第23話 白
甘い匂いがダイニングに届く。
テーブルに突っ伏した少女は鼻をひくつかせ、緩慢な動きで手を伸ばす。その先には生首が置かれており、艶やかな黒髪に指を絡めて戯れだした。
「何だ」
「クッキー」
「会話をしろ、何だいきなり」
「何となく髪をいじりたくなっただけ、クッキー楽しみだね」
「アスターの料理の腕は確かだからな、味わって食えよ」
「……うん」
生首は少女の血液以外は口に入れない。一度試して以来、二度と挑んではいなかった。血液が平気なら飲み物でもと、少女と吸血鬼は折に触れて言ってみるが、生首は頑として受け付けない。元の身体に戻れた時の楽しみにしておく、とまで言われては、もう説得できそうになかった。
くるんくるんと、黒い髪を指に絡め、外して、また絡め。
されるがままの生首は、だんだんと顔をしかめ、おいと少女に声を掛ける。とろんと眠たげな表情の少女は、なあに、と間延びした声で応えた。
「千切れたらどうする、やめろ」
「痛い?」
「たまに」
「優しくする」
「いや、やめろって」
「シャムロックの髪はくろーい」
やめる気配はまるでない。意味のない行為は続く。
「カエデの髪より真っ黒」
「同じだろ」
「つやつや」
「あのな」
「──アヴィオール様はね、白くてつやつやだった」
少女は手を止めないまま、ちらりと視線を向ければ、生首は難しい顔で口を固く閉じている。
脳裏に、在りし日の白き吸血鬼を思い浮かべながら、少女は言葉を紡いだ。
「カエデはこんな風に触ったことないの。お父様に連れられて、地下牢に行ってね、お父様とアヴィオール様の会話をほとんど眺めているだけ。お父様は楽しそうにアヴィオール様の白い髪に指を絡めて、アヴィオール様はつまらなそうな顔でお父様の頬を突いてた。カエデも、お父様の後を継いだら、こういうことしないといけないのかなって、思ってた」
「……やけに親密だな」
「そう? なら、カエデとシャムロックも親密だね。指があったらカエデの頬を突いてくれた?」
「オレはそんなことしない」
「親密じゃないんだ」
淡々と、少女は思ったことを告げただけだが、どことなく生首は気まずそうな顔をしている。
「……その、一緒に映画を観ることだって、親密な間柄ですることだろう?」
「そっか」
あっさりとした少女の声に、生首はやれやれと言いたげに溜め息を溢し、何も分からぬ少女は、不思議そうに首を傾ける。
待ってみても言葉は続かなかったから、少女は白い吸血鬼の話を再びした。
「アヴィオール様ね、カエデと話している時は、冷たい感じの方だったけど、お父様と話している時は少し、空気が柔らかくなってた」
「気に入ってたんだな、あいつなりに」
「みたい。……だからカエデ、不安だったの。お父様みたいに気に入ってもらえるかって。カエデのこと嫌になって出ていかれたらどうしようって、よく──お母様に相談してた」
「……気軽に相談できる仲だったんだな」
「お父様がいなくなるまではね」
母の姿を思い出し掛け、少女は緩く頭を振る。今思い浮かべるべきは、豊麗な白髪の吸血鬼のこと。
「アヴィオール様の話をするたびに、吸血鬼を生首にする方法を教えてくれて、おかしいな、とは思っていたけど、もしもの時の為よって言うから覚えて……ある日いきなり……いきなり? いきなり、なのかな」
「カエデ?」
白い吸血鬼の姿が霧散する。
思い出すのは、ある夜の母との会話。
『お父様とアヴィオール様は仲良し。髪やほっぺを触り合うの』
『……そう』
少女のアーモンド型の黒い瞳が見開かれる。
「違う……いきなりじゃない」
指に絡めていた黒い髪を外し、少女は身体を起こして生首と向き合う。
「カエデがお父様とアヴィオール様が親密なことを話したから、ヤキモチ焼いてあんなことしたんだ」
「……ヤキモチ」
「そもそも……カエデのせい……」
「何を言っているんだ、そんな」
「相談なんてしていなければ、お父様達のことは知られず、アヴィオール様はここにいて、シャムロック達が生首になることも」
「カエデ」
静かに、けれど強く、生首は少女の名前を呼んだ。
「オレ達グレンヴィルの吸血鬼はな、こっそりシェフィールドの吸血鬼に会っているんだ。会って、連れ出そうとする。だからな、カエデのことがなくとも、きっと父親のことがなくとも、あの母親が生きてこの場所にいる限り、生首は生まれたはずだ」
「……」
「カエデは、今、オレ達を元の身体に戻す為に励んでいるだろう? それでいいだろう? これからも申し訳ないが、頼む」
「……う、ん」
どことなく納得していないような無表情で、少女は頷き──鼻を動かす。
甘い匂いが、徐々に近寄ってきた。
「──カエデ、お待たせしました」
柔らかな吸血鬼の声。
それを耳にした瞬間、少女の目が光り、声のした方へ視線を動かす。一拍遅れて、おかしそうに笑う生首の笑い声が聞こえてきた。
「味わって食うんだぞ」
「……うん、もちろん」
力強い頷きと共に、少女は返事をした。
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