第二幕 大丈夫だよ、みんな力になってくれるよ

6 事情聴取①

* * *


「やあ、お待たせして申し訳ありません」


 応接室の扉が開き、いかにも高級事務官といった佇まいの男性がきびきびと入ってきた。


「宰相様!」

「ああ、そのままで結構」


 シリーンとぼくは、王都の政庁に呼び出されていた。呼び出したと言った方がいいかもしれない。ぼくたちは緊急に公的機関の助けを必要としていて、先方もちょうどぼくたち――シリーンに用があったのだ。

 朝から真っ青な顔をしていたシリーンが立ち上がろうとしたけど、後ろに控えていたぼくは彼女の肩に手を置いて座ったままにさせた。彼女は、昨夜一睡もできなかったと言っていてふらふらだった。


 やって来たのは、この国の宰相にして高位の中の高位貴族、ハイリッジ公爵だ。

 ぼくたちがお辞儀すると宰相様は向かいに腰を下ろした。お付きの秘書官もその隣に座り、書類の束をテーブルに置いた。

 給仕がお二人にお茶を出し、シリーンにもお代わりを入れて静かに出て行った。


「さて、シリーンさん」


 宰相様は、気さくな雰囲気で話しかけた。


「本題に入る前に、いくつか確認させてください」


 シリーンが、緊張した面持ちでうなずく。

 秘書官が書類の束から紙を選り分けて、宰相様に渡した。


「あなたは一年ほど前にガレンドールへ越して来られましたね。当初はアーノルド殿下があなたを難民として保護し、在留許可申請書にも身元保証人としてサインなさっています」


 宰相様は淡々と語る。


「ご出身は、東の国境の外にある集落…と書かれていますが、正確にはトスギル天主教国である、ということに間違いありませんか。…いえ、事実の確認だけですので、お咎めするつもりはありません」


 彼女は一瞬身を固くしたけど、その言葉にほっと力を緩めた。宰相様は、微笑を浮かべて質問を続けた。


「トスギルのような遠いところからここへ辿り着くのは大変でしたでしょう。どのようなご事情でお国を出られたのか、お聞かせ願えますか?」


 その声には、静かだけど拒否させない圧があった。


「…はい…あの、こちらとは文化や価値観が大分違いますので、分かりづらいところがあるかもしれませんが…」


 シリーンは前置きすると、事情をかいつまんで説明した。精霊とか魔法とかの単語は避け、宗教的な表現を選んでいるようだ。


 ――天主教では国のために祈りを捧げる「聖女」という重要な役職があり、その立場であったこと。しかし対抗派閥が立てた聖女との技量比べに負けたことで、自分の派閥のトップで養父でもあった大司教から追い出されてしまったこと。


 特別な力を持つ聖女はトスギルの王妃もしくは王太子妃になる、という話もさり気なく省略された。


「それで途方に暮れて彷徨さまよううち、道に迷いまして…気づいたらガレンドールの…森の中に迷い込んでいたのです」

「…それは大変なご苦労をなさいましたね」


 ちょっと迷ったくらいではガレンドールに辿り着けるわけがない、という点については宰相様も秘書官の方もなぜかスルーしてくれるみたいだ。


「実は先日、トスギルからの使節団が我が国への国境入りを求めてきました」


 来た。本題だ。


「親善交流が目的とのことですが、内々に人探しを依頼されております」


 シリーンは膝の上で両手を固く握りしめた。


「そう、ご想像どおりあなたをお探しです。…あまり驚かれていませんが、すでにご存知ですか?」


 さすがに目ざとい方だ。シリーンはぼくに目配せしてうなずくと、再び口を開いた。


「昨日、わたしの――知人から、連絡を受けました」


 ニルファも、使節団のメンバーとしてやって来ていた。国境で数日足止めされ、やっと通過を許可されたとしてシリーンに二度目のコンタクトをしてきた。その人がもたらした情報は、どれも恐ろしいものだった。


 使節団を率いているのはトスギルの王太子ファルハードだ。代表としては身分が高すぎるのはさておき、シリーンが聖女のままだったら結婚するはずだった相手だ。

 シリーンやニルファによれば、彼は一度手に入れたものは決して手放さない主義らしい。ファルハードはもうシリーンの妹アルマと結婚してしまっているけど、シリーンも手に入れるはずだったから取り戻すのだ、という理屈らしい…。そんな我がままを通すような王族がいるなんて信じられない。

 隣国アルクアでも王子様の浮気騒動があったけど、婚約者と縁を切ったり王族の身分を捨てることにしたりと、一応の筋は通そうとしている。


 必ずシリーンを見つけ出して引き渡させるために、連絡を取った実績があるニルファは連れて来られた。もし見つからなかった場合は、浄化の力こそないもののヴァシリイ陣営では一番優秀な聖女である彼女は、ファルハードの側妃にさせられる可能性があるそうだ。ひょっとして、それが嫌だから命令に従ってシリーンに戻るよう説得してるのかもしれない。みんな勝手だ。


 一方、アルマのいた派閥の教会でも、ファルハードが気に入りそうな聖女や聖女候補を仕立てようとしている。つまりその派閥はアルマを見限ったけど、シリーンにも戻ってきてほしくないわけだ。使節団のメンバーにはその派閥の者を入れなかったけれど、…どうやらずっと後ろの方をこっそり付いてきているようだ、とニルファは告げた。


 これを聞いた時、シリーンはぐらりと倒れ込みそうになった。ぼくは慌てて後ろから抱きかかえ、肩に寄りかからせた。


『そんな…そこまで…』


 …このままだと、殿下やオリバーさんが心配した通りのことが起きる可能性がある。

 ぼくがオリバーさんの警告を受けた後、あまりにいつもシリーンについて回るので、彼女に理由を白状しなければならなかった。その時は「考えすぎでしょう? 頭のいい人たちは殺伐としたこともすぐ考えるのね」と少し冷たく言われてしまったけど、母国の人からの情報はさすがにショックだったようだ。


 使節団が王都に到着したらどうかファルハード様に接見してください、と頼み込むニルファと、その人が乗り移っていたフクロウを追い払うと、シリーンはへたりこみかけた。後ろで支えてるぼくは彼女の体重を引き受け、膝の上に乗せた。やがて彼女の息が不自然に乱れ、がくがくと震え始めた。

 ぼくは環にした腕に力を込めた。


『シリーン、落ち着いて。息を吐いて。ゆっくり…』


 震えがおさまってくると彼女はトスギル語で何かつぶやき、頬に涙を伝わせた。


 ここまで話が大きくなると、もうぼくたちだけでは対処しきれない。薬草園にも少なからず迷惑をかけるに違いない。お二人に相談しなければと殿下にいただいた書状を取り出したところへ、政庁からの呼び出しを受けたのだ。


 宰相様は、腕組みしながら険しい顔で説明を聞き終え、深々と息を吐くと呟いた。


「迷惑ですな」

「…申し訳ありません」

「いえ、あなたのことではありません。一国の将来を担う者が、私情でしきたりを混乱させた挙げ句、よその国までわざわざやって来て、身内との泥仕合を繰り広げようとは!」

「すみません、わたしがガレンドールに来てしまったせいで…」

「いや、いや、失礼しました。あなたには全く非がないことです。今の言葉は忘れてください」


 彼は急いで両腕をほどいて手を挙げ、首を左右に振った。そして改めてしっかりとシリーンを見た。


「わかりました。あなたをより安全な場所へ保護しましょう。使節団には、騎士団の一隊を付けていますので怪しい動きはさせません。連中――失礼、使節団がいる間は、国境と国内の街道、王都への出入りは少し厳しくしておきます。ちょうど、王都の教会からも貴族院を通じて要望を受けたところですしね」


 シリーンは、両手で覆った口元から細く長く息を漏らした。


「…申し訳…ありません…ありがとうございます…。ごめんなさい…」


 安堵と同時に、申し訳なさで一杯になったようだ。顔を伏せて絞り出した声には涙が滲んでいた。

 あなたは被害者なのに。誰も責めていないのに。だから卑屈になる必要なんかないのに。


 ぼくは思わず手を伸ばしかけて、少しためらった。きっと家族のように親しい間柄なら、当たり前のように隣にいて肩を抱き寄せてかばったりできるだろう。でもぼくは後ろに控える立場だ。

 中途半端な空気を察してか、宰相様はシリーンをなだめるように一言二言声をかけ、手配をしてくるのでしばらくこの部屋にいていいと言って秘書官と共に出て行った。


 シリーンはやや経って身を起こしたけど、黙ったままぼんやりと何かを考え込んでいた。


「……」


 その心細そうな横顔を目にして、ぼくは猛烈に後悔した。

 ためらうなんて間違ってた。初めて会ったときのような――一人ぼっちで震えてる――そんな顔をさせないためにそばにいようと決めたのに。


「シリーン」


 ぼくは彼女の脇に座り、頭を引き寄せた。彼女は逆らわず、ぼくの肩に頭をうずめた。絹のような髪が顎を撫でる。


「大丈夫だよ、みんな力になってくれるよ。それに、ぼくが――誰より近くにいるから」


 だから、安心して。


 彼女の額がわずかに動き、ありがとう、と囁きが聞こえた。

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