第9話 プロの被験者

 持ち前の能力を活かし、モミカは黄昏亭に馴染んでいった。黄昏亭には、いつも個性的な客が訪れたが、ミアの言う通り、小悪党が多かった。


 ネオ・バベル、ギョンゲ・チョルイ、ボル・マーカットの三つのスラム街のうち、ネイチャーがもっとも多く住むのはボル・マーカットである。第十三都市の東に位置するネオバベル、中央に広がるボル・マーカット、そして西に広がるギョンゲチョルイの三つの地区であるが、ボル・マーカットとネオ・バベルは比較的近く人の交流もあるが、西の外れにあるギョンゲ・チョルイは他の地区との交流が少ない。ボル・マーカットはこの中で最も大きく、人口も最も多い街であるが、後述の通りネイチャーの中での人種多様性は低い。


 モミカの両親もその企業で働いているECSは、三つの地区全体で食料の供給を行なっており、スラム街の住民たちが生計を立てる上で欠かせない存在となっている。ただし配給食料の味の評判は、すこぶる悪い。


 ECSをはじめ、デザインが経営する大企業が、ネイチャーの生活にも大きく影響を与えている一方で、ボル・マーカットには大規模な闇市が広がっている。闇市にはそれを取り仕切るマフィアも頻繁に見受けられる。この区画では権力争いが絶えず、マフィア組織が市民に影響を与えている。このマフィアたちは主にジョーやジョンウと同じような黒髪に切長の瞳で、ボル・マーカットは彼らが牛耳っている。


 対照的に、ネオバベルはマフィアの組織がそれほど影響を持たず、上納金の制度も存在しないため、黄昏亭のような個人経営の店が多い。規模は小さいが、締め付けがないので個性的な店が多いところが特徴である。ミアの言う『小悪党』あるいは『自然発生のろくでなし』とは、大きな組織の構成員ではない、という意味を含んでいるのだと、モミカは理解した。


「いらっしゃいませ」


 その日のモミカは、いつも通り、配膳ロボットとして接客をしていた。


 黄昏亭が開店をすると同時に、一人の女性客が姿を現した。まるでこの黄昏亭が彼女の家であるかのような自然さで、入店すると同時にたくさんの料理を注文した。モミカの記憶力を持ってしても、見覚えのない客であったが、ケティやジョーと親しい様子だった。


 身なりはこざっぱりとしており、真っ黒な髪をうなじで一つに結んでいる。おそらくケティよりも年上の中年の女で、化粧をしていないため、シワやシミが目立った。見事なまでの団子鼻に、ガタガタの歯並びは、美人の基準からはかけ離れていたが、清潔であること、姿勢が良いこと、表情が明るいこと、この三点が他の客とは違った。


 モミカはキッチンから出てきたジョーに、


「あの女性、何か特別なの?」


 と尋ねる。ジョーは微笑みながら


「彼女は面白い人だから話を聞くといいよ」


 と教えてくれた。モミカはそっと女性客に声をかけることにした。


「ご注文をどうぞ」


 女性は不思議そうにモミカを見つめた。


「……配膳ロボット・モミカです」


 じっと見つめられて気まずかったので、モミカは自分から名乗った。


「あら、そう」


 しばしの沈黙。


「私はミョンシラ。プロの被験者よ」


 ひけんしゃ。モミカは耳にした単語について考えをめぐらせてみたが、どう考えても、ミョンシラのいう被験者は、薬や食品の治験の参加者に違いなかった。


 デザインが経営する大企業は、少し前から人道的観点に照らし合わせて動物実験を禁止している。人工肉を製造するECSのような食品会社、製薬会社は、実験が必要な場合、治験を行う。


 もちろんデザインを生み出したほどの技術力を持ってすれば、培養した細胞を使っての実験など造作もないのだが、それでも生体に使った時に副作用が出る事例がないわけではなかった。食品も薬品も、どれだけ可能性が低かったとしても、副作用があるかもしれないものを売るわけにはいかないわけで、治験を行う必要があるというわけである。


「プロってどういうこと?」


 モミカが疑問に思ったのは、治験による報酬はもちろんあるものの、それで生活が立てられるとは思えなかったからである。もちろん副作用で死ぬような治験が行われるはずはないが、治験に危険が伴うのは当たり前のことで、そう何回も参加するようなものではないのではないか。


「私は被験者以外のことをしていない。安心しな、食い逃げはしないよ」


 ミョンシラはメニューの端から端まで注文した。


 次々に届く料理を、ミョンシラはあっという間にで腹に収めていく。あの細い体のどこに、とモミカは仮面の下の瞳を丸くしたが、ジョーやケティーをはじめ、黄昏亭の面々はその食べっぷりを見慣れているらしい。


 謎多き女は、店が閉まるまで食事を楽しんでいた。

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