第三幕 シリーンは後ろに隠れてて

11 幕間〜ルスタムの西方見聞録Ⅱ

* * *


 装飾を凝らした分厚い両扉が仰々しく開き、ガレンドール王宮で最も見栄を張ってるだろう広間に、触れ役の声が響き渡った。


「トスギル天主教国使節団代表、いとも慈悲深き天上の主の真摯なる信徒、あまねく民に与えたもう尽きせぬ歓喜の源、王太子ファルハード殿のご来駕らいがにございます!」


 …長え! そしてこっ恥ずかしい!


 玉座が遠くて国王陛下の表情はまだ読めないが、居並ぶ諸侯の中には戸惑いの色を浮かべている奴がチラホラ見えた。


 ガレンドールがうちのファルハード殿下を迎えるにあたり、失礼のないよう適切な呼称でお呼びしたいとの申し出に、我らが官吏は通常トスギルで臣下や民がこの殿下を賛えるときに使う美称を提示しやがった。長さは敬意の深さとは言え、これをガレンドール語に訳して渡したメモを、淀みなく読み上げた触れ役は立派だぜ。

 予告なしで王都まで乗り込んできた俺らにそこまで礼を尽くす義理はない気がするが、初回はこっちの流儀に合わせてやろうという鷹揚さを示してんだろうな。


 ファルハードは拳を組んで軽く一礼すると、顎を上げて中へ歩み入った。官吏と通訳の俺、贈り物を積んだ台車を押す人夫らが続く。

 ここで止まれと前もって言われていた目印のところで、ファルハードは立ち止まった。玉座からは儀礼の面でも警備の面でも適切な距離があり、壇の下では一方に貫禄のある宮廷貴族が立ち、もう一方には気品に満ちた若者が立っていた。おそらく前者が宰相で、後者は格調高い礼服姿から察するに王子だろう。


 ファルハードが両拳を袖で覆いながら顔の前で突き合わせ、片膝をついて沈み込んだ。俺たちも合わせる。すると陛下がおもむろに玉座から立ち上がった。両腕を軽く開いて手の平を見せ、歓迎の言葉を述べている。

 トスギルでは、高貴な相手に素手を見せるのは不敬になる。ところが西方では、むしろ手の平を積極的に見せて何も隠してないことを示すのが礼儀だ。遠巻きにした宮廷貴族らが、作法の違いを興味深く観察している空気がひしひしと伝わる。

 俺は低く俯いたまま小声で陛下の言葉を訳し、その姿勢を崩さずにファルハードの返答をガレンドール語で伝えた。今の俺はただの副音声だ。姿や個性は意識されちゃあいけない。


 陛下は再び腰を下ろし、ファルハードも腕を下げた。集中力を要するやり取りが二、三往復続き、そして俺らにとっての本題に入った。


「実は、我が国の重要人物が一年前に姿を消し、その後貴国に滞在しているとの情報を得ました…」


 ガレンドール側とは謁見の段取りを申し合わせてはいたが、具体的な台詞まですり合わせてはいない。戸惑う空気が漂っているが、ファルハード殿下に明かされていた俺は揺らぎなく言葉を継いでいく。国王陛下へ名指しで協力を要請すると、陛下は感情を込めて「それは由々しきことであるな」と答えた。芝居かどうか判断しづらい絶妙な加減だ。だから多分芝居だろう。その後の言葉も、何も確約しない内容だったからな。


 ファルハードとしては、陛下に響かなくても居合わせた者たちに問題を知らしめられればいい。聖女シリーンが逃げ隠れできないよう、外堀を埋める手を打っていく気だ。

 宰相がやや強く息を吐いた。不快に思ってるな? 何か知ってる。今後の交渉で話を早くできることならいいが。


 このイレギュラーを除いては、謁見は型通りに終わった。謁見の間を出てようやく、俺は背中が大分汗ばんでることに気づいた。何しろ喋ってるのは二国の代表だ。単語をすっ飛ばしたり誤解されそうな表現になったりしたら大問題だ。何とかしくじらずに済んだぜ。


 だが胸をなで下ろしたのも束の間、逗留のために用意された迎賓館へ向かおうとすると、先導の奴が立ち塞がった。ファルハードの専用馬車には「アーノルド王太子殿下がご案内役として同乗なさいます」だと。じゃあ俺も通訳で一緒に乗り込まなきゃいけねえじゃねえか。

 一瞬顔をしかめたところをファルハードに刺すような目で見られた。ついでに馬車の脇に立っていたアーノルド殿下にも見られたらしく、こっちは目が笑っていた。

 俺は、わずかに肩をすくめて馬車に乗り込んだ。


* * *


 車中で、アーノルド殿下は改めて名乗ると慇懃に挨拶した。


「この度、父王ヴィンセントに代わりまして私が歓待役を務めさせていただきます。良きご滞在となられますよう尽力いたしますので、何なりとお申し付け下さい」


 そう言って爽やかな笑顔を見せつけた。王族なんて「何なりと申すがよい」なんて上から目線ウエメセで言いそうなもんだが、逆に「お申し付け下さい」と来た。ソツなく上品な奴だ。さぞ良いもん食って良い教育を受けたんだろうな、って感じに光り輝いてる。

 アーノルド殿下は国王の一粒種で御年十七歳、まだ学生の身分だが非常に優秀だと聞いてる。その上見た目の出来もいい。ちょっと近くに立つのは気が引けてくるような、シュッとしたイケメンだ。白い礼服の上に濃紺の上品なコートをきっちりと着て、優雅な彫りが入った腰高の杖を手にしている。足腰は何ともなさそうなので、儀礼用のアイテムかもしれん。脇には侍従らしい爺さんが静かに控えている。


 彼の挨拶を訳すと、我らがファルハード殿下は腕組みしたまま微笑を浮かべた。…いや、返事。返事を言ってくれよ。あっちの王子様が待ってるだろ。

 諦めたのか、アーノルド殿下は微笑を保ったまま次の話題に移った。


「使節団のうち、王宮へご同行されなかった皆様はすでに迎賓館へ入られました。ファルハード殿下も皆様とともに昼食を取られた後はしばらくお休みいただき、今夜の会食にお備え下さい。十六時にまた私がお迎えに上がります」


 それから明日以降の予定の確認だ。交渉事も勿論あるが、それはある程度官吏どもに任せてファルハード自身は視察と称して王都内の名所をいくつか案内されることになっている。


「無用だな」


 俺の訳を遮ってファルハードが呟いた。


「は?」

「この国に見るべきものなどないな。ごみごみと人ばかり多いくせに、地にも風にも魔力が感じられん。まったく貧相な地だ」

「は、はあ」


 西方の中心地とも言うべきガレンドールを貧相呼ばわりかよ。何でも魔力基準自分の価値観で判断すんの、田舎者っぽいからよしてほしいぜ。


「精霊に見放された国だな、ここは」

「お言葉ですが、西方でいっちゃん栄えてる国なんすけど…いや、それよりこれ通訳するんすか? まさかっすよね?」

「ふん。適当に言っとけ」

「ええ…もう少しネタを下さいよ。どこの視察が一番楽しみだ、とかないんすか?」

「交渉が果たされることより他に、私を楽しませるものはないぞ」

「……さいで」


 俺は小さくため息をついた。どうせ非公式な場だ。意を決して、愛想よくガレンドール語で喋っていく。


「えー、細やかなお気遣いいたみいります。ここはいずこも人が多く賑わい、地にも風にも溢れる活気を感じ、まったく素晴らしい国だとファルハード殿下は申しております。精…天上の主によほど深い寵を賜られてるのでしょうかね、ええ。それはさておきまして、先程謁見にて国王陛下にお願いさせていただきました件は、ぜひとも良い結果をいただけることを心からご期待しております、とのことでございます」

「そうですか。東方でも随一の気高き国、トスギルの次代君主となられる方からそのようにお褒めいただけるとは、私も大変喜ばしく感じます。また、お願いの件は改めて私からも陛下にお伝えしておきましょう」


 王子様は、柔和な笑みを崩すことなくうんうんと聞き入り、快く返事した。うちの殿下の目つきや声色で大体バレてると思ったが、よくも俺の嘘八百を信じる気になったもんだ。


「よく口の回る小童こわっぱだ」


 ああ、またそんな。聞き取れねえと思ってたって、悪口はわかるもんなんだから気をつけてくれよ!


* * *


 迎賓館に着き、アーノルド殿下は俺らを主賓が使う部屋へ案内した。ファルハードは待機していた側仕えに上着を取らせると、さすがに物珍しそうに部屋を見回し、続き部屋を見て歩いた。その間、王子様に侍従がひそひそと何か報告していた。

 ファルハードが落ち着いたのを見届けて、王子様は「では」と場を辞した。だが廊下に出ると、俺に声をかけた。


「ああ、通訳殿」


 ちょっと出てこいという感じかな? どうせ俺も出なきゃならない。ここから先は側仕えの仕事だ。


「何でしょう?」


 廊下でアーノルド殿下は後ろ手を組んでにこやかに待っていた。


「ルスタム殿とおっしゃいましたか」

「はい」

「あなたも今日はお疲れになられたでしょう。今夜の会食からは我が国側にも通訳を付けますので、もう少しご負担が軽くなると思いますよ」


 ガレンドールも通訳を用意することは、ちょっと前の打ち合わせで言われていたことだ。ガードナー商会の隊商としてトスギルに出入りしていたメンバーから、数人雇い入れるのだとか。最近の連中なら俺も顔見知りだ。懐かしいような、気まずいような。


「手配が少々遅れたもので、馬車でもご面倒をおかけいたしました」

「いやいや、これが仕事ですから」


 俺のしかめっ面への嫌味かな?


「何とか私に付けてもらった者が、隊商を引退して久しいためとのことで、全てあなたにお任せしてしまいましたね」


 そう言って、王子様は脇の侍従の肩に手を置いた。


「なっ…」


 マジか!? じゃあさっきのひそひそは…なんてこったい、筒抜けか。


 どうりで爺さんのお仕着せが何だか似合ってねえと思ったぜ!

 爺さんは、しれっとした顔で黙礼した。


 俺が固まっていると、王子様はついと一歩前に出て目を覗き込んできた。


「まあ今回は、内容は他言しないから安心するがいい。あんたも余計な気苦労をすることはないぞ。ファルハードには、以後用心させとけよ」


 今までと打って変わって不敵な笑みだ。歓待役どころか、これからもいつでも足元をすくいに来そうな雰囲気だ。

 

「…い、言われなくても」


 何とかそう返すと、奴はまたぱっと明るい笑顔に戻った。眩しいぜ。


「では今夕に」


 軽く会釈して去っていく。

 その背中を見送りながら、俺はめちゃくちゃ地団駄踏みたい気分だった。

 

 くそう、からかいやがって。

 さすが狸の息子も立派な若狸ってわけかよ。


 ファルハード様よ、果たしてほんとにこんな連中を出し抜けんのかね?

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