録者数も順調に伸びてる」

「でも何だぉ、この『小嵐梨花専門チャンネル』ってのは? とんでもない大差で水をあけられてるじゃねぇか」

「有志による検証動画ですか。効果音付きなんてモノもありますよねぇ……」


 その強敵とは所謂いわゆるひとつの『切り抜き動画』であった。

 本家の再生数が30万に届かないのに対して、あちらは既にその数倍以上。最も伸びてる効果音付きの接触事故に至っては200万の大台を突破してる。

 需要があるんだなぁ……転生者ながら今の性別しか実感のないわたしにはよく分からない境地だけども。


「ところでや◯夫クン? それにで◯る夫クンも? この検証動画によると満更でもなさそうだったよねキミタチ?」

「そ、そりゃ誤解だぉ。こっちは怒るのも大人気ないから引いてやっただけだし」

「僕もいきなり抱きつかれると思わなかったから、ちょっと動揺しただけで……」

「ごめんね。あのときは気がつかなかったけどこれはわたしの落ち度だから、健太郎もそんなに怒らないであげてよ」


 今回切り抜き動画が伸びることになった接触事故も、わたしの配慮が足りなかったことが直接の原因である。向こうから触ってきたならともかく、今回の件で淳司と秀治くんに落ち度はない。


「しかしそうは言うがな……」

「まぁまぁ、健太郎も柔道をやってるんだから分かるでしょ? 組み手で胸が当たったっていちいち謝ったりしないし、誰も気にしないよ」

「ま、そうだな……。すまん、少し気が立ってたかもしれん」

「うんうん。ちゃんと謝れる子は偉いよ。ご褒美に今度また内緒で触らせてあげるからそれでチャラにしてね」

「ちょ、!?」

「杉浦くん……ちょっと向こうにいいですか?」

「いや誤解だ! 梨花が言ってるのは不幸な事故を内密に済ませたって意味で……!!」


 そうして話し合った結果、なぜか健太郎は一階に連行されたわけだが……何だろう? 急な集団腹痛かな?


「まあその件はともかく、梨花はどうする? 運営に通報すれば無許可の切り抜き動画は排除できると思うが……」


 そんな三馬鹿どもを見送ったらこっそりため息をついたなつきさんが訊いてきたが、その件に関する限りわたしの結論はもう出ている。


「いや、構わないよ。……わたしはVTuberになるんだもん。こんなに早く切り抜かれるなんて光栄だよ」


 業界最大手のエルミタージュもこの手の切り抜き動画を排除せず、むしろ奨励することによって知名度を上げる戦略を採用した。

 その目論見は見事に当たり、今や切り抜き動画を作られることは余程の悪意がない限り、VTuberにとって最高の栄誉となったのである。目くじらを立てる理由はどこにもない。


「言うと思った。お姉ちゃんってホンット鈍いんだか大物なんだか……」


 不服そうなため息を漏らした妹は「あたしだったら胸ばかり見られたら堪らないんだけどなぁ」と嘆いたが、隅っこのソファーで我が家の愛犬と戯れていたまどかちゃんは楽しそうに笑うのだった。


「ま、どう感じるかは人それぞれってヤツさ。アタシも神経質で周囲に当たり散らしてる梨花は見たくないし、梨花がいいって言ってるんだからそれでいいじゃねぇか」

「それは、まあ……あたしもそんなお姉ちゃんなんて見たくありませんけど、せめて少しだけでいいから馬鹿みたいに能天気なところと、脳筋の命じるままに突っ走るとこだけでも……あ、ダメだ。改善点を出しはじめると止まらないや……」

「あまり気に病むな。梨花対策は人類共通の悲願だ。沙耶だけが背負うものではない」


 わたしには何を言ってるかチンプンカンプンだったけど、とりあえずよく分からない理由で凹んだ妹を慰めたナツキさんは「それに悪いことばかりではなかった」と口にして自分の席に戻ると、マウスを操作してパソコンのモニターに動画のコメント欄を表示させた。

 27万の動画再生数に対して1123件と異様に多いコメントは、ザッと見たところわたしたちの動画に好意的で、温かく見守っている雰囲気が感じ取れた。


「見てもらえれば判ると思うが、私たちの動画は当初の予想よりも好意的に受け取られた。よってこの反響を踏まえて今後の動画を制作していきたいが、私から変更点を二つほど挙げさせてくれ」

「二つ?」

「うむ。まず沙耶だが、彼女にばかり司会ツッコミさせると負担が大きい。故に今後はインタビュー形式に拘らずに運用していきたい」


 わたしが首をひねると、なつきさんはまず沙耶を気遣った。

 その言葉にどことなくげっそりしてた妹がホッと胸を撫でおろす。

 ううむ、よく分からないけど無理をさせちゃってたのか……こういうのはわたしが気付かないといけないのに、ごめんね沙耶。気付かないお姉ちゃんで。


「次に台本だが、大まかな流れに任せた梨花を止めずに放置したのは失敗だった。今後はしてはいけない事をもう少し叩き込むべきだと思うが、まどかはどうだ?」

「アタシは反対だな。そうして手元の原稿を読み上げる梨花なんざ誰が見たがるんだよ? なつきは心配事に目を向けすぎだぜ。……今回のことだって別に炎上したわけじゃないんだ。梨花の好きにやらせろとまで言わねぇが、前の動画ぐらいの塩梅でいいと思うぜ。アタシは」


 なんて心の中で反省していたら思わぬ意見対立。

 基本的に傍観者の立場を取りがちなまどかちゃんがここまで食い下がるのは珍しいな。


「……解った。まどかがそう言うなら私は貴女の方針を尊重する」


 そしてなつきさんが理詰めの結論を曲げるのも珍しいが、この辺りは二人の出自や力関係が作用してるんだろうなと、わたしは深く考えなかった。


「だが、事前に大枠は決めておきたい。次回の動画は梨花がVTuberとして演じるキャラクターの原案を新島淳司に幾つか用意してもらい、皆でああでもないこうでもないと要望を出し合うというのはどうだろうか?」

「ん、それならアタシも賛成だな。梨花たちはどうだ?」

「わたしも賛成。また自分の趣味を丸出しの女の子を描いてきたら、みんなで淳司をとっちめてやろうね?」

「はいはい、仮にやるとしてもお姉ちゃんは見てるだけだよ。もう勝手にコキッとやらないでよね」


 その後は女子だけの話し合いで次回の方針も纏まり、それ以上ここで出来ることもなかったので今日は解散の流れで。

 愛犬にリードを付けて外に出ると、何やら校庭の片隅で肉体言語を駆使して語り合う健太郎たちの姿も見かけたが、あの三人にも個別の合鍵を預けてあるし帰るのに困らないだろうとわたしたちは帰路に着いたのだった。

 ……その予定が狂ったのはそれから10分ほど後のこと。


「あちゃあ……マジかよ」


 昼食がてら駅前のハンバーガーショップに入ろうとしたところで、スマホの通知を確認したまどかちゃんはかなり焦ったようにわたしの手を掴んできた。この流れ、緊急事態いつものヤツか。


「悪い沙耶、ちょっとお前の姉ちゃんを借りてもいいか?」

「えっ、いいですけど……お昼はどうしましょうか?」

「ふむ、それなら持ち帰って沙耶たちの家に集まるでいいと思うが」

「ああ、そうしてくれ。こっちも出来るだけ早く戻るよ」


 それだけ言って駆け出すまどかちゃんを振り切らないように手加減して追いかける。


「……何だったんでしょうか?」

「さあ? ただ実はまどかが梨花の力を借りにきた異世界の聖女という与太話はどうだ。これなら色々と納得できると思うが」

「あはは! それだとお姉ちゃんはその世界に召喚されるはずだった勇者さまですか? お姉ちゃん好きそうですよね、そういうの……」


 背後でそんな話をしているのが聞こえてきたが、なんで判っちゃうかなぁとわたしは走りながら首をひねるのだった。




 駆け込んだ路地裏でまどかちゃんが魔法を解く。

 黒く程よい長さのポニーテールは高く結いあげた豊かな金髪に。

 瞳も燃え盛る炎のような真紅を取り戻し、その身を包むカジュアルな夏服も白を基調とした修道服に。

 そして白いグローブを嵌めた両手には複雑な装飾を凝らした杖が現れていた。


「すごいね。何度見ても魔法みたい」

「魔法だよ。だから偽装を解かないと別の魔法は使えないんだ」


 なるほど、つまり一回は倒さないと真の姿が拝めない魔王ラスボスみたいなものか。

 わたしはてっきり舐めプをしてるんだと思ったけど、偽りの姿をしているときはその分だけ弱体化していたと……なんだか賢くなった気分。


「よし、道を拓くぞ。何があるか判らないから気をつけてくれ」

「うん、わかった。それじゃあ先に行くね」


 路地裏の奥に浮かぶ此処ではない何処かの風景。これがまどかちゃんの言う道だ。

 その向こうにわたしの敵がいる。わたしは迷わず未知の世界に飛び込んだ。


「……って、なんかいつもと違うような?」


 いつもは真っ暗な宇宙空間みたいなところに、でっかいボスキャラが待ち構えてるんだけど……今回はのどかな田園風景が広がる片田舎にひび割れみたいなのがあって、周囲に黒いもやみたいなのが漂ってた。なんだこれ?


「悪い。今回は本当にギリギリで、処置もこれからだからコイツをたおすのはもう少し待ってくれ」

「うん、よろしくね」


 わたしの背後から姿を現すなり、いつになく慌てた様子で杖を構えるまどかちゃんの姿に、今回は本当に緊急事態だったんだと納得する。


「聖なる女神エルトリーゼよ。異界の地を大魔王グランドーザの瘴気より守りし加護を賜らんことを……」


 何回か前に訊いたところ、まどかちゃんが使っているのは周囲の空間を閉ざす結界術の類みたい。

 うんうん、敵が逃げたりこの小汚い靄みたいなものが周囲を汚染したら大変だからね。

 そうなる前に手を打つのだと腕組みしたら、なんか目の前のひび割れが拡大して漏れ出す靄が急激に増加してきた。


《ククク……斃す、斃すだと? グランドーザ様の従僕しもべであるこの我を斃すと言うのか?》


 ギチッ、という耳障りな音に続いて黒い靄が凝縮し、膨れ上がり、まどかちゃんの「ヤバッ」という悲鳴のあとにそれは顕現した。


「グワッハッハッハ! 片腹痛いぞ小娘ども! 貴様らのような貧弱な小娘どもにグランドーザ様の従僕であるこの魔将ジャグラスが倒せると思うか!?」

「今回は魔将アークデーモンクラスかよ……。こりゃアタシ一人なら逃げの一手だったな」

「ほう? 無知な小娘かと思ったが、どうやらそうでもないか……。良かろう、貴様は飼ってやるぞ。この我の孕み袋として、数多の魔物どもの母体としてな! 我が慈悲に感謝するがいいわ!!」


 これが今回の敵……なんだけど、全裸の牛頭を見上げたわたしは一目でそいつのことが嫌いになった。

 何もかも見た目が悪い。お昼のハンバーガーを楽しみにしていた分だけ余計に。

 しかも何やら卑猥なことも言ってるし。もう倒しちゃっていいよねと視線で確認すると、まどかちゃんも困った顔でうなずいてくれたから行動に移すことにした。

 この巨体を投げ飛ばしたら地響きで大変なことになりそうだったので、今回は打撃で片付けることにした。

 音すらも静止した世界で正拳突きを放つ。目指す光を追いかけてその先へ到達する。

 のちになつきさんはその現象をこう解説してくれた。

 光速で飛来した物質が大気圏内を通過するとき、その前方は凄まじい圧がかかって高温になり、大気中の水蒸気が分解して原子核が融合すると──そして光を置き去りにした拳は空間を穿ち、余剰エネルギーを亜空間へと押し込むと。


「グッはぁああああッ! こんな馬鹿なぁあああああッッ!?」


 絶対無敵の肉体だけが成し得るそれは、伝説の死黒核爆裂地獄の再現だったのか。

 目の前のヒビ割れも、不快な股間も、黒い靄さえも消え去った清浄な結界の中、白衣のまどかちゃんは困ったように笑うのだった。


「相変わらず梨花は無茶苦茶だな。どこぞの黄金聖闘士じゃないんだから光速拳なんて放つなよ」

「ごめん、やりすぎだった?」

「少しな。……あの漫画じゃ秒感一億発の光速拳を放つバケモンもいるけど、実際にやったら周囲の被害がとんでもないコトになるから、梨花もアタシのいないところで真似したりしちゃダメだぞ」


 もう笑うしかない心境なのだろうか?

 まどかちゃんの笑顔は、しかしわたしの好きな笑顔と少し違うものだった。

 だからわたしは大事な友達にこう答えるのだった。


「うん、わかった。でもずっと前みたいに一人で行っちゃイヤだよ。ちゃんと今日みたいに誘ってね」

「えらく簡単に言うんだな。下手をしたら死んじまうかもしれないのによ」

「死なないよ。だから遠慮だけはしないでね。友達なんだし当たり前だよね?」

「ははっ……そんな理由で魔王を何体も討伐するのは、並存世界せかい広しと言えどもお前ぐらいなもんだよ」


 そうしてまどかちゃんは笑った。わたしの大好きなニカッという、何の曇りもない笑顔を見せてくれたのであった。




 その後はまどかちゃんの魔法で自宅のすぐ近くに帰還。

 みんなとまだ熱々のハンバーガーを食べると、わたしのスマホに健太郎から連絡があった。何でも私物と一緒に合鍵もろとも自宅の鍵まで部室に置き忘れたそうで、他の二人も帰れず困ってるみたいだ。

 お昼を食べたら急いで向かうからもう少し待っててと返事をしたわたしは、その話をみんなにもして三馬鹿どもの失敗談を笑い飛ばすのだった。



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