5 幕間〜ルスタムの西方見聞録Ⅰ

* * *


「ルスタム! ルスタム! おい、どこへ行っていた」


 艶やかなテントの前で、小姓が俺を呼びつけていた。


「何だよ、しょんべんくらいゆっくりさせろ」

「殿下がお呼びだ。待たせるな」

「へえへえ」


 小姓はいったんテントの中に入り、すぐまた顔を出して俺に合図した。俺は入口をくぐるとひざまずき、目の高さに両拳を掲げて一礼した。


「ルスタムにございます、殿下。ご機嫌麗しゅう」

「うむ。楽にしろ」


 奥から声がかかり、俺は腕を降ろして顔を上げた。

 声の主、トスギル国の王太子ファルハードは旅用の簡易な折りたたみ椅子に腰を下ろし、細い目でこっちを見ていた。

 燃えるような朱の髪を後ろでぴったりと結い上げてはいるものの、顔つきと体つきはちっとばかし締まりがない。丸い顎とたるんだ頬が口をへの字に作るせいで、ご機嫌麗しい時なんか片時もなさそうに見えちまう。


「間もなくかの国に着くそうだな」

「はい、ここより一里ほど先にガレンドール国境警備隊の見張所がございます。これより官吏殿と共に先触れに赴くべく、支度してるところで」

「うむ。この使節団が正式な由縁あってのものであることをとっくと伝え、速やかに進ませるよう交渉せよ」

「かしこまりましてございます」


 トスギルの王太子を代表とする使節団は、真夏に国を出発して広野と岩山を越え、ガレンドールの南東の外れ五キロの地点まで辿り着いていた。


「ルスタムよ」

「へえ」

「お前はかの国の出身だが、とうに我が国に帰化した身。ただの雇われ通訳ではなく、外交官の一人であると心得て当たれ」


 おっと、藪蛇だな。

 ガレンドールの田舎町でくすぶってた身寄りなしの俺が、隊商にくっついてトスギルに来て、行ったり来たりするうちにこっちに居着いて十数年。だが惚れ込んだのは美味い飯とスレンダーな女であって、国益を真面目に考えるほどの知恵も愛着も大してない。なんかいい立ち回りとか期待されても困るぜ?

 雇われた以上はその範囲の仕事はするが、…そもそもなあ。今回の話はどうも気が乗らねえんだよなあ。

 この使節団は、これまでまともな交流がなかったガレンドールとの友誼を結ぶためのもの、…というのは表向き。本当は人探しが目的だ。


「あのー、殿下」

「何だ」

「聖女様はちゃんと見つかりますかねえ」

「概ねの居所はすでに把握しておる。自ら帰れぬのならば、迎えに行くまでよ」


 帰ないのか、帰ないのかで大分事情が違ってくると思うけどなあ。


「不躾ながらご質問いたしますが、当代の『真の聖女』アルマ様はご健在ですし、次代の聖女候補様もたくさん控えていらっしゃるとお聞きしとります。アルマ様に並ぶお力の持ち主とは言え、今さらこだわらずともよろしいのでは…?」

「ルスタムぅ?」


 殿下が笑みを浮かべた。

 …つもりらしいが、片方の口の端がちょこっと吊り上がっただけだった。

 こ、こええ。


「それは不躾とは言わん。不敬だな」

「すっ、すんません」


 俺は縮こまった。


「シリーンはここ数代の中では最も高位の精霊と契約した聖女だ。畢竟ひっきょう、精霊がもたらす浄化の力も一際強いはず。何より、聖女はトスギルに在ってこその存在だ。聖女がほかの地で生きるなど認められん」


 確かに、西方じゃあ聖女はおろか精霊魔法なんて聞いたことねえな。トスギルじゃあありふれてるってのが逆に驚きだ。隊商は魔力のこもった品を喉から手が出るほど欲しかったが、どうしたことか絶対に持ち出せないので諦めてた。

 精霊魔法は門外不出どこじゃない、トスギルという国と不可分のものだ。領土がなきゃ国じゃないのと同じで、精霊魔法がなきゃトスギルという国はやってけないのさ。


 まーこの殿下はもっともらしく言い訳してっけど、本当のところは偽聖女アルマに騙されてバツが悪いのと、挽回のために何が何でも本物を取り戻したいってことじゃないかとは専らの噂なんだけどな。


「しかし殿下御自らが直々にお出ましとは、もし何かありましたら…」


 今回の使節団は、ガレンドール国王から招聘を受けたという建前になってる。

 確かにこの春、国王から書状は届いていた。その翻訳も俺の仕事だった。ふんわりした文面だが、交易の活発化(という名の統制)と文化交流を求めているとも取れる内容で、気が向いたら使節を送ってくれればいい、歓迎はするとも書いてあった。

 今代の国王は相当な狸だと隊商の連中からは聞いてるので、この話がどの程度本気なのかわからん。動きがなくても構わないが、何か交渉するならあっちのホームでやる気なんだろう。

 その経緯をタテにこっちの王太子がのこのこ出ていって、人質になったらどうすんだ?とは政治のわからん俺でも気になる。


「問題ない。こちらは精霊魔法で何とでもなる。連中は全く知らんのだろう?」


 何とかして無理を通したりしたら、戦争の引き金になっちまうとかそういう心配もしてくれよ。


「へえ、さいですか」

「さあ、油を売ってないでさっさと先触れに出ろ」


 ファルハードは顎をしゃくって俺を追い出した。

 とにかく穏便に終わってくれることを願うばかりだぜ。早く仕事を済ませて帰りてえ。

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