第2話 秘密
「モミカ・チュンリコ。自分が何をしたかわかっていますか?」
「……はい」
「ご両親にはすでに連絡させていただいています。反省するように」
「……………はい」
いやんなっちゃう。モミカは教員に見つからないようにこっそりため息をついた。
トラム内での暴力沙汰は、当然学校の知るところとなり、モミカは呼び出されて放課後、他の生徒が全員帰宅した今の今までお説教されていたわけである。
全員が記憶力がよく、身体能力も高いデザインの通う学校では、試験の結果をはじめとした量的な評価はあまり重視されない。比べたところで、どんぐりの背比べになってしまうからだ。もちろん際立って結果が悪ければ注意ぐらいはされるが、大半は体調不良が原因なので、別日程で試験を受ければ目標到達点に達することのできる生徒ばかりだ。授業は人工知能の開発したプログラムを受講し、授業内容の習得よりも授業時間内の他の生徒との対話を重視する。対話能力の他に、生活態度も厳しく評価される。
モミカの試験の成績はいつだって満点で、体力テストでも良い結果を残していたが、トラムの中でのような揉め事をよく起こすので、この学校の数少ない人間の教員には、扱いに困る生徒と認識されていた。
あたしなりに頑張ってるのにな。生活指導室の無機質な白い壁をぼんやりと眺めながら、モミカはゆっくりと首をまわした。
両親に連絡が入ったということは、母親が迎えにくるだろう。帰りのトラムに乗っていなかったから心配していたはずだ。
「ガイドリアン・セス先生、通話の要請が来ています」
生活指導室のスピーカーが合成音声で話しかけた。
「ああ、すぐに出ます」
ガイドリアン・セスは個人端末から通話に応じた。
モミカの学年の管理者であるガイドリアン・セス教諭は、中年の男性で、当然のことながらデザインである。青い肌に金色の瞳、髪は黒い。ガイドリアン・セスとフルネームで呼ばれるのは、もう一人セス教諭がいるからである。もう一人のセス教諭は、若いことも相まって熱血ぶりが煙たがられているのに対し、ガイドリアン教諭は冷静で優しいので、生徒からは人気がある。しょっちゅう呼び出されているモミカは別として。
「モミカ、お母さんが迎えにくるそうだ」
「はぁい」
ほらやっぱり……。モミカは肩を落とした。今日はお母さんが早く帰ってくる日だ、そうなると思った。あーあ。
モミカの両親は、エコキャルニスシンセシス (Eco Carnis Synthesis:通称ECS)という企業で培養肉の研究をしている研究員である。モミカが生まれてから交代で時短勤務をしており、今日は母親の方が早く勤務を切り上げる日だったのである。
モミカは母親が苦手だ。苦手というより、だんだんとモミカが大人に近づくにつれ、ソリの合わないところが目立ってきた。デザインの中のデザイン、完璧としか言いようのないモミカの母親は、それゆえに娘がなぜ揉め事ばかり起こすのか本気でわかっていなかった。
昔は良かった、とモミカは子どもらしからぬ感慨を抱く。昔、といってもつい二、三年前のことなのだが。そのように
やんなっちゃう。モミカは心の中で繰り返す。
それから数分後、モミカの母親、アイカ・チュンリコは黒いコートを着て現れた。
モミカと同じ赤い髪、金色の瞳、青い肌。モミカが歳をとったらこういうふうになるだろう、というぐらい似ている。ただしアイカが生まれた年代は、今よりも細面のキツネに似た顔が流行していたので、モミカより中顔面が長い。
遺伝子編集時代において、美はありふれたものだ。少しばかりの
瞳ではなく髪に前時代の特徴を残すのは、瞳の色は、近視になりやすい遺伝子を取り除くなど実利的な編集を行う際に、ついでに編集してしまうことが多いからだ。これだけ金色の瞳が流行しているのは、単に親たちの好みというより、遺伝子編集を行う医師の間でその技術が流行したことの証明でもあるが。
アイカ、モミカ親子の真っ赤な髪は、とても珍しい身体的特徴である。だからこそ目を惹くし、モミカはとても気に入っている。
しずしずという効果音が似合う物腰で現れたアイカ・チュンリコは、
「この度は娘がご迷惑を……」
と腰の低い態度でセス教諭のご機嫌をとった。アイカにこの態度をとられて、嫌な気分になる人間は少ない。セス教諭も漏れなく
「まあその、モミカさんは協調性がないだけで、非常に優秀なお子さんですので。頭はいいですよ。非常に」
なんて余計なことを口走るぐらいには、いい気分になっていた。
※※※
モミカは頭ごなしに怒る、感情をぶつける、といった効率が悪く、理不尽な教育は受けたことがない。したがって帰宅する道すがらも、帰宅してからも、母親に怒られる、といったことは一切なく、事情をきかれた後
「どんな場合も暴力を振るってはいけない。それに人の会話に割り込むのは良い趣味とはいえないわ」
と言われただけだった。
「それから、私は素人を力でねじ伏せる技術を教えたつもりはない。護身術は本当に必要な時に使いなさい」
こう言われたのは、モミカが先輩と相対した際に使った護身術は、アイカから教わったものだからである。
「ごめんなさい」
と謝れば、
「次からはやらないように」
で終わりだった。
親子の会話はそれから当たり障りのないものに変わり、父親が帰ってきて、夕食の時間になってもそうだった。天気のこと、職場の近くの花壇のこと、そんなことばかり話して、それで終わり。
「モミカ、明日までの宿題は?」
「ない」
「じゃあ、もう寝なさい」
「はい」
モミカは寝巻きに着替えて寝台に潜り込むと、深く深くため息を吐いた。十歳の誕生日に与えられた部屋には、モミカが一人だけ。ドアを閉めても何も言われない。気楽で、孤独だ。
モミカはベッドの上の人形に手を伸ばし、背中のボタンを押す。
「学校で嫌なことがあったの」
「嫌なことがあったの」
「先輩の話に首を突っ込んで喧嘩になっちゃった」
「喧嘩になっちゃった」
「あたし何か間違ったかなぁ」
「間違ったかなぁ」
人形の正体は、小型ロボット『おはなし人形ピピ第4世代』である。ロボットと言っても、先ほどの会話にもならない会話からわかる通り、おうむ返しができるだけで、ロボットというより人形と言った方がいいかもしれない。
青い肌に金色の瞳、髪が金色である以外はどこかモミカに似ている。幼児体型で、着せ替えができ、抱っこしてあげなければ動けないこのロボットを、モミカはずっと気に入っていて、ピピカという名前をつけてずっと話し相手にしている。
世界には高性能なロボットが溢れていて、それこそ学校で授業プランを提示してくる教育用人工知能や、カウンセリングをして適切な医療機関に繋いでくれるチャットAIなど、日常生活でピピカ以上に高性能なロボットを見る機会は、山ほどある。
それでもモミカは、人工知能と言えるかすら怪しい、この人形に愛着を持っている。
「お母さんは今回も怒らなかったわ」
「怒らなかったわ」
「でもがっかりしたと思う」
「がっかりしたと思う」
「怒ってほしいわけじゃないの」
「わけじゃないの」
「……本当のところ、お母さんはあたしのことなんかどうでもよくて」
「ところ、どうでもよくて」
「揉め事を起こさなかったら学校には来ないし」
「来ないし」
「あたしのやってることに関心はないんじゃないかって思うのよ」
「ないんじゃないかって思うのよ」
おうむ返しの答えがあるだけで、考えは整理されていく。ピピカの可愛らしい合成音声ならばなおのこと、自分の考えをじっくり聞ける。小さな子どもに話しかけるように、友達のいないモミカは、愚痴を言いたい時はピピカに話しかける。
同年代の女の子が、愚痴をこぼす相手は友達や、ませた子は恋人……少なくとも人形ではないことはモミカだってわかっている。こういう些細な『変わっている』ところがつもりつもって、学校での出来事のような揉め事に発展していることもわかっている。でも、愚痴をこぼされる側の人間は、嫌な思いをするんじゃないか、だったら人形に愚痴を言うあたしの方が理にかなっている、なんて心の中で反論する。
「みんなおんなじような顔して、おんなじようなことして、デザインなんてバカみたい」
「顔して、ことして、デザインなんてバカみたい」
「友達が何よ、その子もおんなじような顔して、おんなじようなこと思ってることを確かめて何が面白いのよ」
「何よ、おんなじような顔して、何が面白いのよ」
そうだ、デザインなんてバカみたい。あたしはそう思っているんだ。モミカはピピカをぎゅっと抱きしめた。
「こんなふうに些細な違いを気にして、みんなで同じようなことして同じように思うことの何が面白いんだかわからない。恵まれざるネイチャーに会えたなら言ってやりたい。大金叩いて子どもをデザインにするのはやめておきな、少しばかり優秀になれても、その子の未来には退屈な日々が待ってるって!」
「違いを気にして、何が面白いんだかわからない。言ってやりたい。退屈な日々が待ってるって!」
ピピカの放った言葉の語気の強さに驚いて、モミカはそっとピピカの金色の頭を撫でた。もうやめよう、夜中に考え事をしてもいい考えは浮かばない。モミカはピピカのスイッチを切り、一緒に布団をかぶった。
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