15 面会③

 振り向くと、ニルファはいつの間にかぼくたちが入ってきた祭壇脇の扉に近寄っていて、何かを貼り付けてしまった。シリーンとニルファとファルハードの間で、鋭いやり取りがある。


「ルスタム、説明しろ!」

「ま、魔法器…呪符です! 呪符で扉を閉じたんでさあ!」


 殿下に命じられ、ルスタムが答える。見れば正面扉にも似た紙があった。

 

「馬鹿な。衛兵!!」

「聞こえてませんて!」

「外開きだぞ、開かないわけがあるか!? ルスタム、正面そっちを開けろ!」

『ルスタム!』


 殿下とファルハードに同時に呼ばれたルスタムは、動けずにおろおろした。思わずぼくは後ろの扉に駆け寄ったが、触れた途端に手が弾き飛ばされ、びりびりとしびれた。


「ヨハン! シリーンから離れるな!」


 怒鳴られてハッとする。絶対しちゃいけないヘマをするなんて。

 シリーンの元に戻ろうとしたが遅かった。ファルハードは隙ができた殿下を突き飛ばし、ずかずかと彼女に迫ると腕を掴んだ。


『精霊を呼べ!』


 知ってる単語が使われたので、その台詞だけはわかった。

 シリーンは目を見開いて、揺さぶられるままになっている。パニックだ。ぼくが引き剥がそうとするとファルハードは彼女を抱え込み、一瞬怯んだぼくを蹴り飛ばした。

 一方で殿下は脚をニルファに絡みつかれて、動きを止められていた。


 ファルハードはシリーンを背後から抱きかかえ、左腕で固めた。右手で自分の髪を結っているかんざしを引き抜くと、細く鋭い刃が現れた。それがシリーンの喉元をさまようのを見て、ぼくたちは近寄れなくなった。


「ファルハード! ここで血を流したらどうなるかわからないのか!?」

『シリーン、精霊を呼べ! 聖女も精霊も、トスギルにしか使いこなせぬ』


 殿下の声など全く無視し、ファルハードはシリーンに語りかけた。


『本来は婚儀の場で行うことだが、異国の礼拝堂を使うのもまた一興か』


 そして、彼女を抑えている自分の手を簪で切り裂いた。その甲を彼女の口に押し付け、流れ出る血を飲ませようとする。シリーンは首を振って抵抗する。注意が削がれたファルハードに、もう一度ぼくは突進し、簪を持つ右腕を掴もうとした。


『しつこい!!』


 ファルハードが振り回す刃を避けきれず、手や顔に痛みが走る。シリーンが辛そうにぼくを見ている。情けない。護衛として教わったことを全然活かせてない。

 顔面への突きを手前で受け流そうとしたけど、頑丈な腕に負けて軌道を反らせず、頬を深めに切り裂かれた。間を置かず肩に重い蹴りを入れられ、またしてもぼくは飛ばされた。祭壇下の階段に背中と頭をぶつけ、目の前が一瞬白くなった。


「ヨハンくん!!」


 シリーンが闇雲にもがく。同時に、殿下が反撃に出てきたのでファルハードは彼女を抑えていられなくなった。シリーンはぼくに駆け寄ってくる。ニルファはルスタムが取り押さえたが、投げ出された小箱の周りの紙を探っているのが一瞬見えた。


 ファルハードが簪で殿下に突きを繰り出した。殿下はその腕を杖で払い流し、さっと背に回り込んだ。ファルハードが振り向いて斬り上げようとしたが、手元を厳しく叩かれ、簪を取り落とす。殿下はそれを誰もいないところへ蹴り出した。

 ファルハードは今度は拳を構えた。少し息が上がってる。それでも強力そうな一撃を打ち込んできたが、殿下はきれいに躱してその腕を杖で絡め取ってめてしまった。と同時に杖の端を首の後ろに出して腕ともども固めると、不安定になった体勢を蹴り崩して、ついに地に伏せさせた。


 ぼくは、起き上がろうとしていたけれど目だか頭だかがくらくらして、何度も手をついていた。


「ヨハンくん! だめ、じっとしてて。ああ、血がこんなに…」


 シリーンが側に座り込み、ぼくを膝に寝かせようとした。ぼくの胸元や袖は頬から噴き出した血でどんどん濡れていった。くらくらするのは貧血のせいもあるのかな。

 シリーンこそ、ファルハードの血で顔の半分や絹の髪を赤く汚されていた。


「だ、大丈夫…シリーンは後ろに隠れてて…」


 何だかろれつも回らない気がする。

 ぼくを覗き込むシリーンの目に涙が溜まってきた。そんなことをさせてる場合じゃない。やっぱり起き上がろうと、血が滲む手で地面を探す。シリーンはその手をとらえて両手で包んでしまった。


「シリーン、はなして」

「……」


 返事はなく、ぼくの手に温かい唇の感触。視界の端がどこか眩しい。

 シリーン、何してるの。お祈りしてる場合じゃないよ…。


 ぼくは少しの間、気が遠くなっていた。


 意識を取り戻すと、シリーンはぼくの手を握ったまま、まばゆく輝いていた。痛みが引いた気がして頬に手をやると、思ったよりも傷口は小さかった。

 他の方向からも眩しさを感じて視線を動かすと、祭壇の上に光る蝶の姿があった。


 精霊は、何をしているんだろう。

 シリーンは、何をしているんだろう。


 一体どういう状況なのかわからないのは、殿下も同様らしかった。


「…ルスタム」

「あ、ああ、たぶん聖女の癒やしの力で、そっちの小僧を治してるんだと思いますが…こんな強烈なのは見たことねえな」


 ぼくを?

 もう一度頬を触ると、さっきよりも傷が小さくなっていた。閉じ合わされてざらざらしていた皮膚も、触っているうちに何だか滑らかになってきた。


ガレンドールここでは魔法を使えないんじゃなかったのか」

「そこまではわからねえっす。…あっ、こら」


 ニルファがルスタムの腕を振りほどいて、殿下に組み敷かれているファルハードの元に駆け寄った。手にした呪符を差し出すと、ファルハードは手の甲からまだ流れている血を拭った。


「何してる!?」


 殿下が紙を取り上げようとしたが、ニルファが一瞬早く掴みとった。


「まったく、何が手紙だ。一体何をする気だ?」


 殿下の膝の下で、ファルハードがもごもごと何か言った。ルスタムが通訳する。


「人に危害は加えないから放せと仰せです」

「本当か?」

「…用があるのは精霊だけだ、と」


 殿下が戒めを解くと、ファルハードは身を起こした。それから懐から珠のようなものを出して、血が染みた呪符の上に乗せた。でも意図がさっぱりわからなかった。


 シリーンは祈りに集中していた。ファルハードたちがやっていることにも一切目を向けない。輝くだけじゃなく、光の粒が弾け散るような眩しさがあった。祭壇の上では、精霊も同じように光の粒を撒き散らしているように感じた。光の粒は周囲に広がり、礼拝堂の中を満たした。


「え!?」


 気づくと、ぼくの服や手から血の跡が消えていた。シリーンのも。カーペットや近場のベンチに散ったぼくやファルハードの血も。

 ファルハードが忌々しげに叫んだ。彼の手の傷や、呪符に塗りたくった血も消えたらしい。


 やっと後ろの扉が開き、足を踏み入れたオリバーさんが祭壇の光を茫然として見つめた。正面の扉から入ろうとした衛兵たちも呆気にとられている。


 光が収まってくると、祭壇の上の蝶もまた形を崩し始めた。

 シリーンがハッとして立ち上がる。


「ウィルワリン…!」


 精霊はもはや蝶の形を保てず、ただ光の粒となって天に昇っていった。


『……』


 ファルハードの言葉にシリーンが振り向いた。ぼくたちもルスタムの声で意味を知る。


「精霊との契約は終了した。シリーン、今度こそ名実ともにお前は聖女ではなくなった」


 ファルハードは、憮然として肩で大きく息を吐いた。


「私の用件は済んだ。お前は好きにするがいい」

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