第7話 赤毛のウェイトレス

 翌朝。モミカはゴソゴソという物音で目を覚ました。外はまだ暗い。部屋にかかっている時計を見るとまだ朝の五時だった。


「あ、ごめん。起こしちゃったかい?」


 物音の正体は、ジョーが身支度をする音だった。


 モミカは居間のソファに、布団を貸してもらって寝ている。黄昏亭の居住スペースとなっている三階は、昨夜夕食を食べた食事室と一体になった居間と、あとはケティとジョーのそれぞれの居室しかない。ケティは、自分が店に使っている二階で寝るから、モミカはケティの部屋で寝たらどうかと提案してくれたが、申し訳ないので丁重に断った。


 暖房設備は一応ついてはいるのだが、朝の黄昏亭は冷え込んでいた。寒い中、目を擦る。


「こんな暗い時間から起きてるの?」


 ジョーは首をすくめた。昨日と変わらないジャケット姿だったが、流石に寒いのか、赤いマフラーをしていた。


「まあね、一階の爺さんは早起きだから。一緒にくるかい?」


 正直なところまだ寝ていたかったが、もう明日はここにはいないのだし、せっかくならこの黄昏亭のことをもっと知りたい。そう思ったモミカは、頷いて伸びをした。


「モミカ、動きやすい服は持ってる?」

「うん、まあ」

「じゃあ昨日の制服じゃなくて、その動きやすい服にして。あと汚れるかもしれないから、汚れてもいい服がいいな。なかったら貸すよ」

「大丈夫よ、ありがとう」


 一階の住人はどんな暴れん坊なんだろう。服が汚れる心配までされるなんて。モミカは怪訝に思ったが、言われた通り、なるだけ汚れてもいいシャツとセーターとジーンズを選んだ。


 使わせてもらったソファを整え、顔を洗い、ピピカを枕の隣に置く。部屋は寒いが、ケティが貸してくれたパッチワークの布団は、とりどりの色合いが可愛らしいだけでなく、とても温かかった。あとでお礼を言おう。ポンとピピカの頭を撫でて、モミカはジョーの後に続いた。


「長靴は持ってないよね。これを履いて」


 ジョーの指示に従って、古い長靴を履く。ますます一階の住人の謎が深まった。そういえば、この三階の居住スペースでは、土足が禁止らしい。ジョーもケティも靴下で歩き回っている。モミカの家も、家の中ではスリッパを履くルールなので、馴染みやすかった。


 外付けの階段は、降りるたびにガタガタと音がする。


「中に階段作らないの?」


 とジョーに尋ねると、


「階段なんて作ったら、ますます中が狭くなるだろ」


 と返された。それもそうか。


「さあ、ようこそ。一階へ」


 やたらと重い扉を開けた先にいたのは……


「う、馬!?」


 一階はコンクリートが剥き出しになった広めの廊下と、部屋……というか、床におがくずを敷き詰めた馬房が一つあり、その中には金色のたてがみの馬がいた。


「大声出さないどくれよ。バロンはこう見えて繊細なんだ」


 そう言ってジョーはスタスタと馬房に入っていく。


「繋いだら触らせてあげるから、モミカはそこで待ってな」


 そう言われたので扉の前で立ち尽くす。ジョーが長靴を履かせてきた意味がわかった。馬房にはおがくずが敷き詰められていて、普通の靴で入るとチクチクするのだ。そういえばジョーは昨日も膝まであるブーツだった。なぜこんなスラムで馬を……?


 ジョーは手際よく馬の支度を整え、馬房の中に馬を繋いでから手招きをした。


「ほら、斜め前からゆっくり近づいて、首筋を撫でてごらん」


 こわごわ、豊かな立て髪をかき分けて、温かい首筋に触る。首の付け根から足先までは、モミカの背丈より少し低いくらい。全体的に丸っこく、腹まわりが太いずっしりとした体型だ。


「図鑑で見た馬より小さいのね」


 モミカはそれまで、生きた馬を触ったことがなかった。


「ハフリンガーって種類の馬なんだ。由緒正しきポニーだよ」


 ジョーの言葉に呼応するように、馬はぶるんと鼻を鳴らした。腹がわが白く、背中側がこんがりと焼いたパンのような茶色。立て髪と尾は金色だ。


「バロン」


 ジョーの真似をして名前を呼んでみると、ぶうぶうと鼻を鳴らして返事をする。馬なのに、ひひん、じゃないのね。バロンの肌は少しだけ湿り気を帯びていて、被毛は案外柔らかかった。


「なんで馬を飼ってるの?」

「移動したり畑を耕したり」

「機械を使えばいいでしょう?」

「デザインが作った機械は自分で直せない。馬は自然ネイチャーだ。対話をすれば応えてくれる」


 モミカはバロンとの触れ合いを楽しんでいた。温かな息づかいは、とても心地よかった。


「でもバロンは喋れないでしょう?」


 モミカが再び質問すると、ジョーは馬房の中で手際よく作業を進めながら答えた。


「言葉が喋れるからってうまく対話ができるわけではないだろう? 人間ってのは狩りをして暮らしていた時からずっと、家畜とともに生きてたんだ。何千年も。たった百年やそこらで家畜を飼わない動物に進化するわきゃないんだよ」


 学校で学んだ進化についての知識と照らし合わせても、ジョーの言っていることには一理あると感じた。バロンの吐く息で眼鏡が曇っている様は、ちょっとだけ可笑しかったけど。


 ネイチャー個人の知識量は、けして多くない。先ほどの話だって、何千年だの百年やそこらだの曖昧な知識で語っていて、正確な情報とは言い難い。ジョーは視力が弱いようだし、ケティは名前を頻繁に間違える。彼女らよりずっと人間を、モミカは何人も知っている。それでもモミカは、彼女らとの対話が、優秀なデザインとのそれよりずっと楽しかった。


 ジョーはバロンの世話が終わった頃、再びモミカに声をかけた。


「バロンの放牧地を見るかい?」

「もちろん!」


 モミカは笑顔で答えた。楽しい時間はあっという間に過ぎていく。




※※※




「赤毛のウェイトレスは彼女一人だそうだ」

「あ、ありがとう」


 あっという間に夕方になってしまった。モミカはジョーにつれられて、ネオバベルにあるレストランの一つを訪れていた。


 これで叔母さんに会って、おばあちゃんのことを教えてもらったら、家出は目的を達成してしまう。俯いたモミカは、そのまま頭を振った。これでいいんだ。


「あの……」


 おそるおそる、モミカはジョーが教えてくれたウェイトレスに話しかけた。


「何?」


 赤毛で薄いピンク色の肌をしたウェイトレスは、モミカを見るなり目尻を釣り上げた。


 結論から書けば、赤毛のウェイトレスはモミカの叔母ではなかったのだ。けんもほろろに突き放され、ジョーと二人で店を追い出された。


「……弱ったなぁ」

「そうね」


 ジョーに同調しながらも、心のどこかでほっとする自分に気がつかないほど、モミカは鈍感ではなかった。


「あのね、ジョー」

「ん?」

「……いったん、黄昏亭に戻ってもいい?」

「もちろん。ただ、もう店を開ける時間だ。かまってあげられないけどごめんね」


 モミカは無言で頷いた。宣言通り、黄昏亭に着くなりジョーはモミカを放り出して店に行ってしまい、ケティはすでにいなかったので、モミカは一人で三階にいた。バロンを放牧地から連れ帰る手伝いをしたかったのだが、それはジョーに、危ないからやめろと言われてしまった。


「あたしはどうしたいのかな」

「どうしたいのかな」

「うん。本当はわかってるんだけどね」

「うん。だけどね」


 居間でピピカに話しかけながら、モミカは自分の考えを整理した。


「あたし、もっとここにいたいな」

「いたいな」

「ここにいるには、どうしたらいい?」

「どうしたらいい?」


 ピピカを抱き上げ、その場を歩き回る。階下からは、何やら賑やかな話し声が聞こえる。店を開けているから当たり前なのだが、ジョーもケティも客にかかりきりで、こちらに関心を寄せてくれないことに、モミカはしょげこんでしまった。


「要は、ケティとジョーと、バロンの役に立てばいいのよね」

「いいのよね」

「あたしはジョーより目がいい」

「目がいい」

「あたしはケティより記憶力がいい」

「記憶力がいい」

「あたしはバロンと違って喋れる」

「喋れる」


 モミカはため息を吐いた。


「だから何? 全然ダメ」

「何? ダメ」


 自分の言葉を反復しているに過ぎないとわかってはいても、こうもきっぱりダメと言われては、ピピカが恨めしく思える。そんな風に言い切るのなら、少しは建設的な案を出してくれてもいいじゃないか。


「ピピカ、あなたはどうして高精度の人工知能を搭載してないの?」

「ピピカ、してないの?」


 我ながら馬鹿馬鹿しい八つ当たりをしているな、とモミカはうんざりした。ペラペラとおしゃべりな人工知能はたくさん見てきたけれど、どいつもこいつも小賢しくて気に食わないから、ピピカが話し相手なのではないか。


「八つ当たりしてごめんね、ピピカ。なんでみんなあんなもの欲しがるのかな。そりゃあこうやって行き詰まった時には、頼りたくもなるけど」

「ごめんね、ピピカ。欲しがるのかな。頼りたくもなるけど」


 ピピカの反復を聞いて、閃いた。


 そうだ。行き詰まった時には、頼れるものが欲しいのだ。例えば小さな文字を読まなければならない時、視力のいい人が近くにいたら? 例えば目の前の人の名前を忘れてしまった時、近くの人が覚えていてくれたら? 


 自然のものネイチャーには弱点がある。それならば、弱点を補うことで、お互いにとって良い関係が築ける。モミカに補えない弱点は少ない。なぜなら、なるべく弱点がないように設計デザインされているから。


「ケティとジョーに話してみよう」

「話してみよう」


 モミカはワクワクしながら二人を待った。どう言おう? 提案を受け入れてもらえるように頑張らなくちゃ。俄然やる気になって、モミカはその頭脳を活かして計画を練った。名付けて『お手伝いで住み込み計画』。計画を成功させるには、完璧な発表が不可欠。二人にいかに自分が役にたつ優秀な人間か売り込むのだ。幸いなことに、モミカは実際に優秀な人間だった。いささか子どもではあったけれども。


 仕事帰りの二人を捕まえて、モミカは『お手伝いで住み込み計画』関係者説明会を開催した。


 二人は最初こそ疲れた様子だったけれども、完璧な発表の甲斐あって、モミカは黄昏亭で正体を隠し、ウェイトレスとして店を手伝うことが決まった。ネオバベルには、赤毛のウェイトレスがもう一人誕生したわけだ。

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