第四幕 ぼくは、シリーンを守りたいんだ

16 後始末

* * *


「まったく、非常識にも程がある!」


 殿下は、苦々しい表情で言い放った。


「礼拝堂は、我が王家我が国にとっても聖なる場所だ。そこで他国人の血を流すなどとんでもない。どうしてくれようかと思ってたら魔法で証拠隠滅するとは! しかも実行したのは被害者の方!」


 一通り吐き出すと、今度は頭を抱えた。


「あれも浄化の力だって…? 説明と違うぞ…何でもありか…? 精霊魔法って一体何なんだ…??」

「それをこれから聞きましょう」


 オリバーさんが取りなす。

 ファルハードたちは、まだ王宮内に留められていた。礼拝堂のベンチの配置の乱れやファルハードの髪型が変わっていたことから、何か揉め事があったことは衛兵たちに知られたけれど、具体的に何があったのかはさすがに殿下もうまく説明できなかった。

 陛下への第一報が要領を得ないものになってしまったことも、自分らしくないと不服そうだった。引き続きファルハードへの尋問も殿下が行うこととなり、小部屋でぼくたちと待機していた。


「殿下に不手際はありません! ぼくが証言しますよ」

「……ヨハン、傷はもう大丈夫か」

「はい、もう全然。目まいもしないです。あの、だから、…シリーン、放してくれない?」

「だめよヨハンくん! 魔力が薄いんだから治りが遅いかもしれないじゃない! 完璧に治るまでじっとしてて!」


 ぼくはシリーンの隣に座らされ、頭を彼女の胸元に抱え込まれていた。とてもみっともない格好だし、よりによって殿下の前だし、後頭部の感触が気になるしでとにかく恥ずかしいから放してほしい。


「ね? いつもこうなんですよ」

「なるほど。隠れ家に立ち入らなくて正解だった」


 『いつも』って、何がですか!? オリバーさんと殿下の視線の生温かさがいたたまれない。


「シリーン、放してやれ。大体、癒やしの力はまだ使えるのか?」

「精霊とは関係なく備わる力ですから。でももう微々たるものです」

「じゃあ自然治癒力に任せても大して変わりないだろう。ヨハンのプライドを尊重してやれ」

「プライド?」

「君を守りたくて頑張ってるのに、それじゃ格好がつかないだろう」


 そこまで説明されてしまうのも残念だけど、しょうがない。ようやくぼくの頭は自由になった。


「わたしだってヨハンくんを守りたいのに…」


 シリーンが不満そうにつぶやく。シリーンにもプライドがあって、こういうとき対等でいたがる。


「わかったわかった。その辺は後で二人で話し合ってくれ」


 殿下は手を振って話を切り上げると、立ち上がった。


 ファルハードを待たせている応接の間は、他国の王族に対して無礼にならない程度に立派なしつらえだったが、雰囲気はものものしかった。

 長椅子にどかりと座ったファルハードの真後ろや入口に衛兵が立ち、ルスタムやニルファの隣にもそれぞれ衛兵が付いていた。

 殿下は商会から調達した通訳者を連れて中に入った。ルスタムがごまかしを言っても即座にばれることになる。オリバーさん、シリーン、ぼくの三人は気取られないよう静かに隣の部屋に入った。


 様子をうかがっていると、殿下がファルハードの意図を聞き出し始めた。殿下の質問を通訳者がトスギル語に訳し、ファルハードの返答をルスタムがガレンドール語に訳す流れだ。ルスタムは殿下の通訳者が訳せない語彙の補足も時々した。


「シリーンに血を飲ませようとしていたようだが、あれは一体何の儀式だ?」

「我が国の王太子と妃が行う祭儀だ。王太子と妃は、婚儀を始めとした諸々の祭儀で、次代の大司祭として国の安寧を祈願する。その手順の一部だ。妃が真の聖女であった場合は、その時に浄めの光が降り注ぐ」

「…つまり、うちの礼拝堂でシリーンと結婚しようとしたのか?」


 ファルハードが鼻で笑った。


「即物的な奴め。祭儀の題目は何であれ、精霊を召喚するために必要な手順なのだ。王族が受け継ぐ古来の民の血に精霊は反応する。聖女の体を通してな」

「なぜあの場で精霊を召喚したかったんだ?」

「シリーンを連れ戻せない場合の二の手だ。聖女は手に入らなくてもいいが、精霊は自由にさせておくわけにいかぬ」

「あの精霊は、シリーンと終身で専属契約してただろう。あんたや後輩の彼女に乗り換えはできないだろう?」


 殿下がファルハードとニルファを順番に指し示すと、ファルハードは不快そうに片頬を震わせた。指差したのを無礼と思ったのか、殿下の『即物的』な言い回しが気に入らなかったのか。


「詳しいようだな。シリーンからどこまで聞いている」

「契約を解除する手段がいくつかある、と。うち二つは、彼女の身体に危害を加える方法だ。だから引き渡しも面会も拒否したんだ」

「フン、シリーンめ。国家の機密をべらべらと…」

「結局あんたは第三の手段を取るつもりだったんだな。どうやってか、精霊の命を奪ったというわけか」


 ファルハードはいったん黙り、唇を突き出して考え込んだ。そうしてると口のへの字がますます強調される。


「…そのつもりだったが、精霊は自滅したようだ」

「自滅?」

「シリーンがあの場で癒やしや浄化の力を使うには、精霊が魔力を貸し与えねば無理だ。だが精霊自身も、魔力のない地に一年以上もいたせいで衰弱していたに違いない。シリーンが望むままに魔力を与え、それで力尽きた」

「……」

「これ以上は話さん。だが、結果として精霊とシリーンとの契約は解除された。我が国がシリーンを求める理由はなくなった。返還要求は取り下げよう」


 やった! ファルハードを諦めさせた!

 でも、殿下はまだ釈然としない様子だった。


「…取り下げには感謝する。だが、まだ説明してもらうことがある」

「何だ」

「ニルファは何をしていたんだ?」


 ファルハードの目つきが厳しくなった。


「それも国家機密だな」

「彼女は勝手に出入口を密閉し、立会人の俺を妨害して面会の場の安全性を脅かしたんだ。説明する義務があるぞ」

「あの場で我々の祭儀を行う可能性があったのだ、邪魔をされたくなかったんでな」

「動機はわかった。方法は」

「……」

「ルスタム、呪符とは何だ」

「へぁっ!? お、俺に聞いてますかい?」


 ファルハードが黙り込んだので、殿下はルスタムに質問を振った。でも、ルスタムは隣からファルハードにすごい目で睨まれて何も答えられなかった。

 殿下はため息をつくとソファに深く座り直し、口調を変えて再びファルハードに話しかけた。


「ところでファルハード殿下。使節団の皆さんは只今迎賓館にて殿下のお帰りをお待ちいただいております。最近我が国では、トスギル人が同じトスギル人に襲われるという事件が起きているため、皆さんの安全を守るべく、我が国精鋭の騎士団が厳重に警備しております。何者も迎賓館みだりに出入りさせませんので、ご安心下さい」

「…使節団は国王の客だぞ。こんな話の人質になどなるか」

「ああ、別にそんな意図はありません。単なる情報共有前フリです」


 殿下はにっこりして続けた。


「トスギル絡みではそういった物騒な話が増えておりまして、陛下も懸念されているのです。例えば先日なども、トスギル人の集団を国境間際及び王都近辺にて保護しました。しかし不思議なことに、彼らは使節団の者だと主張しているにもかかわらず、殿下から入国時にいただいた名簿には記載されていません。第二陣が来るともお聞きしておりませんね」

「……」

「そうなると彼らは不法入国者として扱わねばなりません。特に王都近辺に居た者は、私有地に不法侵入した上、暗器をいくつも携帯しておりましてね」

「…そんな不埒者は知らんな」

「現在、我が国と貴国の間では友好条約未締結の状態にあります。よって彼らは我が国の法で裁くことになりますが、不法入国者で犯罪者となると、極刑の可能性はゼロではありません」

「だからどうした」

「詳しく聞いたところ、彼らは皆グレゴリー家に仕える者だそうです。グレゴリーと言えば確か、あなたの奥方であらせられるアルマ王太子妃殿下のご実家ですよね? よろしいんですか? 彼女に連なる者をあなたが『知らん』と仰ったので我々は処刑しました、という運びになりますが…」

「心配なら取り調べればよかろう」

「いやあ、残念ながら条約未締結ですから、そこまで気遣いはできないんですよ。せいぜいあなたの『知らん』もしくは『いや、引き取る』を頼りとさせていただくだけで…」

「…小童…!」

「もしお引取りになられるとしても、不法入国の事実はありますので何らかの賠償を必要とするでしょう。他に、不問にできるような取り引き材料があれば良いと私も思うのですが…」

「〜〜〜〜!」


 ファルハードは、礼拝堂でのニルファの行動を説明した。


 手紙と称して持ち込んだ紙束は、魔法器の一種で護符や呪符と呼ばれるものだった。それ自体に魔力が込められてるので、魔力がない場所でも使用できる。

 呪符には発動させたい魔法を表す呪文や記号が書かれていて、わずかな魔力操作を施すことで発動する。基本的には使い捨てで、保存の魔法器のように勝手に発動しっぱなしでしょっちゅう魔力の補充が必要ということはない。


 ニルファは、隠密や幸運の護符も身に着けていた。どうやらそのせいで、彼女が奥の扉に行くまでぼくたちが気づけなかったり、行動が噛み合わなくてファルハードを止めきれなかったりしたようだった。ちょっとピンとこないけど。


 確かにぼく自身は、あの時適切な行動が取れてなかったと思う。でもそれはぼくが半人前以下なせいであって、護符のせいにはしたくない。殿下も、あの一連の流れについてやっぱりそう感じてるみたいだった。


 最後にファルハードが取り出した珠については、魔法器らしかったが具体的な説明を拒まれた。ただ、それで精霊をどうにかするつもりだったらしい。


「あれはアルマの発案だ」

「アルマ…妃殿下の?」

「そして実際に作ってみせて、効果も確認した。アルマは努力家だ。精霊とは一体何であるか、考え抜いた末に出てきた発想だ」


 意外にも、ファルハードはちょっと自慢気な顔つきになってるように見えた。


 オリバーさんが合図し、ぼくたちはまた静かに隣の部屋から外へ出た。事情聴取はそろそろ終わりのようだった。

 部屋を出ると、オリバーさんはシリーンに一通の封書を渡した。


「開封済みですみません。これだけは本当に手紙でした」

「…アルマから…?」


 シリーンは中身を取り出して目を通し始めた。


「アルマ…」


 手紙を読みながら、今のファルハードの話を聞いて何か納得がいったようだった。後で読み上げてもらった手紙の内容は、全体的な意味はわからないものの、ファルハードとの強い信頼関係が伝わってくるものだった。


『あたしは低位精霊ならいくらでも手懐けられる。それがあたしの強み。あたしの力を見たファルハード様は、あたしこそこの国を支えてゆくために必要だとおっしゃった。

 居場所を与えてくださったファルハード様のために、あたしは全てを捧げてお仕えする覚悟。でもファルハード様は、高位精霊の力も必要としていらっしゃる。

 シリーン、お願い。高位精霊の力をあたしたちに譲って。さもなくば、契約する権利を明け渡して』


 隣の部屋で席を立つ音が聞こえる。彼らが出てくる前に、ぼくたちは立ち去った。

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