2話 事件
異変を感じてから一日が経ち、健介はいまだに自分の行動を信じられずにいた。母に気を遣わせるのが嫌なのか、今まで通りの量の朝食を食べた。だが足りるはずもなく、行きの途中でコンビニに寄っておにぎり四つとチキン三つを平らげた。
他にも、路地で走ってみたり、時間がまだあるので、公園で人生最初の鉄棒をやってみたりもした。
健介は体が動くことは嬉しかったが、やはり複雑な気持ちだった。
公園から出ると、ちょうど同じ学校の制服を着ている女子と出会う。健介は、その人物の顔を見て胸が高鳴る。
校則が厳しいのにも関わらず、灰色がかったロングヘア。背は150後半と低めでスタイルは抜群。顔も相当な美女でありながら、人を殺すかのような冷たく鋭い目つきが特徴的な女性だ。
「あ、
灰咲という健介のクラスメートは、怖がられながらも男子人気は高い。無論、健介も彼女に密かに憧れを抱いているわけだ。
「
健介は頷く。が、すぐにそれを後悔する。クラスメートは、健介が運動している姿など見たことないからだ。
「え、あんた運動できないだの言ってたけど嘘だったの?」
「い、いや、えっと……ただ触ってただけ。棒を」
灰咲はフッと微笑む。
「嘘がヘタクソ。まあいいよ。黙っててあげる代わりにジュース奢って」
健介はホッとする。なにせ、嘘をついてまで体育を休んでいる愚か者だとクラスにバラされずに済むからだ。実際はそんなことはないのだが、「体がおかしくなった」など言っても、頭がおかしくなったとしか思われない。
「これちょーだい」
灰咲はコーラーを指差す。健介は電子マネーを使ってコーラーを買い、灰咲に手渡す。
「ありがと。てか、あんたとあんま話したことないね」
「うん……」
健介は灰咲が美人すぎるせいか、不審者のようにチラチラと顔を見たり見なかったりしている。いや、単純に健介が女性に慣れていないだけだろう。灰咲でなくてもこんな反応をする。
二人は喋ることもなく、静かに学校へ向かう。道中、他の生徒にカップルかと見間違われる度に健介は恥ずかしい思いをした。
校門前に到着して、灰咲は「んじゃ、またね」と言いながらトイレに向かう。健介は「う、うん」と不器用に答えて教室へ向かった。
教室に入って、健介は普段とは雰囲気が違うことに気づく。皆んなして、眉をひそめながらスマホを見ていた。
「これ、どうしたの?」
健介は席に座りながら、右前にいる冬馬に話しかける。
「今朝のニュース見なかったの? ここ近辺に熊が出たって噂だよ」
「熊? こんな所にいないでしょ」
「そうだけど、ニュースでは、老夫婦の死体に熊と思われる噛み跡とか爪痕があったらしい。かなり
「そうなんだ……」
健介は少しだけ怖くなる。熊の実物など、動物園でしか見たことがないが、あれは飼い慣らされている熊だ。野生の熊など、見たことがない。
そして時間は過ぎていき、ホームルームでも熊に関しての注意を担任の男は告げる。
今日も、熊の事件があったこと以外は普通の学校生活が終わる。
帰りのホームルームが終わり、生徒たちは早々と帰宅する。健介は母親の迎えの車に乗って家に帰る。
帰ってきて早々に母親は着替えだの化粧をして、一時間後には綺麗な格好で玄関の前に立っていた。
「私、今日友達とご飯食べに行くから。冷蔵庫に作ったパスタ入れてあるから、温めて食べてね」
「うん」、と健介。
そして健介の母親は家を出て、自転車で出かけに行く。健介はその隙を狙って家を抜け出す。柳生に言われた通り、独りで病院に向かっているのだ。
健介は鼻に注意を注ぐ。食べ物や人、木の匂いなと、様々な匂いが健介の鼻腔を刺激する。
「やっぱ……犬みたいだな」
健介はポツリと呟く。自分の爪や脚を見ても、普通の人間だった。
十字路を左に曲がったところで、健介は記憶にある匂いを嗅ぐ。朝に出会った灰咲の匂いだった。健介は、やましいことだと分かっていても、灰咲の匂いを追ってみることにした。もちろん、当初の予定を忘れていることはない。
左に曲がった後に次は右、続いてまっすぐに進んで、曲がり角。そこを左に曲がろうとすると、なんと灰咲とバッタリ会う。
「「うわ!」」
二人は同時に叫ぶ。
「び、びっくりした……なんであんた、ここにいるの?」
「え? あ、さ、散歩だよ。ただの散歩」
灰咲はムスッとした顔になる。
「嘘ついてるのバレバレ。もしかしてストーカー?」
おっしゃる通りです。なんて健介に言う勇気はなかった。
「びょ、柳生病院に行こうと思ってただけだよ。入院後も定期的に行かないと駄目だし」
「へー。偶然ね。私も病院に向かっているところだけど、逆方向よ?」
健介は「うっ」と声を出す。
「車に乗って行ったり来たりしてたから、歩いてのルートが分からなかったんだ」
「おお、けっこう上手な嘘。いいじゃん、一緒に行こ」
健介は苦笑いしながら灰咲に着いていく。
およそ15分が経ち、人通りの少ない、川沿いの道を歩いているところ、健介は変に匂いを嗅ぐ。本能の奥底から危険だと訴えるような、獣の匂いだ。
健介は匂いのした方向をとっさに視線を向ける。灰咲も同じ方向を睨んでいたのは、この際健介からしてみればどうでもいいことだった。
そして現れたのは……中年の男だった。堀が深く、欧米人を彷彿とさせるような顔つきだ。身長は2mを超えている。服装はボロボロの茶色のロングコートを羽織っていて、その下に黒色のシャツとズボンを身につけている。
「お前か……」
男は灰咲を睨みつけながら大股で近づいていく。
「ね、ねぇ、あの人知り合い!?」
健介はあまりの恐怖で後退りする。だが灰咲は腰を低く構えて臨戦体制を取っている。男が灰咲に殴りかかろうとした瞬間、灰咲の腕に獣のような毛が生え、さらには爪も生えた。
健介は尻から地面に倒れ、訳のわからない光景を間抜けな顔で凝視している。
灰咲はとても人間とは思えないようなステップで男のパンチを避け、鋭い爪で男の腕を切り裂く。だが男の腕は切断するどころが、浅い傷しかない。
「残念だな」
男は丸太のような腕を振りかぶって、思い切り灰咲の腹を殴る。
「うぅっ!」
灰咲は悲痛な叫び声をあげなから後方に吹き飛ぶ。男はパキパキと指を鳴らしながら倒れる灰咲に近寄っていく。だが、腰を抜かしている健介の前で立ち止まる。
「ん? お前からも匂いがするな」
「な、なんのことでしょうか……」
男は軽々と健介のことを持ち上げる。いくら健介が軽いからといっても、片腕でひょいと持ち上げるのはこの男の腕力を十分に示していた。
「そうか、お前は新人なんだな。悪いがここで摘ませてもらう」
男はもう一方の手で健介の顔を握り潰そうとする。健介は叫び声も出ないまま、ただ硬直している。そこに、倒れていた灰咲が飛び上がって、男の腹に渾身の蹴りを叩き込む。
男はよろめくが、まったく効いていない様子だ。ただ、健介を救うことはできた。
灰咲は息切れしながらもまだ男と相対する。
そんな時、道の前方から一台の車が猛スピードでやってきた。
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