第6話 黄昏亭の女主人

「……黄昏亭たそがれていって、ここ?」


 ジョーの後ろを歩いていたモミカは、こわごわ尋ねた。


「もちろん」


 モミカはピピカを抱く手に力を込めた。さすがのモミカも、デザインだらけのところで子ども向けのロボットを持ち歩く気にはならないが、危険なネイチャーがウロウロする場所では、大切なものはしっかり持っていたほうがいい。


 今はもうすぐ年越しという、冬の真っ只中である。制服の濃紺のコートに、黒いタイツとベレー帽という出で立ちのモミカは、だんだん体が冷えてきた。なぜマフラーも手袋もしないのか、といえば、デザインは基本的にトラムで移動するので、邪魔だからだ。


 黄昏亭はネオ・バベルの外れ、モミカが足を踏み入れた南側からちょうど反対の、北の端にあった。もっと北に行けば街を抜け、緑化のために植えられた街路樹の森に入ってしまう。街路樹の森には野犬や、スラム街ですら暮らしていけないネイチャーが潜んでいるという。


 だがモミカが、ここが黄昏亭か、なんて尋ねたのは、黄昏亭の位置の問題ではない。モミカは野犬もネイチャーも、さして怖くなかった。問題は黄昏亭の外観である。


 ティムのアパートらしき建物の小汚さにも驚いたが、黄昏亭も似たような……古さでいえばもっと酷い有様だった。外壁は風雨にさらされ、時の流れとともに歳月を重ねて傷んでいる。古びたレンガが積み重なり、よく見れば壁そのものが歪んでいて、素人が見よう見まねでレンガを積んで作ったのではないか、とさえ思える。


 三階建ての黄昏亭は、外側に鉄骨の階段が付けられており、そこからしか入れないらしい。カンカンカン、と無駄にけたたましい音を立てながら階段を登っていくジョーの背中を、モミカはのそのそと追いかけた。


「ただいま、ケティ」


 ジョーは朗らかに扉を開ける。部屋の中の熱気で、ジョーの眼鏡が一気に曇る。


「おかえり。遅かったじゃないか」


 ジョーに応えたのは、案外若い女の声だった。



※※※




「泣かせる話だねぇ」


 モミカの簡単な身の上話を聞き、そう言いながら、本当に涙ぐんでいる一人のネイチャー。


 彼女の名前はケティ。姓は同居人のジョーにも教えていないらしい。


 同居人だと言うから、てっきりジョーの親族だとモミカは推測していたが、まるきり肌の色が違うので、


「失礼ながら二人は血は繋がってるの?」


 と尋ねたところ


「そんなわけないでしょ。こんな似てないのに」


 と、返された。ケティの肌はジョーより濃い褐色で、髪の色は同じ黒だが、真っ直ぐなジョーの髪とは対照的に、ケティの髪はくるくると縮れていた。当たり前だけどネイチャーって見た目がてんでバラバラね、とモミカは目を擦った。良い意味でも悪い意味でも、見慣れないものを見すぎたのかもしれない。


「あの、ケティさん。それで、今晩泊めていただくことって……」

「子どもが気を使うんじゃないよ! 私のことはケティと呼びな。今度堅苦しい言葉遣いしたらくすぐりの刑だよ」

「は……うん」


 見た目は似ても似つかないし、血も繋がっていないらしいが、ケティはジョーと似たようなことを言った。それにしても、くすぐりの刑とは。ネイチャーの子どものような扱いに、モミカは困惑した。十歳かそこらの子ども相手でも、大人と同じような扱いをするのが、デザインの間では一般的なのだ。


 思いっきりはなをかんだ後、ケティは多少気まずそうに言葉を足した。


「あと、そうだ。これは私が不快に思ったとか、そういうことじゃないんだけどね、ネイチャーと話す時は見た目……しかも人種や民族に繋がるようなこと、あと性別と宗教の話はしない方がいいよ。失礼だって怒る人多いから」


 モミカはネコのような丸い瞳をさらに丸くした。


「人種? ネイチャーかどうかなんて見ればわかるじゃない。というかデザインはネイチャーとはっきり区別するためにこの肌の色になったのよ。まあ青い肌って自然に存在しないわけじゃないみたいだけど、ものすごく珍しいから」


 この、というために、モミカは自分の頬をつまんだ。珍しいゆえに自慢にも思っている赤い髪と違って、モミカにとって自分の肌の色は、教科書通りの意味、つまりデザインをネイチャーと区別するために、青い遺伝子を組み込まれた肌でしかなかった。そんなモミカの様子を見て、ケティはさらに言いにくそうに、


「いや、デザインかネイチャーかの話じゃなくて、ネイチャーの中での違いの話だよ。もっともデザインから見れば、私たちはみんな、おんなじネイチャー以外の何ものでもないのかもしれないけどね」


 そう言った。賢いモミカには、ケティの言わんとしていることがすぐにわかった。


「……血は繋がってるか、なんてきいてごめんなさい。あとジョーにもさっき失礼なこと言っちゃった」


 モミカは項垂うなだれた。


「あ〜。だから私が不快に思ったわけじゃないよ? ジョーは私にとって居候いそうろうの代わりに用心棒してもらってる人間であって、血が繋がってたらいいのになんて思ったことはないからさぁ」

「モミカ、私は嘘は少ししか言わない。特に隠してないし、気にしてないから。あとケティ、なんか言い方に棘がないか?」


 ジョーの言い分は華麗になかったことにして、ケティは熱弁を振るった。


「自分の生まれた環境に、その若さで疑問をきちんと持って、行動に起こしてることに、私は感動したんだよ。自分の機嫌をとるのも難しい年齢だろうにねぇ。だからネイチャーについて学べることは全部学んでってほしいんだ。おばあちゃんのこと、ちょっとでも深く知るためにね。私はネイチャーの専門家じゃないけど、当事者として教えられることは全部教えるよ。今のはその一例さ。私はあんたの味方だよ、


 せっかくの熱弁も、最後の最後で台無しである。しばらく沈黙が広がった。


、信じられないかもしれないけど、ケティに悪気はないんだ。ケティは人の名前を覚えるのがものすっごく苦手で。接客業なのにね」


 慣れっこなのか、ジョーはやれやれといった様子だ。


「そ、そんなことないよ、ジョー。ほら、ジョーの名前は間違えないでしょ?」

「じゃあ私の本名は?」

「ジョ……。ジョアンナだっけ?」

「ぶっぶー、ハズレ! ジョセフィンちゃんでした〜! それに頻度は減ったけど、ショーンとかリョーとかヨーコとか、とんでもない言い間違いされてるよ」


 反論できないのか、ケティは頭を抱えている。


 まさか姓を教えないの、忘れたからじゃないでしょうね。モミカは一抹の不安を覚えた。


「え〜っと。接客業というのは?」


 このままケティの記憶力の話をしていてもしょうがないので、話を変える。


「ここの二階でやってる酒場のことだよ。私は女主人でバーテンなのさ」

「それで私は用心棒」

「そう、ここは物騒な連中が多いからね。あとジョーは一階のあるじの世話もしてもらってるよ」


 一階の主って誰だろう? 荒くれ者のおじいさんでも住んでるのかな、というモミカの疑問を先回りして、ジョーがパチンと片目を瞑ってみせる。


「一階の住人は昼行性だから、明日紹介するよ。酒場といっても、ここはちょっと変わっててね。夕方から夕食を食べるくらいまで、黄昏たそがれ時しか空いてないのさ。今日は定休日だけど」

「酒場なんでしょう? それでお客が来るの?」

「夜の街に繰り出す奴は朝ごはん、夜に寝るやつは晩ごはんを食べに来るんだ。ネイチャーは朝から晩まで酒は飲む」


 デザインは基本的に酒を飲まない。アルコールへの耐性は非常に高いが、高いがゆえに酔わなくなり、酔わなくなったらよほどの好事家以外は酒を飲まなくなったのだ。飲めば酩酊することもあるネイチャーの方が酒を好むのは、この世の不思議の一つである。


「そんなわけでケティの料理は絶品さ。食べるだろ?」

「なにジョーが決めてるのよ。もちろん食べてもらおうと思ってたけど。もうできてるのよ」


 食卓にクロスをかけ、食器を並べると、分厚いミトンをしたケティが大きな鍋を持ってきた。


「さあ、召し上がれ!」


 ケティが鍋の蓋をとると、ふわっと涎を誘う香りが広がった。その香りで、モミカはようやく自分が腹が減っていたことを思い出した。思えば朝から何も食べていない。


 中身は、熱々のトマト鍋だった。真っ赤なトマトスープに浮かんでいる具は、キャベツと配給の培養肉だったけれど、鍋から立ち上る湯気は、まるで大地の生命力そのものが舞い上がっているようだった。


「いただきます」


 ジョーにならって軽く手を合わせて、ケティがよそってくれた器から、スープをすくう。木の匙ですくったスープは、なお湯気が出るほど熱かった。ふうふうと息で冷ましてから口に運ぶ。


「……美味しい。すごく」


 それはこちらをマジマジと見ているケティへの忖度ではなく、心の底から出た言葉だった。トマトの酸味と甘みが絶妙なバランスで調和し、それがうすっぺらいキャベツや培養肉の中に潜んでいた旨味を引き出している。鍋の中でじっくりと煮込まれた具材は、一つ一つが自らの素材の芳醇な香りを放っている。


「ほんとに美味しい。すごく」

「よかった。口にあって。隠し味はキノコなのよ。そんな大量に入ってないけど」

「どおりで香りがいいのね」

「あら、わかってくれるじゃない」


 それからは無言で食べることに集中した。


「残りはお米とチーズを入れてリゾットにしようね」


 そうケティに声をかけられた時には、鍋の中には具材は一つも残っていなかった。


「ご、ごめんなさい。二人の分とっちゃったかも」


 食に興味がない方だと思っていたので、モミカは自身の行動に驚いていた。


「そんなことないから安心しな。配給の培養肉も、これならイケるだろ?」

「……やっぱ、あれ、美味しくないわよね」


 モミカの両親が勤めるECSは、クローン技術による肉の大量生産に成功し、全国民に『最低限の栄養素』として配給できるだけの培養肉を開発したが、その味については褒める人は少ない。材質としては変わらないはずなのに、家畜をほふった肉を食べたことのある老人は決まって、あれは『本物』じゃない、という。モミカは本物を食べたいと思ったことは一度もないが、肉は好きではなかった。


 リゾットも美味しかった。これまた配給のチーズを作っているにもかかわらずだ。


「ケティはすごいのね。こんな美味しいもの食べたことないわ」


 モミカが言うと、ケティは白い歯を見せてニッと笑ってみせた。


「わたしゃ記憶力は悪いけど、限られた食材を最大限、美味しくすることにかけては天下一品なのさ。舗装されてない道みたいな凸凹でこぼこかげんだけど、そんな生き方も案外悪くないものさ」


 言葉とリゾットを味わっていたところに、ジョーが茶々を入れる。


「それじゃ、この子の名前は?」

「み、ま、……マミカ?」

「惜しいわね、モミカよ」


 モミカの怒涛の家出、第一日目は和やかに暮れていったのだった。

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