12 幕間〜ルスタムの西方見聞録Ⅲ

「げげ」


 立食形式の会食会場で、向こうから近づいてくる奴を見て俺は身をすくませた。


「やあ、ルスタム殿」


 相変わらず爽やかな笑顔が眩しい王子様だ。


「あんたも少しくつろいではどうかね?」

「い、いや、すぐ仕事に戻らないといけねえ…いきませんので」


 例にもれず今日も俺はファルハードにくっついて来てたが、ガレンドールの通訳に勉強させてやってくれと頼まれ、一時的に交代した。用を足したり小腹を満たしたら戻るつもりだった。


「そう言うな。わざわざ暇を作ってやったんだ、少し付き合え」


 なるほど、あんたの差し金か。今日は遊ばれたくはねえぞ。


「殿下こそ、歓待役なのにファルハード殿下の側を離れていいんですかい。俺みたいな端役に構うこたないっすよ」

「今は父上がお相手してらっしゃる。俺より格上がいるならあちらも文句はないだろう」


 親父を自分の代理にするとは、大したタマだ。…いや、全部示し合わせの上か。


「…俺はあんたらの駒にはならないっすよ」

「まあまあ。二、三確認するだけだ」


 王子様は、俺をカーテン付きのテーブル席へ案内した。ソファに腰を落ち着けると、彼は懐からメモを取り出した。


「ラッセル・マクガフィン。ガレンドール東南端の宿場町ハラデイセルにて、十八年前にガードナー商会に雇用される。以後、東方への隊商メンバーとしてトスギルと往復。十二年前に商会を辞めトスギルに定住。現地に妻子あり」

「俺のプロフィールなんざ、面白いところは何もありませんぜ」


 今日はその手で出鼻をくじこうってのか。まあ、商会に聞きゃあすぐわかることだし、隠してもいねえ。


「そうだな、何もなくて幸いだ。もし重犯罪者だったら、我々こそあんたの引き渡しを要求しなきゃならない」

「ぶっ。そんな奴がのこのここんな場に出てくるもんかい。俺は至って清らかな身の小市民でございますよ」

「ははは、失礼した。…なぜトスギルに留まる気になった?」

「飯が美味いからでさ」

「なるほど、食文化はあちらの方が発達していそうだ。魔法器とは面白い活用方法じゃないか」


 へえ。魔法器のことをどっから聞いたかな。トスギルは精霊魔法にまつわるものを国外に出すことを許していない。隊商も密かに持ち出してみたりもしたが、魔法の使い手がいなきゃただの工芸品だ。大した値もつかないのでそれ以上魔法にこだわるのをやめている。

 今回の訪問でも、トスギル側は精霊魔法に関しては一切触れていない。そのせいで交渉で聖女の価値を今ひとつ伝えづらいが、よく伝わっても困るからだ。

 それ以外に情報の出どころがあるとすれば…聖女シリーンからの事情聴取の成果か。


「…お詳しいっすね」

「精霊だの魔法だの、随分あやふやなものを信奉してる不思議な国だと思っていたが、民はだいぶ地に足の着いた使い方を心得てると見える」


 言うねえ。こないだの悪口の意趣返しかな。


 まあ確かに、俺だって初めてトスギルで魔法に接した時は戸惑ったからな。あの国じゃ、大抵の魔法は見るものじゃない、効果を実感するものなんだ。何というか、「ちゃんと効くおまじない」みたいなもんだ。

 彼らはしょっちゅう、何かやる前に「うまく行きますように」って精霊へのお願いを唱える。西方だって、信心深い奴は一日の終りに「今日もうまくいきました」って天上の主に感謝してたりするから、その辺の心証は同じだ。恩寵というサービスに対して、お祈りという報酬が前払いか後払いかの違いだ。


 だがお祈りは西方では完全に気休め以上の意味はないが、トスギルでは違う。魔法が使える奴が唱えたお祈りはちゃんと効果が出るんだ。まあそいつの才能や体調や精霊の気分次第でわりとぶれ幅はあるが。


「聞けば生活に密着してる風なのに、そんな不安定なものによく頼れるな」

「あの国じゃそれが当たり前だから、誰も何とも思ってないっすよ」

「庶民の生活はそれでも良かろうが…」


 王子様はそこで口を噤むと肩をすくめた。その先を俺に言われても困るから助かる。


くだんの聖女様はガレンドールに来てどう思ってるんですかねえ。精霊魔法も魔法器もないから、『きぃ! 何て不便なの! この国は不信心者ばっかり!』なんてキレてたりしないっすかね?」


 適当に話題を振ってみると、彼はちょっと苦笑いした。


「…内心では思ってたかもしれないな」


 思っ。面識がある奴の台詞だな。そんで、それはたぶん昨日今日じゃない。


「殿下はくだんの聖女様のことはどの程度ご存知で?」

「俺は彼女の身元保証人だ」

「へっ!?」

「昨年、迷子の彼女を保護したのはこの俺だ。だから彼女の処遇について責任の一端は俺にある。我が国は彼女の意志を尊重して返還要求には応じない方針だが、もし業を煮やして攫ったりすると、俺にも喧嘩を売ったということになるぞ」


 藪蛇だったか。面識どころじゃない。


「怖えっすねえ。そんなに躍起になるってことは、やっぱりあれっすか? アーノルド殿下もあの聖女様をご所望なんすか?」


 王子様は一瞬不快そうに眉を動かすと、冷たく笑った。


「この国に聖女が必要かと言われると…別に要らないかな」

「はあ」

「あんただってわかってるだろうが、こちらでは聖女も魔法もなしにこれだけ発展してる。魔法の代わりに技術を開発して人々を豊かにさせている。魔法の方が手っ取り早いかもしれないが、技術は万人が学べるのがいいところだ。どのみちこっちには魔力がないから、聖女がいても大して当てにはできないさ」

「そんだけおわかりなら、すんなり返していただいても…」

「本人の意志を尊重すると言っただろう。彼女は、ここでは聖女ではなく一人の女性として再出発しようとしている。それを支えたい者もいる。そうした、人として誰でも抱くささやかな願いを守ってやりたいだけだ」

「それは王子様個人の気持ちでしょ? 国ぐるみでそこまですることじゃあ…」

「そういう願いを安心して持てるようにするのが国の仕事だからな」

「へー、高潔なことで」


 白けた相槌を打ってみせると、王子様は我ながらさすがに青臭すぎたと思ったのか、目を伏せて小さく咳払いした。

 なーんだよ、さっきまでマウント取ってたくせに急に年相応っぽいじゃねえか。実は相当なお人好しか? まあいい、若者は理想に燃えてる方がいいと思うぜ。将来、国を背負って立つなら尚更な。

 うちの下ぶくれ殿下にも、そんな理想があんのかな? 政治には興味ないから、わざわざ聞いたことなかったな。


「…ところで、一つ聞きたい」


 ん? まだ本題があったのか。


「ファルハードは、ここでシリーンに何をしようとしている?」

「知りません」


 んなもん、使節団全員が知りてえと思ってるぜ。…そうだな、ニルファは別かもしれねえ。しょっちゅうテントで打ち合わせしてた様子だからな。


「即答だな」

「マジっすよ。あの方は肚の中で何考えてるかさっぱり言わねえんで。対面コミュニケーションの必要性を俺らに対しても感じてくれたら有り難いんすけどねえ」


 王子様が苦笑していると、カーテンの袖から従者がすっと入ってきて耳打ちした。こないだの爺さんではなく若いのに代わってる。空気の自然さから、こっちが本来の従者なんだろう。


「自由時間は終わりだ。通訳があんたほど語彙力がないんで、ファルハード殿下が苛ついてるようだ」

「やれやれ。ちなみに、文句を言われたらここでの会話を洗いざらい喋ってもいいっすか?」

「ああ、構わない」


 ほんとかよ。


「どうも。王子様も、俺と話しても大した収穫がなくて残念だったんじゃないすか?」

「あんたがそんな気遣いをしてくれる程度に親しくなれたことが収穫だ」

「俺はあんたらの駒にはならないって言いましたよね?」

「ああ。ぜひ自分が仕える国のために最善だと思うことを、自分で判断すればいい」


 ふん、それが巡り巡って自分らの益になるって考えてる感じだな。何がどうなるか俺も知らねえのに、ややこしいこと考えさせんなよ。


 存分に渋い顔をした後、それを消して俺はファルハードのところへ戻った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る