五月廿六日まで
山ン本五郎左衛門は、「天が下之魔王」を自称する大魔縁である。
ある時から、同族の神野悪五郎との間で競争が始まった。山ン本五郎左衛門も神野悪五郎も、魔王の頭目となることを目指したのである。そのためには三界の国々を渡り歩き、十六歳までの勇気ある若者百人を騙し、誑かし、恐れさせなければならないのであった。
頃は寛延の始めである。山ン本五郎左衛門は諸国漂白を続ける中で、備後国三次郡は比熊山の峰を仮宿と定めて、数月を暮らした。比熊山の絶頂、千畳敷を寝床とし、山川草木禽獣虫に囲まれる静かな時を過ごしたのである。
宿願達成途中の、ほんの骨休めの心算であった。騙し、誑かし、怖がらせなければならない若者は、既に八十五人を済ませており、山ン本五郎左衛門は、己の怪異術に自信を持っていた。あと十五だけ済ませれば、長年の夢であった魔王頭目となれる。烏どもが無明の翼を濡らして言うことには、神野悪五郎とは十名程度、差を開けることができているとのことだ。少々休んだところで、到底縮まる気遣いはない優位だった。
比熊山で、山ン本五郎左衛門は人との交わりを絶ち、ひたすら自然に遊んだ。続けざまに数十の若者を驚かせ、人世に少々飽きが来ていた。
人は、あくまで獲物である。喰いもせぬのに鳥の声を愛でたり、魚が泳ぐ様を楽しむ風情を、山ン本五郎左衛門は持ち合わせていなかった。
そんな折、夏至前後のこと。人世の暦で、五月は三日の夜のことである。
鬱蒼と樹々に囲まれる比熊山の千畳敷を、一人の男が訪れた。
夕方前から降り出した雨風は、山肌を叩きつけるように激しく、謎の来訪者も蓑笠が飛ばぬよう、しっかり手で押さえながら、ずぶ濡れの体でやってきた。どこから来たのだろうと山ン本五郎左衛門は自問し、おそらくは麓の、布野村からであろうと自答した。この時期、比熊山に小屋掛けしている樵はいないと知っていたからである。
しかし、それが分かったとしても、謎は深まるばかりであった。いったい、こんな時分に、こんな場所に何の用だろう。頃は丑三をとうに過ぎている。樵らは、たとえ昼間であっても千畳敷までは足を踏み入れぬ。ここには「三次殿の塚」という古塚が、鬼茅や白茅に覆われ、守られるように存しており、この塚石には障りがあると、人世では伝えられているからである。
山ン本五郎左衛門は、比熊山に降り注ぐ風雨に己を溶かし、騒がしい夜の中から、この謎の男の動向を見守っていた。彼の目は、雨夜にも昼間世界の如く周囲を見据え、こんな時分に現れた怪しき男が、十二、三の若造であることを既に知っていた。若者は、頭上から自分に向かって落ちかかって来るかの如く腕を伸ばす杉の群れには目もくれず、ただただ足を急がせて、行き着いた先が、件の古塚であった。そうして塚の前に膝をつき、自身の帯に結び付けていた木札を手にすると、近くにあった低丈の木の枝にそれを結び付け、そのまま、脇目も振らずに山を下って行ったのである。
何が何だか分からない。
若者が残していった木札には焼印のみがうかがえたが、それが何の印なのかなど、山ン本五郎左衛門にはさっぱりであった。雨は暁頃には止んで、ほの朱い空に雀の群れが影になって飛ぶのが、比熊山からも眺められた。山が起きだしてくる頃合いに、魔縁は陽光を嫌って山の深奥にて休息を取る。山ン本五郎左衛門は、腹の中に奇妙な味を残したまま、目覚めを迎えた人世に背を向けて、奥の闇に溶け込んだ。
それから廿余日、さしたることもなく過ぎていった。ところが、廿六日になって、またも、人間が、殆ど同じ時刻に現れたのである。
その夜は、前とはうって変わって静穏な夜であった。雨も降らぬ。風も吹かぬ。鳥も虫も早くに床に入り、ほんとうに、静寂が音を持つかと思われるほどに何の調べもない夜であった。ひっそりと息を潜める山を、山ン本五郎左衛門は良い気持ちでひとり歩き回り、月光を総身に受けて身体と心を安らげていた。
そこへ、足音が聞こえてきたのだ。
足音の調子から、壮健な若者であることはすぐに知れたし、今回は二人分であることも知った。また松明を持っているらしく、火の気が夜闇を焦がす臭いも伝わってきた。麓に近い方をゆるゆる歩いていた五郎左衛門は、耳と鼻とでそれを感じ取ると、二人の爪先が向いていると思しき方向を即座に判断し、風を纏うて山の中を駆けた。
二人は矢張り千畳敷に向かっているのであった。
この間と同じ若造か――顔もまだ見てはいなかったが、何となく確信はあった。
迷惑だと感じた。夜に眠る山の風情を、邪魔されたくはなかった。
驚かすなり殺すなりしようかと考えたが、自分がそのような振る舞いに及んだだけでも山は騒がしくなるし、殺したら殺したで、麓村の騒ぎにもなろう。とりあえず、何をする心算なのか、それを見極めるのが先決と、五郎左衛門は、五月三日と同じく闇に身を溶かして、二人と眼鼻の距離で成り行きを見守ることにした。
二人のうち、一人は矢張り、三日と同じ男であった。笠を外し、松明に照らされた顔は、その面立ちをより明らかとしていた。大きな眼と引き締まった眉が目を引く、意志の強そうな顔である。連れの男は、より大きく頑強な体をしており、恐らくこれは相撲取りとやらであろうと、五郎左衛門は直感した。これまでに恐怖のドン底に叩き込んできた八十五人の中に、同じような体躯の者が何人か混ざっていた記憶があるのだ。身も心も頑強で、恐怖などとは到底無縁だと思われそうな相手を戦慄に堕とす――それが山ン本五郎左衛門の宿願の要であり、愉悦の一つでもある。
二人の若者は、千畳敷の端、「三次殿の塚」の前にどっかりと座り、持っていた松明を地面に突いて向かい合った。暫しの沈黙の後、連れの方が唇を湿して何やら語り始め、相手の若者は腕を組んで目を閉じたまま、その言葉に聞き入っている風を見せた。
――何をしているのだ。
こんな夜更けに、こんな場所で、何の話をする必要があるのだ。山ン本五郎左衛門には、さっぱり分からなかった。連れの男が話を終えると、今度は件の若者の方が一呼吸おいて口を開き、何やら語り始める。連れの男は相槌も挟まず、黙って聞いている。若者が話終えると、何ら感想を言うでもなく、連れの男がまた違う話をする――。
それを無限に繰り返すのである。それぞれが語る内容一つ一つは短いが、何度も何度も交代するので、一刻と経たぬうちに話数は十を超え、廿を超えて猶も増える。それでも二人は、無明を騒がす話をやめようとはしない。
ここに来て漸く、山ン本五郎左衛門にも合点がいった。
百物語である。
二人の話の内容を聞けば明らかであった。怪談奇談の類。二人はそれを、代わる代わるしていたのだ。話の一つ一つは短くとも、よくもまあそんなに知っているなと、かえって魔縁が呆れかえるくらい、様々な類の話が、ここで交わされたのだった。
二人は、度胸試しのために来たのだ。その舞台を、ここに選んだのだ。
考えてみれば、五月の三日に若者一人だけでここを訪れ、塚の木に木札を結わえていった。あれも度胸試しの一環だったのだろう。なるほど、触れると障られる不吉な塚、樵でさえ来ることを拒む千畳敷。そういった遊びの舞台としては申し分ない。
山ン本五郎左衛門は、闇の中腕組みをして、二人を見下ろしていた。通常、百物語を行う際には、青い紙を張った行燈を置き、灯を百点じて、話が終わるたびに一つ、灯を消していく。が、山中ではそのような設えもできなかったものとみえる。
身一つの極めて簡素な百物語。しかし場所が場所なだけに、気配の物凄さという点では、四方を壁に囲まれた家なんぞでする百物語では遠く及ばなかろう。実際、連れの男の方は、見えぬ無明の先で自分たちを睨んでいる五郎左衛門の視線を察しているのか、話を聞いている間にも幾度となく周囲を見回し、肩を聳やかす様子が見られた。一方の若者は、ここへの来訪が二度目ということもあってか、至極落ち着いたものであった。
一つ一つは短くとも、百も話があれば時間は相応にかかる。刻一刻と夜は過ぎ、八十九十ときて、百話目を話す頃には、空も黒から藍に朱が混じる頃合いとなっていた。
連れの男が百話目を片付けて、暫し沈黙した。人世の噂では、百話目を終えて、最後の灯を吹き消した瞬間、到来した闇の中から怪到るという。しかし山の夜明けは、麓よりも早いのだ。じきに朝を迎え、怪呼びたくとも到来する闇がない。結局、何も起こらなんだか、と二人は顔を見合わせて立ち上がり、そのまま下山したのである。
山にはひとり、山ン本五郎左衛門が残された。
彼の周りからも闇は払われ、彼は古塚を前に、異形のなりで立っていた。
山ン本五郎左衛門はいくつもの姿を持つ。今は三つ目の烏天狗の如き姿を見せていた。今の自分の心持ちをあらわすのに、この姿が最適であるように思えた。
――おのれ、人間風情が。
山ン本五郎左衛門の心を激しく燃え立たせるは、怒りである。
山ン本五郎左衛門は――否、彼に限った話ではなく、物怪魔縁の類は、百物語が嫌いなのだ。
そもそも百物語とは何ぞと問われれば、人間どもが怪異を見たい、あるいは怪異なんぞ恐るるに足らんという自らの強肝を示したい、という、極めて手前勝手な理由のもとに行われるものである。百話目の終わりには怪到るという余計な「〆」まであるせいで、人間の興味関心それだけのために、物怪や魔縁が呼び出される――と、そういう仕掛けさえあるような、呼び出される側からしたら、百害しかない代物なのだ。
――人間ごときが、調子に乗るな。
山ン本五郎左衛門にとって、人は獲物である。その心を恐怖で満たし、戦慄で萎びさせる。己の宿願のためだけに存在し、怪異を前にただただ慄けば良い。それ以上の価値を見出せぬものたちである。
それが事もあろうに、物怪や魔縁よりも上の立場にいるように錯覚し、物怪や魔縁の実在を興味本位で試すような真似に及ぶ。その最たるものが、百物語である。
思い上がりも、大概にしろと思う。万死に値する愚行である。
事実、一瞬だが二人のこのまま山から帰さないでおこうかとも思った。そこですぐ考えを改めたのは、己が達成すべき宿願が、心の中で頭を擡げ、声高に主張してきたからである。
――宜しい。
烏の嘴をかちかち鳴らしながら、山ン本五郎左衛門は言った。
あの二人が、どういう料簡で百物語に及んだかは知らぬ。怪異に会いたかったのかも知れぬし、己の勇気を試したかったのかも知れぬ。
どちらにしても、叶えてやろうではないか。
怪異に会いたいなら、腹が膨れるほど会わせてやろう。
勇気を試したいならば、うんざりするほど試させてやろう。
そうしてこれまでの八十五人同様に、恐怖の前に膝を屈させ、その魂を、萎びさせてやろう。
それによって二人が生きるか死ぬか、それはどうでも良いことだ。これまでの八十五人の中にも、恐怖で気が触れた者や卒倒してそのまま死んだ者もいた。彼らが恐怖で心を染めた瞬間に、山ン本五郎左衛門や神野悪五郎の目的は達成されている。その後は野となれ山となれ、だ。殺人が目的なのではない。もっと言うと、殺人への恐怖心と、怪魔への恐怖心は似て非なるものであり、前者は宿願達成の数に数えられない。必要なのは、山ン本五郎左衛門という魔王への恐怖それ一つなのだ。
それに――。
今回の肝心要は、恐怖を通じて、身の程知らずを痛感させることにこそある。
思い知らせるのだ。
そうしてまた、魔王の頭目に、一歩近づくのだ。
怒りは喜びに代わり、山ン本五郎左衛門はぐふぐふと笑いを零した。空はほのぼのと明け、五月廿七日の朝が始まろうとしている。五郎左衛門は身を翻して比熊山の深奥に舞い戻り、これから始まる戦いに向けて、弾む心のままに策を練り始めた。
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