2 予兆②

* * *


「…と、いうことがあったんですよ」

「そうか」


 ぼくは、鍛錬の日にオリバーさんに会い、シリーンのもとに鳩が現れた顛末を報告していた。オリバーさんは、ぼくがアーノルド殿下の従者だった頃からの知り合いだ。彼は騎士団に所属している形になっているけどまだ学生で、殿下のご友人として同じ学園に通い、時々護衛役も務めていた。


 ぼくは従者を辞めた後騎士団に入りはしなかったけど、騎士団と繋がりのある護衛職向けの道場を紹介してもらい、何回かに一度オリバーさんが様子を見に来てくれている。道場でのメニューは、組み手、短杖を使うバトンアーツという護身術、そして木剣を使っての初歩的な剣術などで、オリバーさんの来る日は剣術だけいつもの先生の代わりに見てくれる。


 今日の鍛錬を終えてお昼ごはんを存分に食べた後、二人で敷地の隅の草地に足を投げ出して日向ぼっこしていた。オリバーさんが感心するように言った。


「精霊魔法ってすごいんだな。超長距離通信ができるなんて知れたら、兵法ががらりと変わるぞ」

「えっ、そんなにすごいものなんですか? …って、もう! 気にするポイントはそこじゃないですよ! オリバーさんは殿下に似てきましたね」

「いやいや、誰だってそう思うよ。魔法なんて不安定な属人スキルは普通計算に入れないからな」

「何の話です?」

「何の話をしたいんだ?」


 オリバーさんは、苛つくぼくを受け流すようにやんわり聞き返した。なのにぼくは、いざ答えようとしたら言葉がつっかえた。


「シリーンのっ…」

「うんうん」

「あ…その…」


 何だか急に、一人で前のめりになってつまずきそうになってる気分になってしまった。


「トスギルに帰るんじゃないかって不安になったのか?」

「……シリーンは断っていたから、そんなことはないと思うんですけど…」


 ひょっとしたらぼくは、勝手に余計なことを考えて勝手に気を回してるのかもしれない。

 でもシリーンは、天主教をすごく大事にしてる。祈りで国に尽くすのが聖女の務めだから、今後はガレンドールのために祈ると言って、一日に何度も祈ってる。トスギルが、どうしても聖女はシリーンでなきゃだめだと言ってきたら、放っておくことはできないんじゃないだろうか。

 もしもトスギルに帰ると言われたら、ぼくは…。


「殿下の話だと、聖女はトスギルでの権力争いの駒にされていたんだよな。なら一度の打診で諦めるとは思えない」

「ぼくもそんな気がします」

「本人の意志次第だが、帰国したら身の危険があるとか、打診が脅迫めいてくるようなら心配だな」

「はい」

「お前がよく見守ってやれよ。でもしつこいようなら、ためらわずに当局に相談するんだぞ」


 オリバーさんはちょっと他人事っぽく励ました。確かに他人事じゃないのはぼくだけだからしょうがない。


「殿下は今隣国のアルクアに留学中だから、何かあっても便宜は図ってやれないからな?」

「それはわかってます。もうぼくもシリーンも、殿下のお手を煩わしていただける関係じゃないです」

「ああ、厄介な問題は専門職に任せるのが一番だ」


 そういうとオリバーさんは勢いよく立ち上がった。それでぼくも帰ることにした。


 帰り道も鍛錬の一環でマラソンだ。息が上がりすぎたら歩き、少し落ち着いたらすぐまた走る。走りながら、ぼくはシリーンと出会った頃の経緯を思い起こした。


 シリーンは、去年の秋に突然ガレンドールの森に現れた。あの頃ぼくは殿下の従者見習いとして付いていて、彼女を最初に発見したのもぼくだった。シリーンは、まるで家出して迷い込んだかのように、途方に暮れた青い顔をしてた。「聖女」という畏れおおそうな名称のわりに、どうも辛い役割だったみたいだ。


 殿下はシリーンを気の毒に思って色々お世話した。ぼくもシリーンには殿下のために元気を出してほしいと思ってた。聖女のこととは関係なさそうな、季節や文化の話題を出してみたところ、たまに懐かしそうに笑ってくれて、逆にぼくまで元気になるような気持ちがした。

 だからか、彼女が辛いことを考えなくてもすむように、どんなお世話でもしたいと思ってしまった。でもぼくは殿下の従者だ。最優先すべきはシリーンじゃないということが、少し残念だった。


 ここだけの話、あの頃殿下は本当はシリーンをご自分のお相手にと考えられてたはずだった。でもお二人はなぜか噛み合わなくて…しかも殿下はぼくの気持ちが揺れてしまったのをお見通しだった。シリーンが薬草園で働けるようお計らいになったあとはあっさりと手を引かれ、代わりに「見知った者が側にいた方がいいだろう」と、ぼくを従者から外してシリーンの世話係にした。


 一市民なのにお付きの者がいるなんて、とシリーンは断ったけど、殿下はぼくを在留外国人監督事務所の派遣職員として――要するにシリーンを外国の要人に準じた扱いにして、生活の不便や事件・事故に巻き込まれることがないように付いていさせることにしたのだった。殿下がおっしゃるには、ガレンドールとトスギルは正式な国交も大使館もないから、申し訳程度に人を付けるのが精一杯なんだそうだ。それがぼくたちには逆に都合が良かった。…そして今に至る。


 シリーンは、働きながらガレンドール語を覚え、この国でしっかりやっていこうとしている。トスギルでのことは吹っ切ったと言ってた。口数は少なめだけど、芯の強い人なんだ。でもその分頭の中で色々考えて抱え込んでたりする。

 あのニルファという人と話してからも、じっと考え込んでる時が多くなってた。


 ぼくの不安の正体は、彼女が何も言わずにいなくなるんじゃないかってことだった。突然現れたのと同じように、突然いなくなったら。魔法を使えないぼくは、追いかけるすべもない。一人で悩んで一人で決めてしまう前に、できたらぼくに相談してほしい。

 ぼくは、シリーンにとってはそんな相談ができるような相手じゃないのかな。四つも下だし、頼れないと思われてるのかな。


 ちょっと呼吸のタイミングがおかしくなったのか、息が苦しくなってきた。

 薬草園はまだ遠い。

 ぼくは何とか息を整え直すと、ペースを上げて頭を空にした。


* * *


「ねえ、シリーン。…あの鳩の人に即答しちゃって良かったんですか?」


 余計なお世話かもとは思ったけど、思い切ってぼくは聞いてみた。シリーンは教会からは追放されたけど、トスギルの国自体は嫌いじゃないんだということは知っていた。だから、帰れる状況なら自分の国で過ごしたいと思うものじゃないかと感じたんだ。


「いいのよ」

「でも…」

「いいの! …あ、ごめんなさい」


 シリーンは珍しく声を荒げ、そしてすぐ我に返った。


「いえ、ぼくこそ。やっぱり余計なお世話でしたね」

「ヨハンくん、謝らないで。気を遣わせちゃったわね」


 彼女はぼくの手を取って、言葉を考えながらゆっくりと話した。


「わたし、ただ…ここでの暮らしで覚えることがたくさんあって、他のことを考える余裕がないの。トスギルで何が起きているのか、考えるのはとっても気が重いわ…考えたらかえって答えが出なくなっちゃう気がする」

「シリーン。あなたがどんな答えを出しても、ぼくは付いていきますよ」


 思わずぼくは言った。


「それであなたの気持ちが少し軽くなればいいけど。…だから、安心して何でも決めてください!」

「ヨハンくん」

「もし考え過ぎてぐるぐるしたら、気兼ねなくぼくに話してくださいね! 話すと問題がはっきりして取り組みやすくなるんだそうです」


 これは殿下の受け売りだ。殿下はそう言って時々ぼくたち従者を相手に相談することがあった。おうむ返しに相槌を打つだけでも十分役に立つんだと。

 ぼくはシリーンにもそんな風に役に立ちたい。そんな風でなくても、何でも役に立ちたい。だってそれがぼくの仕事だ。仕事じゃなくても仕事だ。うまく言えないけど。


「…ありがとう。ふふ」


 ちょっと目を丸くしていたシリーンは、はにかみ気味に笑った。


「ね、ヨハンくん」

「はい」

「ヨハンくんはもう従者じゃないんだから、わたしにはかしこまらなくってもいいのよ」

「えっ?」

「あなたはこの施設で一緒に働いてる同僚で、今のわたしにとって一番親しい友人だと思ってるわ。友人に、ですますはないわ」

「シリーン…あ、ありがとう」


 何だかすごく格上げしてもらったみたい。


「ぼく、頼れる友人に…なるよ」

「だから、そんなに気張らなくっていいのよ?」


 シリーンは今度は明るく笑った。

 その声がちょっとどうしようもなくくすぐったくて、首や肩や顔が一気に熱くなった。ぼくは慌てて、用事を探しに廊下を駆け出した。

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