エディテッド・ブルー

刻露清秀

第1話 退屈

 退屈。


 そうだ。あたしは退屈なんだ。


 十三歳のモミカ・チュンリコは、通学用のトラムの中であくびを噛み殺していた。青い肌に赤い髪、目尻の釣り上がった金色の瞳。ぱっちりとした大きな目が特徴的で、艶のあるまっすぐな髪は肩のあたりで切り揃えられている。全体的に猫を思わせる顔立ちのモミカは、美少女と言って差し支えない。猫のような美少女は、冬の朝に特有のあの暗さの中で、モゾモゾと座席に座り直した。


 第五中学校行きの路面電車トラムには、モミカと同じ濃紺の制服を着た生徒が、決められた座席に座っている。全員が青い肌の『デザイン』である。


 デザインとは、昔はデザイン・ベビーとかデザイン・ヒューマンと呼ばれていたこともある、遺伝子編集技術を使って生まれた人間のことである。科学技術の発達のつねとして、自然に反する、倫理的に問題がある、と猛批判されたこの技術だが、自然交配の人間と区別できるよう肌を青く染色すること、一組の夫婦が遺伝子編集技術を使って持つことができる子どもは一人までとすること、この二点が国際法で取り決められると、またたく間に世界各地でデザインが生まれるようになった。


 最初は医療目的で行われることが多かった。例えば遺伝病を持つ夫婦が子どもを望んだ場合、肌は青色になる代わりに遺伝病のない子どもを産むことができる。このような事例はさして反発を呼ばなかった。


 それから十年も経たないうちに、世界は一変した。知能、身体能力、生まれながらの能力は全てが思いのまま。自然交配で生まれた子どもに比べて、圧倒的に優秀なデザインは、差別や偏見と闘いながらも、どの分野でも高い地位を得た。


 政治、経済、学術、芸術。今、世界の覇権はデザインが握っている。遺伝子編集を行わない自然交配で生まれた人間、『ネイチャー』はどこの国でも被支配層である。モミカの暮らす街では、ネイチャーたちはスラムにまとまって暮らしていて、善良なデザインの中学生とは顔を合わせることすらまれである。


 遺伝子編集技術は高額な費用がなければ使えない。成功したデザインは、子どもをデザインにし、これが連鎖していく。遺伝子による格差の誕生である。科学は持てる者と持たざる者の差を、これまでにないほど、くっきりと示したのである。


「つまり我々には恵まれざるネイチャーに対して義務があるというわけさ」


 通学トラムの中で、一人の生徒がこんなことを口にした。


 どういう会話の流れで、そんな発言が飛び出したのだろう?


 ちょうど退屈していたモミカは、聞き耳を立てることにした。話し声の主は、緑色のネクタイをしている、モミカの一学年上の男子生徒だ。顔見知りだが仲がいいわけではない。単なる先輩。


「だって可哀想だろう? 劣っているんだから」


 話しかけられている方は生返事をしている。


 可哀想……。


 その言葉に少々ひっかかりを覚えたモミカは、先輩の発言を反芻してみた。


 我々、つまりデザインはネイチャーに対し義務を負っている。ネイチャーは劣っていて可哀想だから。ネイチャーが劣っていて可哀想かどうかは別として、先輩の主張の主語はデザインで、述語は義務がある、である。どのような義務であるかがはっきりしない。


 先輩はふん、と軽く鼻を鳴らした。


「旧人類は哀れむべき存在というわけだ。全く我々は幸福だよ。生まれながらに彼らよりずっと優秀だ」


 なるほど。モミカは先輩の主張を理解した。主語はデザイン、述語は哀れむ義務がある。何故? 劣っていて可哀想だから。可哀想という言葉は言葉そのものに哀れみを含むので、述語と意味が重複するが、デザインは劣っているネイチャーを哀れむべきである、というのが主張の本旨である。


 それに対し、自分はなぜを覚えたのか、モミカは考察する。


 ひっかかりというのは、つまり主張に対し穴があるように感じている、ということだ。どうもネイチャーは劣っているという発言に、納得していないように思う。


 遺伝的に劣るだとか、優秀だとかいう議論は、旧時代なら優生思想と忌避されるが、出生は金銭でどうとでもなる現代においては、さほど倫理的に問題があると捉えられない。旧時代における『あいつは金持ちだ』と、現代の『あいつは生まれながらに優秀だ』は同義なのである。では『あいつは貧乏だ』と『あいつは劣っている』は同義なのかどうか。そこまで考えて、モミカは自分が感じた違和感の正体がわかった。


「……私たちが優秀であることを再確認するために、ネイチャーを見下す必要性は特にないと思います」


 モミカの声は、ただの独り言で済ませられるほど静かではなかった。トラムの中で、一瞬の沈黙が広がる。先輩は振り返り、興味津々の目でモミカを見つめた。


「え〜っと。モミカ……」

「モミカ・チュンリコです。すみません。耳に入ってしまって。でも、先輩の主張は、自分たちの優越感を確認するために、他者を見下す必要があるってことじゃないですか? それって矛盾しているような気がします」


 モミカにとっては、退屈まぎれの何気ない議論のつもりだった。


 だが先輩にとっては、この赤毛の少女は、ふっかけたつもりもない議論に生意気にも参戦してきた下級生である。興味はあったが、同時に不愉快でもあった。


 先輩の目に映るモミカは、金色の目をこちらにひたと向け、挑発しているようだった。実際には退屈で眠りかけていたので、目を細めていただけなのだが。


「……トゲのある言い方はやめてくれないかな。どこを切り取って聞いたか知らないけど、盗み聞きとは関心しないな」

「すみません」

「わかればいいんだ」


 生意気な後輩を謝らせることができて、いい気になったのも束の間、モミカは黙ったわけではなかった。


「でも」


 モミカとしては、先輩を困らせたかったわけでも、謝らせたかったわけでもない。ただ矛盾していると思ったから指摘しただけなのだ。


「哀れむ義務という言葉も変です。憐憫れんびんの情は勝手にわきあがるもので、義務付けられるものではないと思います」


 繰り返しになるが、モミカは先輩になんらかの不快な感情を抱かせたくて、このような物言いになっているのではない。矛盾していると思うと、指摘せずにはいられないだけ。


 モミカのこうした性格的な特性は、デザインなら誰でも持っているわけではなく、モミカ独自のものであった。法で定められた青い肌に、モミカの世代で流行している猫のような顔立ちは、一般的なデザインそのものだが、気になったらすぐに口に出してしまう性格と、一言ひとこと多い物言ものいいと、ついでに真っ赤な髪の毛は、周囲とは異なっている。


 変わり者、協調性のない子、うっとおしい子。そういった評価をつけられる子どもは、遺伝子編集により、金さえあれば優秀になれる世の中になっても、存在するというわけだ。


 モミカったらまたやってるよ。同級生がヒソヒソ話しているのが聞こえる。同級生からしてみれば、モミカが揉め事を起こすのはいつものことだった。


「あのねえ」


 さて、モミカに議論を仕掛けられた先輩とて、デザインである。知能は非常に高く、温厚でもある。しかしながら、今まで似たような性格のデザインとしか接したことがないので、あまり関わりのない後輩の、生意気な態度に戸惑っていた。先輩が黙っているので、モミカはもう一つ疑問をぶつけた。


「そもそも何で朝からネイチャーがどうの、デザインがどうの、なんて話になったんです?」


 勝手に会話に割り込んで、議論をふっかける態度はともかく、モミカの疑問はもっともである。その質問には、先輩に一方的に話しかけられていた方の生徒が答えてくれた。


「こいつ、街でネイチャーの女に逆ナンされていい気になってんのさ」


 ひそひそ笑いをされるのは、先輩の番だった。誰かがピュウと軽く口笛を吹いた。出来がよかろうとトラムの中にいる学生たちは思春期真っ盛り。他人の色恋沙汰に興味津々である。変わり者の妙な行動より、見知らぬ女に先輩が鼻を伸ばして自慢話をしていたことの方が面白い。


 自分から話しかけていた同級生はともかく、後輩にも笑われ、恥をかかされた怒りは、モミカに向かった。怒るくらいなら最初から、通学中に自慢話なんてしなければいいのだが。


「さっきから黙って聞いてれば……」


 先輩は立ち上がり、大股でモミカに近寄る。笑い声は心配のざわめきに変わる。


「おい」


 詰め寄られて、モミカは座ったまま先輩を見上げる形になる。この先輩、名前も覚えてないけど、あたしと同じ金色の目なんだ、なんか嫌だな。モミカは気付きを得た。ちなみに、青い肌には金色の瞳が映えるので、デザインには金色の瞳を持つ者が非常に多い。


 動いているトラムの中を器用に歩いてきた先輩の顔には、数本の静脈が浮かんでいた。


 あ、と思う間もなく、胸ぐらを掴まれる。ここまできてようやく、モミカは先輩を怒らせたことを理解した。


「え〜っと。ごめんなさい?」


 すでに怒っていた先輩に、このモミカの態度は、火に油を注ぐだけだった。


 モミカの眼前に拳が迫る。


 それまで遠巻きに見ていた生徒の誰かが悲鳴をあげた。


 年上の、しかも男子生徒に殴られては、モミカとてひとたまりもない。


 このトラムには運転手が乗っていない。自動運転である。したがって騒ぎを止める大人はおらず、ようやく腰の重い上級生たちが止めに入ろうとした瞬間の出来事だった。


 パシ。


 見守る生徒の予想に反し、やけに軽い音がした。


 怒りにまかせ、かなりの速度で振り下ろされた先輩の拳は、最も簡単に払われてしまったのだ。


「暴力は良くないと思いますよ?」


 相変わらず飄々とした態度を崩さないモミカ。その顔をめがけてもう一発、拳が振り下ろされる。


「あ〜もう」


 次の瞬間、吹っ飛んだのは先輩の方だった。


 学生とはいえ、そこそこ背の高い先輩が、くの字になってトラムの通路を転がっていく。少し遅れて、誰か女子生徒が悲鳴をあげた。


 腹に一撃、拳をくらって、先輩はしばらくうずくまっていた。


「……やれやれ。ごめんなさい。一応、正当防衛だと思うんですが」


 モミカが差し出した手を、先輩はとらなかった。

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