8 事情聴取③

* * *


 隠れ家は応接間や寝室のほか、小さなキッチンのついたダイニングがあり自炊が可能だった。やや高い位置にある窓には曇りガラスがはめ込まれ、光は入るけれど中からも外からも様子を窺うのは難しい造りだった。


「昨日お話ししたように、トスギルの聖女は精霊の加護を受け、その祈りは国に安寧をもたらすものとされています」


 シリーンは、打ち合わせに来た宰相様と殿下に、トスギル特有の事情――精霊魔法のことを説明していた。以前、殿下にも追放された事情と共にかいつまんで話していたけれど、今回は宰相様に向けてだ。


「元々は精霊と契約した民が興した国とされているため、その民の血筋に連なる者――国民の三割ほどは特別なことをせずとも普段から精霊の気配を感じることができ、魔力を借り受けて簡単な精霊魔法を使えます。ただ、聖女としての力を発揮するには、儀式によって精霊と契約する必要があります」


 精霊にも格があり、姿がなく曖昧なものから、明らかな人格を持ち会話を交わせるものなど様々らしい。姿や意志がはっきりするほど高位とされている。シリーンが契約した精霊は相当高位で、トスギルにいた頃はしょっちゅう人の姿となって話をしていたそうだ。ただ、その様子も魔力がない者には見れないとのことだけれど。


「王家は聖女を迎え入れ、国母とすることで血筋を守り国の繁栄も支えてきました。特に、契約した精霊が高位なほど祈りの効果が高まり、大地を豊かにし人心を安らげる『浄化の力』として発揮されます」

「ふーむ…?」


 宰相様が飲み込みかねていると、殿下が補足した。


「例えば、薬草を育てれば薬効成分の含有量が増えるんだ。発育も早い」

「それは…栽培方法次第では…?」

「我々なら手間隙かけた研究が必要だが、彼女は聖女の力でこなしてる。勤め先の薬草園でね。おかげで納品先の施療院は助かってるよ」

「ほお…」


 シリーンは茶化された気がしたのか、殿下をじろりと見た。


「ガレンドールでは魔力が薄くてもう力を発揮できませんので、それが精一杯です」

「いやいや、十分非常識――失礼、貴重なことですとも」

「トスギルに帰れば比べ物にならないほどの効果を発揮するということだな。それが本当なら、必死で取り戻したくなるのもわからなくはない」

「有能な人材の流出は由々しき問題ですからな」

「だが後任の人材もいるのだから、ファルハードが妃を替えたければそこから選べばいい」

「…わたしが精霊と契約したままなのも、問題なのかもしれません」


 シリーンの説明によれば、浄化の力を持つほどの聖女はめったに現れないので、いなければいないでやっていけるらしい。一方で、高位精霊と契約している聖女が既にいる場合、他の高位精霊が契約に応じた例はほとんどないそうだ。だからトスギルは、いやファルハードはシリーンがもったいなくて諦めきれない。


「契約ならば、破棄なり解除なりはできないのですかね?」

「こちらから意図的に解除することはできません。基本的には、聖女か精霊どちらかの力が尽きるまで続きます」

「言い方は悪いが、死ぬまで解除できないということか」

「はい。ただ王家に嫁いだ場合は、世継ぎをすと契約が解除されます。精霊は、古来からの血筋が次の世に継がれたことを見届けて満足するのだと言われています」

「……」


 殿下と宰相様は硬い表情で黙り込み、どちらからともなく顔を見合わせた。


「…宰相」

「はい」

「危険度が跳ね上がったような気がするが」

「まさか、お気を回し過ぎでは…いや、確かに…」


 二人はいったん席を離れ、こちらに背を向けてひそひそと話し合った。


「シリーンさん」


 戻ってくると、宰相様は真剣な顔で告げた。


「使節団から受けているあなたの送還要求には応じないよう、陛下には進言申し上げておきます。あなたは母国で、政治的にも宗教的にも難しい立場に置かれており、帰国すれば生命や身体の自由および尊厳を脅かされる危険がある、と認識しました。あなたが帰国に対して恐怖を感じている限り、我が国は難民として庇護する義務があります」

「宰相様…」

「無論、使節団が面会を要求した場合もお断りします。もしあなたが望んだとしても会うことはお勧めできません。帰国せずとも、危険の方からやってきている可能性は十分にあります」

「ひょっとして、グレゴリー派の関係者が使節団に紛れているということですか?」

「その派閥だけとは限らないが…ではシリーン、これを確認してみてくれ」


 殿下は、彼女にひと綴りの書類を示した。


「これは使節団の名簿だ。知った名はあるか? 怪しい者、話がわかる者がいれば教えてほしい」

「天主教の者しかわかりませんが…ニルファと、もう一名ヴァシリイ派がいます。それとおそらくこの二名は中立派でしょう。対立派閥のグレゴリー派はいないようです。ただ、ニルファたちもヴァシリイ教父おとうさまの意向が絶対ですので、送還要求を取り下げようとはしないでしょう」

「それは厄介だな。この、ルスタムという者はどうだ? 通訳だそうだが」


 殿下たちが受けた報告によると、その人は今のところほとんどの交渉実務を任されている様子らしい。顔立ちもトスギル人らしくなく、ガレンドール語の流暢さから元はこちらの人間だろうとのことだった。


「? …いいえ、知りません」

「そうか。まあトスギルに縁のあるガレンドール人なら隊商絡みだろう。ガードナー商会にも調べさせてはいるが、少し胡散臭いな」


 殿下はシリーンに、ファルハードのもう少し詳しい人となりや儀礼についていくつか質問した。王太子として同格であるファルハードの歓待役を務めることになったのだそうだ。


「そもそも使節団は、突然強引にやって来たわけではない。今年の始めに陛下が書状をお出ししていた」


 そのいきさつにぼくたちは少し驚いた。

 殿下がシリーンを保護した顛末をお聞きになって、トスギルの情報が入りにくい現状を気にされたらしい。その気があれば親善交流にいらして下さい、と書かれたそうだ。それもあって国境で適当にあしらうことができず、王都まで招くことになったのだ。


「当時は冗談かと思っていたが、冗談の振りをして実行なさるのが陛下だからなあ。それで相手を最大限動かして、自分の損は最小限にしてしまわれるんだ。俺などなかなか敵わないよ」


 なかば愚痴のように殿下は言った。殿下も、陛下からの冗談のような本気の命令でご苦労されているので、実感がこもっている。


 使節団が王都に到着するまで、まだ数日の猶予がある。グレゴリー派の工作員らしき者は、国境近辺から姿は消えたそうだけど、潜入方法はいくらでもある。これらの対策も打ち合わせると、宰相様と殿下は席を立った。


* * *


「ピンときてなさそうだな、ヨハン」


 見送りのために扉の外に出ると、殿下が振り返ってぼくに声をかけた。


「…使節団のメンバーの中にも、グレゴリー派か、あるいは買収とかされたりした者がいて、シリーンの命を狙うかもしれない、だから絶対会わせちゃいけないという話ですよね?」

「敵はもっと多いと考えた方がいい」


 殿下は、使節団がはらんでいるリスクについて説明して下さった。


 王太子ファルハードは、現在最上級の聖女であるシリーンを連れ帰り、国母にしたい。

 シリーンを育てたヴァシリイ派も、彼女を取り戻せば実質的な外戚として立場が盤石になる。相変わらずさらってでも連れていきたいだろう。

 逆に、グレゴリー派にとっては彼女は邪魔だ。絶対に彼女を当てにさせないために、亡き者にしようとするかもしれない。


「もしどうしても連れ帰れない場合、双方の派閥はどうすると思う?」

「ええと…他にも聖女はいるんですし、帰って次の世代で勝負したらいいのでは?」

「次の世代でも相手の派閥に勝つには、シリーン並みの能力の聖女がほしいと思うだろう。だが、彼女が生きている限り、手に入る望みは薄い」

「あっ…」

「お互い手元にろくなカードがなければ、場を『リセット』して配り直した方がまだチャンスがある。ヴァシリイ派も一転して彼女が邪魔になる」


 シリーンを育てた派閥自らがそんなことをするなんて。こんなこと彼女には聞かせられない。


「もちろんファルハードも同様だ」

「まさか!? だって、シリーンを取り戻せたら多分今のお妃とは離縁して彼女を正妃にする気なんでしょう? 結婚したい相手を、ダメなら殺そうって…めちゃくちゃ過ぎますよ!」

「ヨハン。…残念ながら、権力中枢の場ではこの手の話は往々にしてある。たまたまガレンドールうちが何とか上品にやれてるだけだ」


 そしてショックで固まったぼくに、追い打ちをかけるようにおっしゃった。


「あるいは、命を奪わなくても…いっそ死にたいと彼女が思うようなことが起きるかもな」


 殿下は言葉を選んではいたけど、それでもぼくはぞわりとした。


「ファルハードには、『リセット』のための手段がもう一つある」

「で…」


 さすがに、それは、察した。

 察したけれど…!


「待って…その場合、シリーンは…お…」


 何をどう言えばいいのかわからない。

 ぼくには想像が追いつかないけれど、とてつもなく恐ろしいことだというのは理解できてるつもりだ。

 思わずぶるぶると首を振る。


「そこまでやるとは俺も思いたくはないさ。だが、側仕えなら最悪の事態は想定しておくべきだ。学んだだろ」

「殿下、未成年にはいささか刺激が強すぎませんかな?」

「だがファルハードもシリーンも未成年じゃないからな」

「曲がりなりにもこれから歓待する相手ですぞ? 他国で狼藉に及ぶような野蛮な国家でないと信じたいですな。我が国の沽券にかけて、この領土内でそんなことはさせませんぞ」


 横から宰相様が力強く断言した。その台詞にぼくたちは頷きあった。

 どの方法を取られても、シリーンの大切な何かは失われて二度と戻らないだろう。


 シリーンの、あの柔らかい笑顔を。

 凛とした横顔を。

 ぼくの好きなあのシリーンを、勝手な奴らに穢させたりなんかしない。

 指一本だって触れさせるもんか。


「宰相様、殿下、どうかよろしくお願いします」


 ぼくはお二人に深々と頭を下げた。


 シリーンを守って下さい。

 あいつらを追い払って下さい。


「ああ。ここには不審な輩はそうそう踏み込めないが、何らかの方法で心理的な揺さぶりをかけてくるかもしれない。彼女の気持ちを落ち着かせるよう、お前はできるだけ気を配ってやれ」

「はい、そういうのは得意です!」


 というか、いつもしてます。


 殿下は笑ってぽんぽんとぼくの肩を叩くと、歩き出した。

 ついでに、ずっと無言だったオリバーさんも同じように肩を叩いて、付き従っていった。

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