第25話 灯り(白)

 黒髪の男に喫煙の習慣はない。

 酒もやらず博打もしない。逃亡生活中もそれは変わらない。

 だが、黒髪の男の手には珍しいことに、マッチの箱が握られていた。


「貴方もついに煙草を吸うのか」


 潰れたバーに入り込み、いくらか魔法で片付けて、今夜の寝床に決めたらしい。

 寝転べるソファーには近付かず、カウンターに肘を付き、手の中のマッチ箱をさんざ弄んだその後で、黒髪の男は一本マッチを取り出した。


「煙草は好きになれないよ」

「それなら何故、マッチなんて持っている」

「拾ったんだ」


 反対の手でコートのポケットを探り、何かを取り出すとそのまま口の中に放り込む。赤く染まる瞳はワインを連想させる。

 マッチを擦り、辺りは柔らかな灯りに包まれた。

 傍に置かれた白い生首は、眩しそうに目を細めるが、黒髪の男はお構いなしにマッチの灯りを見つめる。


「何をしている」

「……」

「カズキ」

「──あぁ、死んだんだ」


 あっさりと呟かれた不穏な言葉に、白い生首は耳を疑った。


「……死んだと言ったか? 聞き間違いか?」

「確かに言ったよ。どうやら椿さん、死んだみたい」

「何故分かる」

「魔法で遠視したら真っ暗で、呼吸もしてないようだから、死んだんだなって。殺されてそうだよね」

「……」


 顔を歪める白い生首は、何か言いたげで、やはり何も言えない。

 ──嫁が死んでその態度はどうなのか。

 黒髪の男は苦笑いを浮かべ、そのままマッチの灯りを眺め続けた。


「花楓は……元気にしてる。吸血鬼の男と暮らしているんだ。良くしてもらっているみたい、楽しそうだよ」


 柔らかな声で呟きながらも、娘の身を案じているようにはとても聞こえない。ありのまま起きたことを報告しているだけだ。

 何も言わず、マッチからも黒髪の男からも視線を背ける白い生首。ふいに、黒髪の男はマッチの灯りを消した。

 暗闇に包まれた潰れたバー。黒髪の男の声が響く。


「椿さんとはお見合いだった。普通に、家同士の結び付きの為、より強い魔法使いを生み出す為、その魔法使いに自分達の吸血鬼を守らせる為、それだけの為にした結婚だったのに……椿さん、何で僕のことなんか好きになったんだろう。僕、そういうのは求めてなかったのに」

「……貴方の何かが、琴線に触れたんだろう」

「迷惑だな。そのせいで、アヴィオール様はこんな姿になってしまった」


 黒髪の男は俊敏に動き、あっという間に白い生首を腕の中に閉じ込めた。


「こんなにコンパクトになったら、もう言い訳なんてできないね。必ず守るよ、アヴィオール様。僕が死ぬまでは僕が、死んだ後は子孫に守らせる。誓うよ」

「……その情熱を、妻子に向けていれば……」

「無理だよ、きっと無理」

「……」


 誓いへの返答か、抗議か、白い生首は黒髪の男の腹に服越しに噛みつき、ほどなく、血液が喉を潤す。黒髪の男はされるがまま、ソファーに横たわることも忘れて瞼を閉じた。


 ──朝日が上る頃には、潰れたバーはもぬけの殻。


 黒髪の男と白い生首がどこに行ったのかは、誰も知らない。

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