4 迫る危険②
* * *
「…と、いうことがあったと聞いたんだが?」
「ええ、そのとおりです」
薬草園の事務室に、オリバーさんが訪ねてきていた。先日襲われた件はすぐに在留外国人監督事務所に伝えたけど、オリバーさんの耳に届くほどよっぽどのことだと判断されたみたいだ。ぼくとシリーンは改めて顛末を説明した。
「シリーン、あなたの意志が固いことはよくわかりました。またこういうことが起きないよう、トスギル方面の国境を少し警戒させられるか、
オリバーさんは、お父上が騎士団長ということもあってその方面に顔が広い。そもそも殿下のご友人をやっていれば自然と顔が広くなるものだ。一介の市民や未成年ではどうしたらいいかわからないことでも、手配の道筋を立てやすい。
恐縮です、とシリーンがつぶやいた。
「ひょっとして、この件は殿下にも…」
「ああ、そもそもシリーンの身元を保証しているのは殿下なんだから、報告しないわけにはいかないだろう」
ぼくの疑問に、オリバーさんはあっさり答えた。あまりご心配をおかけしたくはなかったのだけど、そういう道理なら仕方ない。
「ただ殿下は今少しお忙しくされていてな、空きを見つけては度々ソロンに通われている。それもあって俺が来た」
殿下は一と月半ほど前に、隣国アルクアでの留学からお戻りになられている。今アルクアでは、王室と一部の貴族との間で少し問題が起きているという噂で、殿下も巻き込まれる前に帰国できてよかったと世間では話されている。ソロンは殿下のご領地でもあるけれど、アルクアにも近いから何かご懸念があるんだろう。いずれにせよ、ぼくたちには遠い話だ。
オリバーさんはシリーンを仕事に戻し、ぼくだけを居残らせた。彼はテーブルに両肘を置き、頭を寄せてきた。普段はよく通る声が、今は一段と低く潜められている。
「さて、ヨハン。殿下からの伝言だ」
「殿下から?」
「ああ。以前にも言ったが、シリーンはトスギルでは政争の駒だ。今頃略取しに来たとなると、聖女を辞めてもまだ利用価値があるということだ」
「また聖女にするつもりなんでしょう?」
「そうだな。だがそれは彼女のいた陣営の話だ。政敵にとっては、帰って来られては困ると考えてるかもしれない」
政敵!? 対立派閥のグレゴリー家と言ったっけ。
「彼女を欲しい側があれだけの強硬手段だ、邪魔したい側だってどんな手を使うかわからないというのが殿下の見立てだ」
「そんな…」
「俺も同じ意見だ。さらに、奪い合うのが身柄だけならいいが…」
「やめてください!」
ぼくは思わず身を跳ね上げてオリバーさんを見据えた。でも彼の表情は真剣なままだった。
「…気分のいい話じゃないが、可能性は決して低くないと思った方がいい。幸い我が国へ乗り込んでこようとしてもタイムラグがあるから、少しは備えができるだろう。彼女に警備を付けられればいいんだが、さすがにすぐに人を回すほどの力はなくてな」
「え、そこまで脅かしておいて、それはひどいんじゃないですか?」
オリバーさんは、法的根拠がなあ、とかごにょごにょとつぶやいた後、懐から封筒を出した。
「ひとまず殿下の署名入りの書状を渡しておく。見せれば便宜を図るよう書いてあるから、緊急時は国の機関か騎士団を頼るんだ」
あああ、それはそれで勿体ない。ぼくは両手で受け取りながら自動的に返答した。
「謹んで頂戴いたします。…使わずに済むことを祈ります」
「良い意味でそうなるよう、俺も願うよ」
「オリバーさん…また脅かす…」
渋い顔をしていると、彼のごつごつした手で両肩を掴まれた。
「ヨハン、くれぐれも注意しろよ。今彼女を守れるのはお前だけだ」
「はい、言われるまでもなく」
「これも殿下の伝言だ。いいか、ヨハン。シリーンだけを見るんじゃなく、シリーンの周りも見るんだ。彼女が何に囲まれているのかを、一歩引いて観察するんだ」
「はい」
「彼女が何をしようとしているのかではなく、彼女に何かをしようとしている者がいないかを見るんだ。それが従者と護衛の違いだ。そして」
オリバーさんは、ぼくの目を見てにやりとした。
「両方を兼ね備える者が騎士だ、…とのことだ」
「っ…」
騎士団の騎士とは意味が違うことはオリバーさんもわかってる。
かつて殿下はぼくを従者から外したとき、ぼくに「シリーンの騎士になれ」とおっしゃった。あれはそういう意味だ。その語感が醸すイメージにほっぺたが熱くなってくる。
殿下は一度言ったことは忘れず、手元を離れたぼくのこともこうして気にかけてくれる。本当に優れたお人柄だ。殿下のご期待にもお応えしなければ。
「オリバーさん、ありがとうございます。殿下にお伝え下さい」
気合が入ったのか、顔の熱は引いていった。
「ぼくがシリーンを守ります」
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