10 隠れ家にて②
* * *
殿下や宰相様は、もうぼくたちを直接訪問しなかった。お忙しいことは当然ながら、行動を把握されないよう用心するためでもあった。殿下には本職の護衛が付き、自由がきくオリバーさんが連絡役として時々来てくれた。
潜伏中、気晴らしのためにシリーンから簡単なトスギル語を教わったりもしてみた。殿下からの伝言にもあったからだけど、覚えるのを勧められたのは「聖女」「精霊」は当然として、「やる」「行く」「取る」「走る」「呼ぶ」などの動詞の命令形…これ、先方の刺客が使いそうな単語ということでしょうか…。
「なに、念のためだよ」
メモをくれたオリバーさんはぎこちなく笑った。
「そもそもプロは声を出したりしない」
脇でシリーンがひゅっと息を呑む音が聞こえた。ぼくがオリバーさんを睨むと、彼はあわてて平謝りして立ち去った。
まったく。
やがて使節団がついに到着した。
彼らはささやかなパレードで迎えられたらしい。その楽の音が、風に乗ってぼくたちのところにもかすかに届いていた。
「やはりと言ったところですが、ファルハード様は謁見の場であなたに言及してきました」
オリバーさんは、シリーンにそう報告した。
ファルハードは使節団の代表として陛下に謁見し、入国許可への感謝や親善交流が目的であることなどの口上を述べた。陛下が歓迎の意を示し滞在を認めると、ファルハードはもう一つお願いがある、と言った。
『実は、我が国の重要人物が一年前に姿を消し、その後貴国に滞在しているとの情報を得ました。如何なる不運にてこの地へ彷徨い込んだのかは想像が及びませぬが、心ならずも帰国が叶わぬ状況ではないかと危惧しております。どうか陛下のご温情にて、彼女の捜索と帰還にご協力を賜りたい次第にございます』
その台詞にシリーンは眉をひそめた。
「…それは、まるでわたしが隊商にでも誘拐されて来たみたいな言い方ね」
「ガレンドール側に何らかの落ち度があると印象づけたいのでしょう。水面下で交渉する手筈で先方にも伝えていたのですが、雲行きが怪しいと踏んで陛下への直談判に及んだようです」
陛下はファルハードに同情してみせ、広い国土からたった一人を探すのは難しいが使節団の滞在中はできる限りのことをしよう、とお答えになった。
「つまり、滞在中しか協力する気はないし見つからなくても恨むなよ、ということです」
「陛下は一切の事情をご存知なんですか?」
「勿論です。そのあとは話題を変えて道中についてお尋ねになり、冬場は通行が辛そうだといった主旨のことをおっしゃっていたので、…まあ、早く帰れと思ってらっしゃるようですね」
今はもう晩秋だった。あと二週間もすれば冷え込みが厳しくなってくる。彼らもそれまでには帰途に着きたいだろう。
「じゃあ、向こう二週間のあいだ見つからなければぼくたちの勝ちですか?」
「甘いぞ。連中にはシリーンをきっぱり諦めさせなきゃいけない。そこをどう説得するかが課題だな」
「難題ですね」
謁見の場では、トスギルからの贈り物も披露された。極上の絹織物や、宝玉を散りばめた装飾品、工芸品、穀物酒、意外なところでは独特の調味料などらしい。
「ガレンドールでは何が貴重品・珍品として扱われるかよくわかってるようです。ガードナーの隊商はあちらの宮殿にも出入りしていたそうなので、彼らが情報源でしょう。それにしても酒や調味料まで、よく風味を落とさずにはるばる持ち込めたものです」
「それは、魔法器に入れてきたのかもしれないわ」
「「魔法器!?」」
初めて聞く単語に、オリバーさんとぼくの声が揃った。
魔法器はトスギルではありふれた道具らしく、たいていの家には一つ二つ置いてあるそうだ。用途に応じて形や大きさは色々あり、懐に入るものから小部屋くらいのものまで様々。魔力を込めておくことで一定期間効果を得られるため、魔法を使えない七割の国民も恩恵を受けられる。魔力切れになったら教会の修道士がお布施と引き換えに補充してくれる。教会の収入源の主軸だ。より手軽なものとして護符があり、貼り付けたりくるんだり縫い付けたりしてそこそこの効果を得られる…らしい。
「で、効果は何です?」
「一番良く使われるのは食材を入れる箱で、鮮度が落ちにくくなるわ。他には、『火をおこしやすい』火打石、『お湯が湧きやすい』かまど、『鼠にかじられにくい』桶、『底が抜けにくい』荷台とか…」
「うーん…な、何というか…地味、じゃない、便利?なんだね…」
精霊魔法のことは、聞けば聞くほど掴みどころがなくて不思議な気分になる。精霊と聖女と国の関係は密接に関わっていて重大なことのようだし、聖女の力もすごく強大そうな話だった。でも一方で、庶民の間で使われる魔法は何だか…すごく日常的というか、それがどうしたというか――魔法に頼らなくても工夫すれば解決できるんじゃない?と思っちゃうような、そんな目的のために使われている印象だ。
「ものすごく原理が気になりますが、今は深入りしないでおきましょう」
オリバーさんは、ちょっと釈然としてなさそうだ。これ、殿下が耳にしたら質問攻めになりそう。次回の連絡が怖いなあ。
「じゃあその、食材を保存する魔法器が使われているということですね」
「おそらくは。名簿に教会の者が多いと思ったけど、魔力の補充要員だったのかも。…でもここでは魔力自体が薄いので、もうただの箱になってるかもしれないわ」
「道中を
毒味くらいはお命じになるかもしれないが、場合によってはそのまま廃棄となる可能性もある。相手国との関係性によってはままあることだ。オリバーさんまで確信めいて言うくらいなら、シリーンには申し訳ないけどトスギルは全然信用されてないと見ていい。
謁見後、使節団の一行は殿下の案内で、王宮のほど近くにある迎賓館へ入ったそうだ。移動の際は殿下の馬車にファルハードと通訳のルスタムを同乗させたので、表面上は礼儀が保たれている。
「殿下はファルハードの印象を何かおっしゃってました?」
「ヨハン、相手も王族だぞ。呼び捨てにせず敬意を払え」
「……」
オリバーさんにたしなめられてしまった。
でもぼくにとっては敵ですけど? 打ち合わせでオリバーさんも一部始終を聞いてたじゃないですか。
「しょうがないな。そうだな、殿下は『我々とは大分価値観が違うな』と苦笑されていたよ。それと、『ルスタムは面白い』と。あれは何か使い道を考えているお顔だな」
「それだけですか?」
「事前の経緯がどうあろうと、殿下の役割はファルハードの機嫌を取ることだ。油断はなさらないだろうが、それでも先入観は脇に置き、慎重に人となりを見極めないと務まらない仕事だよ」
さすがに殿下は大人だなあ。
「人は誰しも、見た目の評価と内面が一致してるとは限らないと、以前おっしゃってもいたしな」
「…参考になります」
オリバーさんはフッと微笑むと、シリーンに視線を戻した。
「さて、シリーン。あなたに関しては宰相の指示のもと、外務局が交渉に当たります。あなたのお気持ちに配慮し、今後しばらくは詳細をお伝えするのは控えさせていただきますが、構いませんか?」
伝えてもらう情報のさじ加減は難しい。
状況がどうなっているのかわからないと不安になる。でもわかりすぎても辛くなることもある。要求を確実に跳ね返してくれるなら、彼女は一切を任せて何も知らされないでいてもいいんだ。
でもシリーンは気丈に言った。
「いいえ。要所要所は教えてもらってかまわないわ。トスギル人にしかわからない言い回しなどもするかもしれないし、さっきの魔法器のように、わたしの解説が必要なことがあったりするかも」
「…しかし、大丈夫でしょうか? あなたがどうしても帰国せずにいられなくなるような、不穏なことや脅し文句を言ってくる可能性もありますよ」
「そうかもしれない。ニルファが入国したときの連絡には動揺したけど、でも怯えてばかりもいられない。何があっても受け止められるくらい、意志をしっかり持っているって示したいの。何なら『二度と構わないで』って手紙を書いてもいいわ」
「いや、そこまでは…。わかりました、ひとまず意志は担当者に伝えておきます」
「ありがとう」
それから彼女はぼくを見た。
「――もしも、あまりにショックなことを言われてぐるぐるしちゃうようなら」
「ぼくに話す」
「ええ。支えててね、ヨハンくん」
ぼくも彼女を見てうなずいた。
「んん、まあ二人がそう言うなら…」
オリバーさんは、首をこきこきと傾げたりうなじを掻いたりしながらため息をつき、じゃあと言って帰っていった。
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