第24話 センタク
「『ざあざあざあざあ降り注ぐ雨の中、傘を差して男は歩く。その片腕には幼子を抱いていた。愛らしい男の子。すやすやと気持ち良く眠っている』」
月光に照らされた庭にて、座り込む少女の膝の上には本が、目の前には盥が置かれていた。
図鑑のように大きく分厚い本は開かれており、頁にはびっしりと文章が記され、少女はそれを淡々と読み上げている。
──そしてそれに合わせるように、盥の中の泡水は塊となって宙に浮き上がり、飛沫も上げずに高速で回転していた。
「洗濯機、だったか?」
「今の時代、便利になりましたよね。電気があれば洗濯してくれる箱がある。物によっては乾燥もしてくれて、干す手間も省けるそうですよ」
「便利だな」
部屋のバルコニーに出て、手すりに置かれた生首と、その隣で手すりにもたれる吸血鬼は、修行中の少女をぼんやりと眺めていた。
声に出して洗浄の魔法を、心の中で風を操作する魔法を行使しているらしい。二重に魔法を使うことに慣れる為に、洗濯は良い修行になるのだとか。
「古の魔法使いは、洗濯機がない頃から、魔法で手早く洗濯を済ませていたのでしょうね」
「何でもできるからな、魔法は」
「……それなのに、苦労を掛けるばっかりで」
歯痒そうに顔を歪め、少女を見つめる吸血鬼。生首の位置からは見えないが、その言動と性格から察しはつくのだろう。どこか疲れたような口調で言葉を紡ぐ。
「どいつもこいつも、頑固だからな」
「シャムロック様?」
「──アスター、未来の話をしないか」
主の提案に、吸血鬼の顔が一面疑問に染まった。
「いきなりどうされたのですか、シャムロック様」
「元に戻れるかもしれない、なんて話が出た後から考えていたことだ。もしもな、アスター。カエデの努力が実り、オレや他の生首が元に戻れたとして、その後カエデをどうしていこうか」
「……え?」
「カエデの母を恨む者もいるだろう。だがカエデの母はいない。いるのはカエデだけだ。今までの恨み辛みは、生首から元に戻したくらいで晴れるだろうか?」
「……っ!」
思わず一歩後退した吸血鬼。恐怖の色が混じった視線は、生首に固定される。
「カエデが……カエデが、殺されるかもしれないのですか?」
「復讐される可能性が高いだろうな。だからな、アスター、カエデをどう守っていくべきか、そろそろ考えた方がいい」
「……」
生首の晒された右目は、少女を見つめたまま、憂うように細められていく。
「オレ達と共に来させるか、親族に引き取らせるか」
選択させるんだ、と。
吸血鬼は何も言えなかった。黙って生首を見て、その後に、少女へと視線を向ける。
「『跳ねる子供は機嫌が良い。あまり会えぬ父と出掛けられるから。お父さん、お父さん、今日はどこに遊びに行こうか』」
水の塊はもうなかった。洗濯物だけが浮き、回転しながら上下に動いている。
「……何故、カエデが殺されなければいけないのです。悪いのは、ご母堂のはず」
「……お前はカエデを恨まないんだな」
「恨まれることはあっても、恨めません。そんな資格は、ありませんよ」
泣くのを堪えるかのように、吸血鬼は顔を歪め、無意識に握りしめた拳に力を込める。
「……魔法使いと吸血鬼が一緒にいても、ろくなことにはなりませんよね」
「そうか?」
「……なりませんよ、きっと」
生首と吸血鬼がそんな会話をしている内に、洗濯が終わる。本の上に風で畳んだ洗濯物を積んでいた。
立ち上がった拍子に、彼らの存在に気付いたらしく、少女はバルコニーに向けて声を掛けてきたが──吸血鬼は手を振るくらいしかできなかった。
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