第4話 脳筋が脳みそを使って妹に叱られる話




 ──2020年8月11日深夜、東京中野区の自宅。


 とりあえず笑顔をキープしていれば良かったオリンピックの閉会式と違って、その後はパーティーはわりと魔窟だったな。


 主催は文部科学省と日本オリンピック委員会JOC

 内容は「オラが村の娘っ子がオラたちのおかげで金メダルを獲ったど」ってな感じだから、こっちは何を言われてもとにかく「はい、ありがとうございます」って頭を下げなきゃなんない立場だ。

 お父さんはやたらと誇らしげだったけどさ、こっちは本当に大変だったよ。

 私の胸を見たあとに「こんなに小さいのに大したもんだ」って言ってくるおじさんもいたし、さりげなくボディタッチをしようとするおじさんもいたし……なんならもっと露骨に夜のデートに連れ出そうとするおじさんもいたね。

 おかげで顔がピキらないようにするのが大変だわ、うっかり投げ飛ばさないようにずっと両手を握ってなきゃいけなかったわ。

 ……ま、ある程度は仕方ない。

 裏取引で今後も柔道を続けるわけになったんだから、あまり浮世の義理を欠かすわけにもいかないんだけどさ……代われるもんなら誰か代わってほしいというのが本音だ。

 とにかく疲れたけど……帰ってくるなりリビングの絨毯にグッタリと寝転んで、群がる三匹の愛犬に顔を舐められたらだいぶ癒されてきた。

 それに悪いことばかりでもなかった。

 服装もスポンサー指定の運動服ジャージで良かったから気楽だったし、立食パーティーの料理も面子が面子だけにさすがの美味しさだったし。

 今後も日本の国技を背負うわけだから新しい契約も結べた。

 すでにサラリーマンの生涯年収くらいは稼いでいるけど、将来的に『ぶい⭐︎ちゅう部』を正式なプロダクションとして抱えるなら、自前の資金はいくらあっても邪魔になることはないだろう。

 よしよし愛犬の癒し効果、プラス未来への展望、それにスマホとワイヤレスイヤホンでこっそり視聴中のリオ&レオの笑顔でだいぶ元気になった。

 他にも仲良しや双子を謳ったユニットのVTuberは存在するけど、この二人は口では百合営業を否定するのに、裏では何かあるたんびに相手を気にかけてるのが尊いんだよな。

 よぅし! 気分もいいしおじさん久しぶりに満額のスパチャを投げちゃうぞーってスマホを操作していたら、急にリビングが明るくなった。


「お姉ちゃんおかえり。……照明あかりも点けないで何してんの?」

「ただいま。もちろんリオ&レオの配信をてるんだよ」

「やっぱり。お姉ちゃん大丈夫って言いかけて損しちゃった」


 姿を現すなり、可愛らしいパジャマ姿でため息をこぼしたのは妹の沙耶さやだ。

 チラリと確認した時刻は午前0時を回ってるから、もうとっくに寝入っていたはずなんだけど……わたしのことを心配してわざわざ起きてきてくれたのだろうか?


「とにかくそんなところに寝転がってないで、せめてソファーに座ってよ。いまお茶を淹れてあげるからさ」

「うん、ありがとう」


 だとしたらあんまりカッコ悪いところを見せられないなと立ち上がるが、かなり今更だよね。

 身体の調子が思わしくないお婆さまの介護があるお母さんと、警視庁警備部長と激務の職にあるお父さんは家を空けがちで、わたしと沙耶はこの家に二人でいることが多い。

 そうなると両親も知らないわたしのプライベートも当然知っているわけで……リオ&レオで限界化してる姿を見られたのもこれが初めてじゃないし、なんならわたしの部屋だって見られてる。

 陳列用、保存用、愛玩用、そして布教用に最低四つは確保してコンプリートしたリオ&レオ関連グッズに彩られたわたしの部屋を、である。今さらそんなことを気にする間柄ではないのだ。


「はい、どうぞ」

「サンキュー沙耶。……うーん、夏はやっぱり麦茶だよね」


 コトン、と置かれた麦茶をがぶ飲みすると五臓六腑に染み渡るが、向かいに座って自分の分も用意ているあたり、沙耶はわたしに何か話したいことでもあるのだろうか?


「あのさ」

「うん?」


 その予感は的中して、沙耶はこちらから話を向けるまでもなくちょっと心配そうな表情で切り出してくるのだった。


「お姉ちゃん、ホンットにVTuberになる気?」

「そりゃなるよ。当たり前じゃん」


 例のインタビューは『高度な政治判断』とやらで差し止められ、公共の電波に乗ることこそなかったけれども……妹にはその話を何度もしているし、SNSにも時期が来たら趣味の配信を再開すると告知してある。

 そのため、わたしの発言を長いこと追いかけてきた勘のいいファンはとっくの昔にピンときている。

 お偉方は口を揃えて「くれぐれも発言は慎重に」と釘を刺してきたけれども、保護者の承諾は得ているし柔道を続ける障害にはならないと判断したのか、この件に関しては妨害の動きはまったく無く、関係者は静観の構えだ。

 つまり既定路線。わたしの野望ユメを阻む者は誰もいないのである。


「ま、あたしも止められるもんじゃないってのは知ってるけどさ……」


 しかし沙耶はその実現を危ぶむかのように、気遣わしげな視線でわたしをジッと見つめてきた。


「そのわりにしてはお姉ちゃんのんびり構えてるよね?」

「そうかな?」

「そうだよ。わたしはてっきり経済産業省の役人と財界のお偉方を連れて、エルミタージュの本社に圧をかけるコトくらいはするんじゃないかって、内心ヒヤヒヤしてたのにさ。やってることはお婆ちゃんの門下生の健太郎さんを呼び出して、毎日遊んでるだけでしょ? 何を企んでるか判らないし、今度は何をするつもりなんだろうって心配ぐらいするよ」


 なるほどねぇ……たしかに『ぶい⭐︎ちゅう部』の動きを知らない沙耶にしてみれば、わたしのここ最近の沈黙ぶりはかえって不気味に映るか。わたしの性格を熟知しているだけ余計に。


「まあ、話すならちょうどいい機会か。……ところで沙耶、夏休みは時間空いてる?」

「空いてるよ。今年はオリンピックの所為で家族旅行も延期だしね。お姉ちゃんも知ってるでしょ?」


 わたしも別に妹を除け者にして、多忙な両親が空けがちなこの家に放置する気はない。

 それどころかわたしと違って几帳面な性格の妹は、わたしの考える『ぶい⭐︎ちゅう部』の一員として必要不可欠だ。


「それならお母さんもしばらく忙しそうだし、明日はこのたちも連れて出かけよっか」

「……いいよ。何を企んでるか知らないけど乗ってあげる」


 わたしが提案すると沙耶は訝しげな顔をしたものの、やがて踏ん切りをつけるように立ち上がるとそう答えるのであった。


「ま、ちょっと気になっただけだから、食器も片したからもう寝るね。……あ、お風呂はさっき沸かし直したから、寝る前に歯を磨いてちゃんと入ってね? それじゃおやすみ」

「うん、おやすみ」


 やはり沙耶は頼りになる。VTuberに付き物の専属マネージャーは君に決めた!


「さて、それじゃあわたしもお風呂に入って寝ようか」


 脱衣所で裸になり、シャワーで軽く汗を流してから湯船に浸かり、横着して持ち込んだ歯ブラシで口の中をリセットしながら思案する。

 頭の中で考えるのはやっぱり『ぶい⭐︎ちゅう部』の仲間たち。これに尽きる。


「爽やかな柔道少年と思わせて、実はパソコンオタクの健太郎には全体を見てもらわないと……」


 健太郎はハードだけでなくソフトや周辺機器にも詳しい。部室にあるハイスペックなだけのゲーミングPCが開発用、配信用の機材として変貌したのは、昨日までわたしと一緒に電気街を駆けずり回った彼の功績だ。

 健太郎さえいてくれれば『ぶい⭐︎ちゅう部』は運営面から行き詰まることはないだろう。


「まぁ異性としてはまったく意識してないから、付き合う気はこれっぽっちもないんだけども……」


 代々男子に恵まれなかったた当家はわたしの代も例に漏れず、子供は女子のみに終わったため、周囲(主にお爺ちゃんとお父さん)は健太郎に婿養子としての期待を寄せてるけれども……何しろ5歳のときにお婆ちゃんの道場で顔を合わせてからの付き合いだからね。

 今さら一緒に居ると胸がドキドキするだとか、気になっていつも顔を思い出してしまうだとか、そんな色っぽい関係ではないのである。

 ただ悪い性格じゃないから将来的に結婚するのは構わないけど……なんかその話をしたら途端に疎遠になりそうで怖いな。


「まあ健太郎のことはいいや……淳司あつしは当然原画を担当してもらうけど、出来ればLive2Aの扱いも学んでほしいな」


 健太郎の親友であり、馬鹿でスケベな男の子。口も悪いし性格も不遜だけど淳司のイラストレーターとしての技量は、すでにpixelなどで活躍していることもあって素人目にも感心する他ない。

 自らの手で理想にして究極の嫁を生み出すためという、絵を描き始めた動機に関しては素直に賞賛できないものの、彼ならきっとわたしに相応しい器を創造してくれるだろう。


「ただなぁ……そうなると淳司をパパと呼ぶことになるのか。それはちょっと……さすがに遠慮したいような……」


 VTuberの界隈には担当絵師を親と見なす風習がある。

 そのため将来的には淳司がわたしの配信にスパチャで下品な文章を送ってきたり、わたしの父親面をしてリオ&レオに絡むことも十分有り得るわけだ。


「よしっ、淳司は用済みになったら物理的にどうにかするとして、秀治くんは……」


 将来はSEシステム・エンジニアになりたいという秀治くんの技量は現時点では未知数だ。だが、彼がもし自分でシステムを構築できるレベルにあるならこれほど頼りになる人材はいない。

 例えばVTuberの切り抜き動画には海外のファン向けに英訳の字幕が付いているものもあるが、ライブ配信のアーカイブにそのような処理がされたものは業界最大手のエルミタージュにも存在しない。

 そのことから推測できるのは、短時間の切り抜き動画に付けられている字幕はすべて手作業であり、VTuberの発言をリアルタイムで翻訳するようなシステムはまだ存在しないか、もしくはあっても精度が低くて使い物にならないのだろう。

 だからもし、彼がこのシステムを構築したらそれは大きな武器になる。エルミタージュへの手土産としてもこれ以上のものは思い付かない。


「もちろん、これだけ大きな仕事を……秀治くんにだけ任せるつもりはないよ。そのためになつきさんを誘ったんだもん。なつきさんなら……」


 物静かなクラスメイト・椎名なつきはわたしから見ても謎に満ちた存在だ。

 どれだけ本を読めばそうなるのかという知識量に加えて、オタ研で淳司の無茶振りに応えてTRPGのオンラインプレイ用のツールをその場で組み立てた彼女の力量は、門外漢のわたしには「なんか、すごい」としか言いようがない。


「なつきさんならきっと……それにまどかちゃんも……」


 甘い物が大好きでいつも食べてばかりいる彼女は、お父さんがラジオ局の職員だった関係で、子供の頃から芸人さんと付き合いがある。

 すでに放送作家としてもデビューしてるし、まどかちゃんから学べることは確実にわたしの糧になる……って、なんだか眠くなってきたよ……。


「それに、沙耶も、きっと……」


 その呟きを最後にわたしの意識は闇の中に落ちていった。

 そして翌日に案の定お風呂の中で爆睡したわたしは妹から大目玉を食らうことになった。


「たしかに寝る前に歯を磨いてお風呂に入ってねって言ったけどさ! 眠かったらお風呂の中で寝ていいからねって言ってないよね!?」

「はい、ごめんなさい……」


 肉体的な負荷はどんなにかけられてもへっちゃらだが、脳みそを使うとすぐ眠くなるのがわたしの欠点である。

 うん……頭もわたしの体の一部だから勉強ならオートで成功判定を突破できるんだけど、自力で考えたりするとこうなるから可能な限り脊髄反射で生きてるんだよね。

 だから脳筋って言われるのかなぁ……分かっちゃいるけどこればかりは自分でもどうにもならない。


「ああ、もうっ……お姉ちゃん寒気はする? 体を拭いたらちょっと熱を計ってみて?」


 結局わたしの身体はなんともなかったけど可愛い妹に心配をかけるものではない。

 沙耶の慌てふためく姿に、わたしはもうおねしょはしないぞっと己の魂に誓った子供の頃を思い出して赤面するのだった。



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