18 幕間~ルスタムの西方見聞録Ⅴ
* * *
「それにしても、精霊魔法は我々の理解の範疇を越えますなあ」
宰相殿が大げさに感心してみせた。
使節団は訪問日程をほぼ全て消化し、今は最後の晩餐会のさらに後の、サロンで一服といった時間だ。テーブルの紅茶を囲んで、宰相殿といつもの歓待役君が我らの王太子殿下のお相手をしている。
ファルハードは、訪問の最大目的を果たしてこだわりがなくなったせいか、初日に比べると大分対応が丸くなっていた。
「さもあろう。かような辺境では魔力も皆無に等しい。天上の主の恵みなしでよくやっていると、それこそ感心するぞ」
偉そうなのは変わりねえけどな。また訳しにくいこと言うよなあ、しれっとガレンドールを辺境扱いか。俺の田舎ならともかく、王都だぜ? 視察で水道とか工房とかガン見しといて、出る感想がそれかい。
「使節団の方々からお聞きした限りでは、精霊魔法は諸々の目的に使われており、発動するためには様々な方法があり、その効果の強さにも幅があり、その原因もまた魔法の使い手の能力に影響されるものらしいですね」
今度は王子様が、この数日で仕入れた知識を披露した。まとめすぎな気がしないでもねえが。
「その多種多様さのせいか、魔法の定義や効果の説明が人によって違うので戸惑いますが…」
一見弱音な発言にファルハードはにやりとした。だが王子様は溜めを効かせてただけで、続けて切り込んできた。
「つまり、精霊魔法は体系化されていない。原理は不明瞭、効果も不安定。なのに人々は日々の暮らしを魔法に依存し、国家の未来まで託している。…いえ、内政干渉するつもりはありません。研究する余地が大いにあると申し上げたいだけです」
「研究ならしている。アルマと共にな」
若干空気が固くなったが、ファルハードは憮然としつつも答えた。本当に丸くなったもんだ。
「奥方様と二人三脚とは、お睦まじいことでございますな。ファルハード殿下は、もとは姉のシリーン殿を王太子妃として迎えられるおつもりだったとか。しかし妹君を選ばれたのは、やはり素養に優れていらしたからですか?」
おっさん! 宰相! どこに話題を持ってくんだよ! いっくら非公式で気楽な歓談の場とはいえ、もっと気まずくなるだろうがよ! 見ろよ、そっちの王子様だって一瞬引きつったぜ。
「シリーンは魔法の素養には優れている。古来の民の血は薄かろうに、高位精霊と契約を果たすくらいだ。だが、それ以外はいかんな」
え、あんたも何を乗っかってんだよ。庶民じゃねえんだから、国をまたいで女の寸評会なんかよしてくれよ。
「いつもおどおどしとるし、何かというとすぐ祈りに逃げる。王家の儀礼の意義も国史も大して深く学んでおらん。あまつさえこんな辺境まで高位精霊を連れ出し、挙げ句国家機密か否かの区別もつかず他国の中枢に洗いざらいを明かすなど…あれでは王太子妃は務まらん」
いやほんと、お耳汚しですんません。言ってるのは俺じゃないっす。俺は訳してるだけっす。
やっと過ちに気づいて固まった宰相に代わって、アーノルド殿下が相槌を引き受けた。
「…その点は同意しますが、彼女がそういう性格なのは養父の教育方法によるもののようですよ」
おお? 同意しちゃうのかよ。王子様よ、そこはノーコメントにしとけよ。ツルッと本音が出た感じだが、こいつもこの辺はまだ未熟なんだなあ。
『どうした』
『失礼しました。…彼女の性格は養父の教育に原因があると仰せです』
『ほう?』
ファルハードが続きを待つ素振りを見せると、王子様はまた口を開いた。
曰く、養父ヴァシリイは彼女に対して支配的な態度で厳しく当たった。シリーンは常に緊張を強いられ、自律心や自尊心を弱められていた。
それはヴァシリイ家が教会の覇権をグレゴリー家と長年競ってきたためで、なぜかと言えばライバルに勝つには少しでも優れた聖女を輩出し続けなければならなかったためで、またまたなぜかと言えばそれは、王家も国も民も常に聖女を求める構造になっているためだ。
「その覇権争いが我が国にまで飛び火するほどですから、少々過熱ぎみのようですね」
「…善処しよう」
辛抱強いな。見直したぜ。…いや、ひょっとして今まで誤解してたのか?
そしてまた、怖いもの知らずのアーノルド殿下は意外なアドバイスを繰り出してきた。
「せっかく魔法器や護符といった面白いものの製作もしてるのですから、そちらに注力されてもよいのでは?」
「あれは所詮一時しのぎだ。民はいっときの己が喜びや欲のためにそれらの道具を使うが、聖女が国と民に与える安寧の方が遥かに価値がある。見直す余地があるとは思えんな」
「果たしてそうでしょうか?」
「なに?」
ファルハードがいなしたにも関わらず、王子様は食い下がり演説し始めた。
「民の暮らしというものは、些細な物事の積み重ねでできています。その一つ一つが、それぞれわずかでも便利になれば総合的に暮らしの質は上がります。国を治める者には、民に幸福な暮らしを提供する義務がありますが、それは具体的には何なのでしょう? 一見どうでも良さそうなありふれた願いを、誰もが気兼ねなく当たり前に叶えることができる、それも幸福の一つの有りようではないでしょうか」
「……」
「我が国には魔法はありませんが、技術によって暮らしを発達させてきました。特定の大層な目的だけでなく、日常の些細な不便を解決するためにちょっとした工夫を重ね、研究し、開発し、先人から引き継いでさらに洗練させていく。誰もが分け隔てなく恩恵を享受できてこそ、その営みに意義があると私は考えます」
若者の理想論は熱い。ていうかどっからそんな立派な考えが出てくんだ?
ファルハードだけでなく宰相も聞き入っている。
「技術も魔法も、その点は同じではないでしょうか?」
「…生意気を言いおる。それこそ内政干渉だな」
「ご不快にさせてしまいましたら申し訳ありません。ご放念下さい」
「まあ良かろう。辺境でも魔法について論ずることができる者がおるなら、天上の主も目に止め恩寵を賜られるであろうよ」
「ファルハード殿下にそのようにお認めいただけるとは、光栄の極みです」
ファルハードはフンと小さく鼻で笑い、立ち上がった。
「さて、長居した。迎賓館にて休ませていただこう」
「殿下にとって有意義なお時間をご提供できていましたら幸いです。未熟者にて、無礼不調法がありましたら何卒ご容赦ください」
「なんの。アーノルド殿、そなたには十分手厚い歓待を受けたぞ。想定以上にな」
「寛大なお言葉、ありがとうございます」
我らの王子様が片頬を上げて返事すると、あっちの王子様は同じような笑みを浮かべて一礼した。
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