3話 急転
健介は、前方からやってくる車が明らかに自分たちを避ける気がないのに気付き、土手の方に逃げる。
「灰咲!」
車は衝突寸前のところで急カーブして、車体を男にぶつける。さすがにあの男でも吹き飛ぶ。
「え……」
健介は唖然として車を見つめる。しばらくして扉が開き、中から一人の男と女が現れる。
男の方は真っ黒なカウボーイハットを被り、口元を真っ黒なマフラーで覆っている。それに、シャツやズボンまでもが黒ずくめで、どこかイタイタしさを感じる服装である。
女の方はヘソ出しのパーカー、カーゴパンツを身につけている。露出しているお腹には、綺麗に薄く割れている腹筋が見えている。
「誰……」
健介はもうなにがなんだか分からずに、静かに土手の茂みから様子を伺う。
「灰咲、一人でよく頑張った」
黒ずくめの男はそう言いながら、車で吹き飛ばした大男を睨みつける。大男は吹き飛ばされてもなお立ち上がる。
「痛ぇな……増援が来ちまったか」
「
健介は老夫婦が熊に殺された事件を思い出す。だが、あの男はどう見ても人間だ。熊のような体はしているものの、歯や爪までは熊ではないだろう。
それで割り切れたはずだが、健介は灰咲の腕が獣のようになったのを思い出す。もしかしたら、熊坂と呼ばれたあいつも、変身するのかもしれない。そう健介は思った。
熊坂はコートを脱いで、軽くストレッチを始める。
「俺だったらなんだ?」
「ただの犯罪者だ。ここで捕まえさせてもらう」
黒ずくめの男は飛び上がる。が、降りてくる気配がしない。健介はとっさに上を向く。そこにはまたもや衝撃的な景色が広がっていた。なんと黒ずくめの男の腕がカラスのような羽になっていたのだ。さらに、足までもカラスのようになっている。黒ずくめの男の足には弓が構えられている。鳥の足でも器用に持ってみせた。
「弓ぃ? 随分と古い武器じゃないか」
熊坂は上を見上げながらせせら笑う。そこで女が動き出す。女はとても人間とは思えないような跳躍をして、熊坂にドロップキックをかます。熊坂はよろめく。
「くっ……」
苦々しく声をあげながら、熊坂は女の顔に向かって拳を叩き込もうとするが、女は熊坂の腕を蹴って防御をする。
「いちいち痛いな……」
「うふふ。パンチも得意なのよ?」
女は空手のように腰を低くして構え、思いきり右腕を熊坂の胸板に叩き込む。熊坂はまた2、3歩後ろによろめく。
熊坂はその状態でも速度を落とすことなく、女に向かって走り出すが、上空から弓矢が降り注いできてその右肩に刺さる。
「鳥の脆弱な筋肉でも扱える弓だよ。残念ながら威力は高いけど」
黒ずくめの男は上空から一方的に矢を放ち続ける。
「くそっ……」
熊坂はついに逃亡を開始する。
「逃すな!」
黒ずくめの男はそう言って、翼を羽ばたかせながら熊坂を追う。女も異様な速度で追いかける。健介もこっそりと戦闘の様子を追いかけた。
女はついに熊坂に追いつき、その肩を掴む。すると熊坂は急に止まった。
「あら?」、と女は驚いた顔で言う。
熊坂は「うぅぅっ!」と呻く。すると、熊坂の体が一気に肥大化して、体の至る所から毛が生えていった。体の形状も変化していき、ついには熊のようになった。いや、ようにではない。完全に熊になったのだ。
健介は口をぽかんと開けて熊坂を見つめる。
「今朝も
熊になった熊坂は、流暢な日本語で話す。
「面倒くさい……だが残念だったな」
黒ずくめの男はそう言いながら、ゆっくりと降りて着陸する。熊坂は首を傾げる。
「どうした? ……って、なんだ……?」
熊坂は突然ふらついて、終いにはそのまま倒れてしまった。
「熊用の睡眠薬を矢に塗って正解だったな。そんじゃあ回収するぞ」
「はいはーい」
黒ずくめの男と女は車のほうに戻っていく。その途中で、土手で倒れている灰咲にも近寄る。
「灰咲、戦闘は終わった。早く行くぞ」
「うん。ありがとね。あとさ、もう一人いるんだけど気付いてた?」
「え……」黒ずくめの男は雰囲気に似合わぬ間抜けな声を出す。
「私のクラスメイト。あそこにいるよ」
健介は肩をこわばらせて逃げようとするが、もう目の前には女がいた。
「この子のことかしらー?」
「ち、違い」
違います。と言いたかったが、先に灰咲が「うん」と答える。
「あらあら……あまり私たちの活動は見られてほしくないのだけど。秘密にできる?」
健介は首が折れるくらい激しく頷く。
「じゃあいいわ」
健介は安堵の息を漏らすが、「駄目だ」と黒ずくめの男がきっぱりと言う。
「いいじゃなーい。でもあら? あなた、匂いがするわね」
健介は首を傾げる。確か、熊坂も同じようなことを言っていたのを思い出す。
「まだ匂いが薄いし、新人さんかしら?」
「な、なんのことですか? 俺、全然分からなくて」
すると灰咲がよろよろと立ち上がり、健介と女の方に近寄っていく。
「大上(大上健介)も目的地は同じだし、車に乗せて行ってあげたら? その中で説明しよう」
「あら、柳生病院に用があるのかしら? それじゃあ一緒に行きましょ」
一緒に? 病院は今の事件と何か関係があるのか? と困惑しながら、健介は仕方なく着いていく。
四人で車に乗り、運転しているカラスの男はアクセルを踏み込む。
「それじゃあ軽く自己紹介だな。今から任務に行くし」
「え、えぇ!? なんで僕も」健介は苦言を呈する。
「そりゃそうだ。お前、もしかして気付いてないのか? 自分が動物みたいになっているのに」
健介はハッとする。
「知ってるんですか? なにか」
「分かった。多分かなり長い話になるからよく聞いておけ」
助手席に座っている、格闘家のような女は苦笑いしながら「あなたの話、本当に長いからね」と言う。カラスの男は無視する。ちなみに、健介の隣には灰咲が座っている。
「まず、俺らは全員動物の力を持っている。先ほどの戦いを見たら分かるだろうけど。それで、熊坂みたいなやつは動物の力を使って犯罪を犯す奴だ。俺らはそんな犯罪者たちを取り締まっている」
熊坂は現在、人の姿で車の後部でぐっすり眠っている。
「それで、犯罪者たちに動物の力を与える悪徳業者がいるんだ。そいつらは犯罪者やらヤクザ、なんなら海外のマフィアとグルになって金を稼いでいる。そして柳生もその一人だ」
健介はあまりにも現実離れした話に耳を塞ぎたくなってしまう。
「そんな……じゃ、じゃあ柳生先生は僕を手術する時に……」
「お前、なんかあったのか?」、とカラスの男は尋ねる。
「はい。半年前に交通事故に遭いました。それで柳生病院に通うことになって、退院後に自分がおかしいことに気づいたんです。そもそも、僕、事故以前にも持病がありまして、体力が全然ないし、過呼吸になったり。それも治ったんです」
「そうか……」
三人は黙り込む。
「悪いけど、柳生はかなりのサイコパスだ。お前の体に、動物の力を与えるだけじゃなくて他にもなにかしてるかもしれない」
それを聞いて健介は恐怖で気持ち悪くなる。これだけじゃないとしたら、何があるのだろう。それを考えるだけで健介は不安で押し潰されそうになった。
「とにかく、俺はお前と会えて良かったよ。というか、お前一人で病院に行ってたら柳生のオモチャになっているところだったな」
健介は日常が遠のいていく気がして、涙目で移りゆく景色を眺めていた。すると、灰咲が健介の肩をさする。
「落ち着いて。大丈夫だから」
健介は余計に泣きたくなった。いつも無愛想な、そして憧れの灰咲が優しそうに微笑んでいたからだ。
「今は楽しいお話をしましょ」
そこで格闘家の女がパチンと手を叩く。
「皆んなはなんの動物の力か紹介しましょ。この黒ずくめの厨二病はカラスの能力よ」
健介は少しだけ笑う。
「で、私がカンガルーの力なの。乙女なのに腹筋とか割れてて少し恥ずかしいわ」
「いやいや、だったらわざと腹出すような服を着るんじゃない」
カラスの男は苦笑いをしながら言う。健介は、カンガルーがキック力あったり筋肉がすごいことをなんとなく思い出す。とはいえ、格闘家みたいな女はボディビルダー、と言うよりかは細マッチョと言う方が正しい体をしている。見ただけなら、運動が好きな美人、というイメージが強い。
「それで、灰咲ちゃんは?」
話を振られて、灰咲は「狼」と端的に答える。
「多分だけど、大上も狼じゃない?」
灰咲は笑いながら言う。健介は、最初は冗談かと思ったが、嗅覚やら肉が好きになったことを考慮すると、そうかもしれないと考える。
「さ、雑談は終わりだ。もうすぐ着くぞ」
カラスの男はそう言う。
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