第5話 麗人
「よお、ティム」
そういってヒラヒラと手を振っている人物は、痩身でひょろりと背が高く、黒い革のジャケットとブーツを身につけていた。ブーツの踵は低めだが、歩くたびにコツコツと音がする。そして顔に見慣れないものをつけていた。目を
モミカは生まれて初めて眼鏡を見たので、闇に光る銀縁眼鏡を、奇妙な金属のカタマリとしか捉えられなかったのだ。
「お前か」
モミカに銃を向けたまま、赤毛の男は唸るように答えた。モミカは颯爽と現れた涼やかなハスキーボイスの持ち主を注視した。果たして敵か、味方か。どうやら赤毛のティムとは知り合いのようだ。
「ごめんよ、ティム。お前さんの
「そんなことないですけど」
モミカが口を挟むと、ハスキーボイスの銀縁眼鏡はヒョイと首をすくめた。
「そうかい? でもそのおっさんに着いていくのは得策じゃないよ」
「なら助けてくださる?」
「もちろん。そのつもりで声をかけたのさ」
眼鏡はピュウと甲高く口笛を吹いた。
「おい勝手に……!」
獲物を奪われかけているティムは当然のことながら抗議の声を上げる。
「どうする? ティム。お嬢さんから手をひくか、この早撃ちのジョー様と撃ち合うか、二つに一つだ。私としてはお前さんを失いたくはないんだがね」
早撃ちのジョーと名乗った人物は、ジャケットの内側に手を入れる。どうやら銃を持っているらしい。本人の態度を信じるならば、かなり腕前に自信があるようだ。
ティムはまた唸り声をあげていたが、やがてモミカに向けていた銃を下ろした。
「……もってけドロボー。ふざけた二つ名持ちやがって」
「私がつけたわけじゃないさ。ありがとよ。ほらお嬢さん、出口はこっちだ」
ここは早撃ちのジョーとやらを信用した方が良さそうだ。モミカはジョーの先導に従って歩いた。
間近でみるジョーは、なかなかの美形……とモミカは感じた。先ほどのふてぶてしいまでのやりとりに反し、年齢は二十歳ほどだろうか。黄味がかった淡褐色の肌に、釣り上がった目、鼻筋は通っているが鼻が高いわけではなく、唇は薄く、特に笑っていなくても軽く口角が上がっている。そして目を惹くのは、短く切られた癖のない髪の毛だった。烏の濡れ羽と文学的な表現を思い出すほど艶やかな黒髪。デザインの均一的な顔の造形に慣れたモミカには、新鮮な顔立ちだった。比べては悪いが、先ほどのティムのように服装がみすぼらしくないところが、印象が良い秘訣かもしれない。
「どうしてティムなんかに捕まったんだい? デザインのあんたがこんなとこにいるのも妙だがね」
好奇心からか、ジョーに尋ねられたので、モミカは思い切って洗いざらい話すことにした。今度は撃たれる前に殴り飛ばせる距離にいる。ジョーの態度が変わったらその時はその時だ。
モミカは手短に家出した理由を話した。ジョーは立ち止まり、静かに話を聞いていたが、モミカが話おわると、呆れた、とでもいうように、ヒョイと首をすくめた。この動作はどうもジョーの癖であるらしい。
「デザインも案外かしこくないんだな」
「なんですって?」
「だってそうだろ。『学校生活が上手くいっていない』、『母親とも上手くいっていない』、『死んだと聞かされていた祖母が生きていた』これだけで、こんなスラムに無計画に飛び込んじまうんだから。しかもティムが赤毛だから話しかけたって? あんたのおばあちゃんは赤毛だって決まったわけじゃないんだろ? しかも赤毛のネイチャーが何人いると思ってんだ。このネオバベルだけじゃなくてボル・マーカットにも、ギョンゲ・チョルイにもネイチャーはいる。少ないけど今あげた場所以外に住んでるのも。確かに赤毛は珍しいけど、あまりにも手がかりとして弱いよ」
案外ネイチャーもかしこいのね。モミカは軽く耳をかいた。正直、こう話せば納得するだろうと思って、大事な情報をいくつか省いていたのだ。
モミカは母親への反発心もあって、ネイチャーに対する嫌悪感はなかったが、それでも街で見かけたことがあるのは、物乞いだったり、いかがわしい格好の女だったり、機械に任せると費用が高額になりすぎるから雇われている、学校の精密機械を掃除しにくる業者だったり、地位ある人物ではなかった。偏った情報に触れるうちに、ネイチャーを見下していたようだ。モミカは反省した。
「……実は手がかりはもう少しあるの……です」
「普通に喋っていいよ。私もこんな喋り方だし」
「お言葉に甘えて。……この町のレストランに住み込みで働いてる叔母がいる。ここにレストランは多くないでしょ? 停留所からここまで歩いてくる間に、ちょっと悪い手段でお母さんの通信履歴を覗かせてもらったの。おばあちゃんからのメッセージはほとんど消されてたけど、一通だけまだ消されてないのがあって、アドレスとおばさんのことがわかったわ。普通に歩けば三時間もかからないのに、手間取ったの」
ジョーは片方だけ眉をあげた。
「へえ? で、その『ちょっと悪い手段』に使った端末は、物乞いの子どもにあげたから手元にありませんってわけか。足がつかないように」
「そう」
「で、おばあちゃんのアドレスは? 名前がわかるんじゃないのか?」
「それが無機質な配列だったの。ちゃんと覚えてるわよ? m69iah……」
ジョーは聞きたくないとでもいうように、顔の前で手を振った。ジョーは頭のいいネイチャーだが、単純記憶は苦手なのかもしれない。
「手がかりにはならなそうだな」
「レストランに勤めているおばさんに心当たりはない?」
「私は洒落たところにはあんまり行かないからなぁ。まあ二軒しかないから、明日にでも聞き込みに行けばすぐ見つかるだろうさ」
「え、今から行こうとしてたのだけど」
「もうこんな時間だよ?」
ジョーは空を指差した。日が沈みかけている。
「レストランなんだから夜も開いてるでしょう?」
「何かと目立つあんたが、客がわんさかいるとこに行ったらどうなると思う? いっとくけどここはスラムだぞ。ティムみたいなお行儀のいいヤクザもんばかりじゃない。あんたは腕に自信がありそうだけど、さすがに銃もった人間が何人もいたらヤバいんじゃないの?」
「……あのう、もしよかったら私と」
「断る」
「なんでよ!」
「今日は定休日だ。最低限の仕事しかしないと決めている。命の危険にある子どもがいたら助けるが、命を危険に晒す子どもに付き合う義理はないね」
またヒョイと首をすくめる。
「……わかった。宿をとるから比較的安全な宿を教えてくれない?」
「そんな金あるのかい?」
「実はね」
モミカはカバンからピピカを取り出し、スカートをめくる。内側に不自然な膨らみがあった。
「……へそくりがあるのよ」
「驚いたな。用意周到じゃないか。でもいいのかい? 大切なお人形のパンツが丸見えだけど」
「本当はよくないけど女性相手ならピピカも許してくれるわよ」
ジョーは切長の目を丸くした。
「その理屈はよくわからないけど、気づいてたのか」
「ふれない方が良かった?」
「いや。特に隠してないんだ。パッと見で女っぽいのは危ないのと、動きやすいからこのカッコなだけで。何よりかっこいいだろ?」
今度はパチンとウインクをしてみせる。
「そうね。似合ってるわ」
「茶目っ気はかかせないのさ。目も茶色だし」
確かにジョーの瞳は深い茶色である。ガラスに阻まれているが。
「話の筋が通ってないわよ。思いついたから口にしたんでしょうけど……。お洒落だけど、洒落は下手ね。あと似合ってるけど、顔の変なアイテムはとったら? 邪魔じゃないの?」
ジョーは先ほどよりもっと目を丸くしたのち、腹を抱えて笑い出した。
「いろんな意味で一本取られたよお嬢さん。あのね、これはね、……眼鏡って知ってる?」
モミカは青い顔を赤くした。
「し、知ってるわよ! かけた人見たことなかったけど! 視力矯正用でしょ!」
男装の麗人はしばらく笑っていた。
「宿をとるんじゃなくてうちに来なよ。大切なへそくりを使うことないさ。うちなら同居人に許可さえもらえればタダで泊まれるし、この区画のどこより安全だよ。ケティもあんたなら気に入るだろうさ」
「ありがとう、ジョー。いいの? そんなにしてもらって」
「旅は道連れ、世は情けってね。家出にも情けは必要さ」
「あなたって親切ね。お礼を言いそびれていたけど、助けてくれてありがとう」
「どういたしまして」
ジョーが手を差し出したので、モミカはその手を握った。
「ジョセフィン・カオル・リーだ。ジョーと呼んでね。よろしく」
「モミカ・チュンリコよ。モミカでいいわ。よろしく」
デザインの少女と、ネイチャーの男装の麗人は、固く握手を交わした。意気投合とはこのこと。災難にもあったが、モミカは朝、停留所で俯いていた時よりずっとイキイキしていた。
手を離すと、ふとジョーは真面目な表情になった。
「モミカ。答えたくなかったら答えなくていいけど」
「ん? 恩人の質問には答えるわ」
「さっきまでごちゃごちゃ言ってたのに調子のいい……嫌いじゃないよ」
ジョーは前髪をかき上げて、少し言い淀んだ。
「……モミカはどうしておばあちゃんに会いたいの? いや、理由がなきゃいけないわけじゃないよ。でも少し気になって」
モミカはしばらく黙っていた。ジョーに話したくなかったわけではなく、自分の中で言葉にするのに、少しだけ時間がかかったのだ。
「あたしね、デザインなのに変わり者なの。学校でもうまくいかないし、家でもうまくいってない。優秀に生まれたはずなのに、幸せだって思えないの。わがままかもしれないけど……。今ジョーと話していても、ティムに話しかけても、ネイチャーと違ってあたしは幸せとは思わなかった。むしろネイチャーもデザインも、そんなに変わらないんじゃないかって思う」
ちらりとジョーの反応を伺ったが、ジョーは真剣な顔のままだった。
「あたしがデザインなのは、お父さんもそうだけど、お母さんがデザインだから。お母さんがデザインなのは、おばあちゃんがそう決めたから。あたしは、あたしがなんでデザインに生まれたのか知りたいの。だから、お母さんをデザインとして生んだ理由をききたい。……答えになってる?」
ジョーは静かに頷いた。
「……よくわかったよ。話してくれてありがとう。うちに案内するよ。『黄昏亭』へ」
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