第5話 幕間『小嵐沙耶は脳筋の姉をかく語れり』




 あたしのお姉ちゃんはそこはかとなく変な人だ。

 お風呂で翌朝まで寝ちゃってもケロリとしてる人が普通なわけない、と言われたらそれまでだけども……とにかく変な人なのだ。

 あんなお姉ちゃんでも大事な家族だから変だとしか言わないけど、とにかく変だ。こればかりは譲れない。

 趣味や性格が男の子みたいなのはまぁいいだろう。

 子供の頃から男子に混じって……それもお爺ちゃんが師範を務める警視庁の道場で柔道をやってるんだから、性格が男の子っぽくなっちゃうのもある程度は仕方ないと思う。

 スキンシップに抵抗がないのと、女子はもちろん男子と話をするときも距離感がバグってるのはだいたいこの所為。文句はお姉ちゃんに柔道をやらせたお爺ちゃんに言ってください。あたしに言われても困ります。

 まあ、お姉ちゃん胸は控えめだけど見た目だけは最高だからね。勘違いする子が続出するのは当然なんだけど……ここからがお姉ちゃんのちょっと始末に追えない話。

 見た目だけは100点満点お姉ちゃんが中学の始業式を迎えると、それはもう大層おモテになったそうだ。

 同級生はもちろん先生方にも可愛がられたお姉ちゃんに、在校生の先輩方だけちょっかいをかけないのは有り得ない。

 お姉ちゃんの下駄箱には当然のようにラブレターなる怪文書が詰め込まれて……ここで問題。そのときお姉ちゃんはどうしたでしょうか?

 果たし状でも受け取ったつもりで校舎裏や屋上に出向いて、相手を投げ飛ばしたと答えた人はお姉ちゃんを知ってる人かな? でも残念。不正解。

 それなら自分に勝ったら付き合ってあげると宣言して投げ飛ばした? うーん、惜しいけど正解はこう。

 大量のラブレターに辟易したお姉ちゃんは何の躊躇いもなく構内放送をジャックしてこう宣言したそうだ。

 欲しい女は力ずくでモノにしろ。放課後、体育館柔道部にて待つ。1年B組、小嵐梨花って……。

 うん、もちろん先生方には「なんてことを言うんだ」って叱られたみたいだよ。

 ただ柔道部の顧問はお爺ちゃんの門下生だからね。自分の監督下で穏便にすませることが出来そうだって喜んだみたいよ。

 ……それからどうなったって?

 そりゃ全滅でしょ。子供の頃からオリンピックの代表選手がごまんといる警視庁機動隊を、毎日毎日蹂躙してきたお姉ちゃんだよ? 相手になるわけないじゃん。

 まっ、そんなふうにやたらと手が早くて、何かあったら正面から突っ込んで物理的にどうにかしようとするから、健太郎さんに脳筋って言われるんだけど……問題はその上限がどこにあるか読めないところにあるんだよね。

 ……アレは忘れもしない6年前の秋のことだ。

 当時やんちゃ盛りだった生後6ヶ月の愛犬。レブラドール・レトリーバーの散歩中にわたしは目撃したのだ。

 信号がまだ赤なのに車道に飛び出す愛犬の姿と、その仔を庇って4トンのトラックに撥ねられるお姉ちゃんの姿だ。

 トラックは目算だと時速40キロくらいは出してたと思う。それがお姉ちゃんの背中と衝突したのだ。大惨事は免れないとあたしは両手で目を覆った。

 ……しかし再び目を開けたとき、お姉ちゃんは無事だった。もちろん愛犬も無傷。

 ギリギリで急ブレーキが間に合ったのだろうか? ホッと胸を撫でおろしたあたしは、しかし見てしまった。


『もう、いきなり飛び出したらダメだよ? すみませーん、大丈夫ですか?』


 暢気に愛犬を抱き上げて放心状態の運転手に声を掛ける姉がそれまで踏ん張っていた地面のアスファルトが、車が垂直に衝突したんじゃないかと思えるほど陥没していたのを。

 ……あたしはこの話を墓場まで持っていくつもりだ。

 まさかそんな話があるわけないのだ。姉が激突の衝撃を、車体に向かう分も含めて、丸ごと地面に流し込んだなんて漫画みたいな話は。

 随分と長くなってしまったが、とにかくそんな姉だから何をするにしても油断ならない。

 いつもの運動服ジャージで住宅街の日陰を選んで歩く姉の姿は、傍目には飼い犬をちょっと遅めの散歩に連れていっているように見えなくもないけど、そんなワケはないのだ。


「ねぇお姉ちゃん……そろそろどこに向かう気なのか教えてもらえる?」

「ん、学校だよ。言ってないかった?」

「言ってないし聞いてないよ」


 三匹の愛犬と一緒に振り返って、ドキリする笑顔を見せたお姉ちゃんに悪気は、たぶんない。

 ただ健太郎さんいわく、頭の中も筋肉に侵食されて脳細胞が死滅寸前だから、何事も省エネに済ませているんだろう。あたしも同感だ。


「はぁ……とりあえず学校に行くのは分かったよ。うちのたちにソリのように引かせてる荷押し車のダンボールに何が入ってるのかも聞かない。……でも学校に何の用なの? 柔道部はもう退部してるんだから関係ないよね?」

「うん、柔道部は全中が終わったから退部したよ。だから新しい部活を始めたんだ」


 ほら、また変なコトを言い出した。

 三年生の運動部員は最後の大会が終わったら退部して受験に集中するのが普通なのに、よりにもよって新しい部活を始めるなんて、そんなこと認められ……ちゃったんだろうな、残念ながら。

 お姉ちゃんの脳細胞が残りわずかという話と矛盾するんだけど、どういうワケかテストの成績だけはいいんだよね。授業中に先生に名指しされ、いま何の話をしていたか訊かれても答えられた試しはないけど。

 そこはかとなく腹の立つ話だけど、文武両道で通っているお姉ちゃんはオリンピックで金メダルを獲得して日本中を熱狂させたこともあって、それはもう大勢の支持者がいる。それも政界、官界、財界の上層部に。

 もともとお姉ちゃんを苦手にしてる先生方は、そうした見えざる影に逆らえなかったんだろう。

 ダメだと言っても相手がウンと言うまで引き下がらない性格だし、下手に揉めて実力行使は……さすがにしないだろうけど、懇意の文部科学大臣に相談くらいはしかねないのがお姉ちゃんだ。

 先生方も災難だったなぁ、と心の中で手を合わせると早くも学校が見えてきた。


「よし、わかった。お姉ちゃんは新しい部活を始めたんだね? でもそれがあたしとどう関係するの?」

「それは沙耶も同じ部員だからだよ。……あ、沙耶の入部届はわたしが書いてわたしが受け取ったから安心して?」


 ほらぁ〜〜ッッ!! そういうことをするから油断ならないんだよ!!

 確かにあたしはどこの部にも所属してないから入部に支障はないけど、勝手にそんなことされたら堪らないよ。

 これは断固抗議しなければと息を吸ったら、お姉ちゃんは急に立ち止まった。

 理由は明白。見るからに只者じゃない黒人男性が正門前に立ちはだかっていたからだ。


「Nice to meet you, young lady. It's a beautiful day.(初めましてお嬢さん。今日はいい天気だな)」


 2メートルはあろうかという長身に相応しい筋肉質な黒人男性は、流暢な英語でそう挨拶してきた。


「Yes, nice to meet you. Can I help you?(はい、初めまして。何か御用ですか?)」


 対して荷押し車を引かせている愛犬に待てと命じた姉は、さしたる緊張も見せずにこれまた流暢な英語で応じた。


「I congratulate the young lady. But I've heard some things that I don't want to hear. I hear you call yourself the best of the best.(俺はお嬢さんを祝福する。だが、聞き捨てならないことを耳にしてね。なんでも最強を名乗ってるそうじゃないか?」

「Isn't it appropriate?(いけませんか?)」

「I agree that you have conquered the world of women's judo. But that doesn't make you the best, does it?(君が女子柔道界を制したことは認めるさ。だが、それをもって最強とはおかしな話だ)」


 二人の会話は理解できなかったが、それはたぶん幸福なことだ。世の中には知らなくてもいいことが山ほどあるからだ。


「In other words, if you are going to call yourself the strongest, then look at you defeat me!(つまり最強を名乗るのはこの俺を倒してからにしろということだ!!)」

「Yes, I will!(上等!!)」


 決着は一瞬で着いた。黒人男性が構えた直後に姉が突進し、そのまま問答無用で地面から引っこ抜いて投げ飛ばしたのだ。

 哀れにもそのまま放置された黒人男性は、さながら収穫されたゴボウのようだった。


「……お姉ちゃん、知り合い?」

「ううん。でもたぶんただの挑戦者だから放っておいても大丈夫だよ」


 世の中には知らなくてもいいことが、考えても無駄なことがごまんと存在する。

 ため息をこぼしたあたしは、この件に関しては姉を見習って思考を停止することにした。

 再び荷押し車に戻って犯行現場を後にする姉を見失うまいと、かといって関係者と思われない絶妙な距離を保って追跡したあたしは母校の正門を潜った。

 グランドにはこの暑さにも関わらずジョギングする生徒たちの姿が。

 彼ら、あるいは彼女たちは母校の英雄である姉の姿に気づくと手を振って祝福してきたが、中にはわざわざ足を止めて声を掛ける物好きもいた。


「あのっ、小嵐先輩! 金メダルおめでとうござます!!」

「ありがとう! のぞみちゃんも頑張ってね!!」

「キャー! 小嵐先輩に名前を呼んでもらっちゃった!!」


 ……うん。お姉ちゃんも見た目だけなら最高だからね。とにかく男女を問わずモテるのだ。

 あたしは知っている。いい加減一緒のお風呂は恥ずかしいのに、構わず連れ込むから目にせざるを得ない。

 小柄ながらアスリート然とした筋肉はしかし、絶妙に配分された脂肪によって覆い隠され、女性らしい柔らかな曲線をまったく損なわずにいる。

 背は低いが顔は小さく、胴は短めで手足は長め。日本人らしからぬその体型はもはやインチキ。

 美しさの採点基準は人によって様々だろうが、少なくとも減点方式ならケチの付け所はどこにも無い。

 この姉はそんな反則じみた容姿に仔犬のような人懐っこさと愛嬌まで兼ね備えているのだから、思わず勘違いしてしまう被害者には事欠かないのだ。


「はぁ……お姉ちゃんってホンット反則だよね」

「ん? 何の話?」

「聞かないで。どうせこっちの話なんだから」


 思わず答えてしまったが、いつものように深く考えずに納得した姉は構わず体育館の脇へと向かった。

 するとどうしたことだろうか……少なくとも一学期には何もなかったそこには、なんとも立派な二階建てのユニットハウスがあった。

 お姉ちゃんがポケットから取り出した鍵をガチャガチャやってることからも、これがこの姉が新しく始めたという部活動の部室なんだろうけども……。


「お姉ちゃん……このユニットハウスどうしたの?」

「ん、建てた。新しい部室用にね」

「ごめん、何を言ってるのかよく分かんない」


 いや正確には理解したくない、だね。

 建てた?

 都立中学の敷地内に?

 新設の部室を勝手に?

 どうやって?

 許可は貰ったの?

 次々と湧き上がる疑問を取り合うことはない。

 そんなことは考えるだけ無駄だ。

 この学校を管理する東京都の許可など直接もぎ取ったに決まってるんだから……。


「お姉ちゃんってホンット型破りだよね!?」

「いいから先に入って。お姉ちゃんダンボールを運び込んだらみんなの足を洗うからさ」


 今度のため息は深く長かったが、あたしとしてもあまり人目につきたくない。よって小言は後回しにして中に入ると、そこは広めの玄関と下駄箱、そして簡単な洗い場を備えていた。

 そして奥の引き戸を開けて室内を目にすると、そこには私物を管理するロッカーこそあったものの、それ以外はソファーやテレビなども置かれた民家のリビングのようになっていた。


「お邪魔します」


 一応はそう言って靴を脱いでスリッパに履き替えると、無人と思われたソファーの陰から闊達な返事があった。


「ようっ! 誰かと思ったら沙耶じゃねぇか?」


 ソファーの背もたれに手をかけて顔を見せたこの人は知っている。姉のクラスメイトで、名前はたしか……。


「お久しぶりです久里山先輩。姉がいつもお世話になっています」

「アタシのことはまどかでいいよ。それよりお前の姉ちゃんは?」

「姉はいま飼い犬の足を洗ってて、すぐこっちに来ると思いますが……」

「そっか。お前らも巻き込まれたクチか。大変だな」


 ……ということは、この人もそうか。それはなんとも、申し訳がない。


「すみません、まどかさん。お姉ちゃんの無茶振りに巻き込んじゃって……」

「ああ、気にすんなよ。巻き込まれたのは間違いないけど、アタシに関しちゃ好きでお前の姉ちゃんとツルんでるんだからな」


 わたしはお姉ちゃんがまたとんでもないコトをしでかしたんだと思って、土下座したい気分で頭を下げたんだけど……そう言って手を振るまどか先輩の笑顔は晴々としたもので、少なくとも強引に拉致されたんじゃないことは判ってあたしはホッと胸を撫でおろした。


「ま、こっちに来ておやつでも食いなよ。……ところで沙耶はなんて言われてこっちに?」

「頂きます。……それがお姉ちゃんからは何も」


 勧められままにソファーの向かいに腰を下ろして、差し出されたお菓子を頂戴すると、まどか先輩は「何もかよ? まったく梨花も仕方ねぇヤツだな」と笑った。


「ここはぶい⭐︎ちゅう部って言ってな。梨花のヤツが自分に門前払いを食らわせたエルミタージュを見返すために作った、梨花が超一流のVTuberとしてデビューするのをエスコートする部活だよ」


 その言葉にあたしは目の前が真っ暗になった。

 なんたる無謀、無鉄砲、無計画……実はあの姉に深い考えがある? 脊髄反射で生きてる姉にそんなものは無いと断言できる。

 VTuber戦国時代と呼ばれるほど飽和状態あるあの界隈に、多少の知名度こそあれまったくの素人が徒手空拳で挑もというのだ。


「まさかお姉ちゃん……VTuberを全員倒せば自分がNo. 1とか思ってないよね?」


 誰かに否定してもらいたくって口にしたその言葉を、まどか先輩は無情にも「そりゃ楽でいいな」と楽しそうに笑うばかりで、否定も肯定もしてくれないのだった……。



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