7 事情聴取②

* * *


 シリーンとぼくは、薬草園には戻らなかった。疲れ切っている彼女を政庁職員用の仮眠室でいったん休ませ、ぼくは宰相様が手配した護衛と一緒に扉の外で見張りをしていた。夕方近くになりシリーンが目を覚ましたので、ぼくたちは警護されながら宰相様の執務室へ向かった。

 執務室に通されると、そこには懐かしい方がいらした。


「殿下!」

「ヨハン、久しぶりだな」


 ぼくが一年前までお仕えしていたあるじにして、シリーンの身元保証人にもなって下さっているアーノルド王太子殿下だ。執務机の前に置かれた応接用ソファに、宰相様と共に腰を下ろしている。その後ろにはオリバーさんも控えていた。

 殿下は立ち上がり、目線が大分近くなったぼくを眺めて微笑んだ。


「…大きくなったな?」


 従者見習いをしていた頃のぼくは、二つ上の殿下を見上げるのが当然だった。お側を離れた一年の間に、殿下は前よりさらに大人びてかっこよくなっていたけど、ぼくも成長していると認めてもらえたら嬉しい。


 殿下はこれまでの経緯のほぼすべてを把握していた。宰相様は、先に殿下に確認を取ってからシリーンを呼び出したらしかった。説明を省略したところがあってもあまり突っ込まれなかったのは、そういうわけだ。ニルファの二度目のコンタクトだけが、ぼくたちからもたらされた新情報だ。

 殿下は、同情のこもった声で言った。


「シリーン、君が緊迫した状況に置かれていることは分かった。さぞ心労なことだろう」

「はい…でも、ヨハンくんが付いていてくれるので、とても支えられています」

「そうか。頼もしいな、ヨハン」

「あ、ありがとうございます」


 思いがけずシリーンに認めてもらえた嬉しさと、みんなの前で殿下に褒められてしまった気恥ずかしさで、一瞬顔が熱くなった。でもほのぼのした空気はすぐに吹き飛んだ。


「だが安全な場所に匿うと言っても、懸念がある。そのニルファという者は、どうやって君の居場所を探り当てたのかな。精霊同士で連絡を取り合うとか、魔法で急襲するとか、そういう超物理的な手段を取られたら防ぎきれるかわからない」

「…おそらく、わたしの魔力の痕跡を頼りに突き止めたのだと思います。ここガレンドールの地は、トスギルに比べて魔力が薄く精霊もいないので、精霊魔法を思うように使うことはできません。でもわたしは薬草園で働きながら、わずかでも浄化の力を使えればと、いつも試していました。天主教徒としての祈りも欠かしませんでした。それらが逆に目立ってしまったのでしょう」


 殿下ご自身が魔法をどこまで信じているかはわからない。それでもこの特殊な事情を踏まえて対策を考えようとしてくれてるのだ。

 宰相様は、わかったようなわからないような顔をして二人の応答を聞いていた。


「例えるなら、暗闇の中でトスギルの者にしか見えない明かりが灯っていて、行ってみたらわたしがいた、というようなことです」

「…なるほど。ひょっとして、君の蝶も目印になるのかな?」

「はい」


 シリーンのまわりに時々現れる蝶は、彼女と契約した精霊の化身だ。トスギルにいた頃は人の姿にもなれたし意思疎通もできたそうだけど、ガレンドールでは蝶のままだ。ただ、通訳のようなささやかな魔法を使ってくれることもある。


「では君が魔法を使わなければ、もう彼らも見つけられないと考えていいのだろうか?」

「おそらく。それに、ニルファもこの地では魔力不足となり、そう頻繁に精霊を動かせないでしょう」

「そうか。だが申し訳ないが念のため、使節団が帰るまでは魔法が発動するような行為は控えてもらいたい。お祈りも蝶もなし。いいね?」


 シリーンはうなずいた。お祈りは生活の一部になっていたから、意図的に行わないのは正直辛いかもしれないけど。


「できればもう少し確認させていただきたいことはありますが、明日にしましょう。用意した場所にこれから移っていただきますが、その前に何か口にした方が良さそうですな」


 宰相様の指示で、食事をろくに取れていなかったぼくたちは早めの夕食を振る舞われ、その後警備のしっかりしたとある場所へ移された。万が一魔法以外の方法で見つかったとしても、おいそれと手出しできないはずだ。

 また、護衛の訓練を受けた侍女も付けてくれることになった。ぼくがシリーンにどんな時でもくっついているわけにもいかないから、これはありがたい。


 シリーンは侍女に連れられて寝室に入る前、振り返ってぼくを見上げた。

 ぼくは努めて明るく言った。


「シリーン、本当に今日は大変だったよね! しっかり休んでね。明日、おいしいお茶を淹れてあげる!」

「…ありがとう、ヨハンくん」


 彼女の顔にも、まだ弱々しいながら笑顔が浮かんだ。よかった。


「お休み」

「お休み」


 警備が増えたおかげで、ぼくも休むことができた。使用人用の小さな続き部屋でベッドにもぐり目を閉じ、明日の仕事や心の準備をしておくべきことを数え上げた。でも次第にいくつもの疑問や不安が浮かんでばかりになった。


 使節団はいつ到着するのだろう。

 何をして、いつ帰るのだろう。

 ファルハードは諦めてくれるだろうか。

 どうしてそんなにシリーンにこだわるんだろうか…


「はー……」


 ぼくは大きく息を吐いた。


 しっかりしなきゃ。

 こんなことで寝不足になってたら、シリーンを守れない。


 今考えても仕方ない。

 明日、殿下かオリバーさんに聞けばいいんだ。

 眠ろう。

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