第11話 坂道

 珍しいことがあった時は、珍しいことをしてみる。少女と生首の意見が一致したのは、目覚めて数十分は経った頃。


 夜中に同時に少女と生首は目を覚まし、だらだらとお喋りを楽しみながら吸血鬼が来るのを待っていたが、吸血鬼はまるで現れない。

 常なら、人間よりも高性能な聴力によって少女と生首の起床を知り、吸血鬼は少女の服を持って生首を迎えに来るはずなのに。

 もう少し待ってみよう、を何度か繰り返した後で、その状況に飽きてきた両者は、ベッドから抜け出すと洋館中を探し回った。急ぐ用もないのでのんびりとした足取りで、一部屋一部屋扉を開けていく。


「そういえば、シャムロックも吸血鬼だよね」

「そうだな」

「アスターの声とか、何か聞こえない? ちょっとやってみて」


 おう、と言って生首は瞼を閉じ、耳を澄ませているようだった。


「……何も聞こえないな、この建物内は」

「外は?」


 手近な扉から洋館の外に出ると、少女は生首を抱えてくるりと回る。生首は顔をしかめながら、再び耳を澄ませてみせた。


「どう?」

「小さいが──裏の山の方から、あいつの吐息が聞こえた」

「何でそんな所に行ったんだろう」

「知らん。山菜でも採っているんじゃないか?」

「うち、そういうの駄目なのに」


 もう、と頬を膨らませながら、少女は室内に引っ込む。真っ直ぐダイニングに向かい、何も用意されていないテーブルの上に生首を置いた。

 少し待っていてと少女はいなくなり、五分を過ぎた頃に戻ってきた時には、長い黒髪を二つに縛り、無地の黒いワンピースに着替えていた。


「行こう」

「オレは荷物にならないか?」

「何で?」


 少女はポケットから小瓶を取り出す。半分くらい詰まったその中身は、涙の形をした赤い結晶──生首の瞳から溢れ落ちたものだった。

 小瓶の蓋を取ると小気味良い音が鳴る。そのまま少女は小瓶の中身を呷り、アーモンド型の瞳を赤く染めていく。

 少女は小瓶をテーブルに置き、生首を小脇に抱え、外へ。


◆◆◆


 生首を抱えた少女の足取りは軽く、迷いがない。


「アスターがどこをどう歩いたか分かるのか?」

「探索の魔法使ってるから。なんかね、アスターの足跡が赤く光ってるように見える」

「オレの位置からすると、カエデの目から光線が出ているような気がする」

「出してるよ? ここら辺、暗いもん」

「便利だな、魔法」


 緩やかな坂道は、人が二人並んで歩ける幅で、特に舗装はされておらず、木の枝や小石が乱雑に落ちていた。

 呼吸を僅かに乱しながら、少女はお喋りを続ける。


「便利だよ。使えなくなったら、困る。……あの時は、困ったな」

「……オレが放り込まれるまでの話か」

「お母様がごめんね」

「オレが弱かっただけだ、気にするな」


 登って登って時に降り、ひたすら登るを繰り返し、月明かりも届かぬ暗い木々の下、少女の目の光を頼りに進んだ先には──見慣れた背中があった。

 束ねた黒髪は激しく揺れ動き、その両腕は忙しなくイチョウの木の根本を掘り進めている。

 どれだけの時間、ここにいたのか。辺りにある木の根本には、いくつもの穴が作られている。下手人は考えるまでもなく、少女と生首の探し求めていた──。


「おい」

「アスター」


 呼び掛けると、その肩は跳ね上がり、腕の動きが止まる。

 続く言葉もなく、相手から弁解なり誤魔化しなり、そんな言葉が紡がれることもなく、葉の擦れる音だけが現場に響いた。

 少女の瞳から光が消える。完全な暗闇。それで少しは冷静になったのか、衣擦れの音と共に、どこか観念したような声が、少女と生首の耳に届いた。


「もう、起きてしまったのですか」


 返事もせずに少女はすぐさま吸血鬼に駆け寄る。肉眼で見えた吸血鬼の表情は、笑みを浮かべながらも、疲労を感じさせた。

 正面に立っているが、少女と吸血鬼の目は合わない。少女は吸血鬼の胸元を見て、吸血鬼は少女の抱える生首を見つめている。


「土いじりの趣味なんて、いつの間に持っていたのか」

「つい最近ですよ」


 そんな軽口を叩き合っていると、ふいに少女が吸血鬼の腹に拳を打ち込んだ。


「カエデ?」


 穴を開けるほどの威力はない。軽く、触れるだけの力。

 未だ赤く染まった瞳を、吸血鬼の胸元に向けたまま、少女は口を開いた。


「──シャムロックの胴体を探していたの?」

「……っ」


 吸血鬼の深紅の瞳が見開かれる。口を小さく開閉し、けれど何も言葉を紡がない。


「山があったら、埋めるよね。飼ってた犬とか、実験に使った子、埋めたことある」

「……」

「言ってくれたら、手伝ったのに」


 少女は生首から片手を離し、そのまま吸血鬼の汚れた手首を掴むと、軽く引いた。


「この奥にね、湖があるの。そこで汚れ、落とそう」

「いや、でも」

「近くだから、うちより早い」

「……」


 それ以上拒絶の言葉が続かないと、少女は吸血鬼の手を引いて歩きだす。そうされると立ち止まっているわけにもいかず、吸血鬼も続いた。


「……ここに、あるのか」


 坂道を降りていきながら、ぽつりと、少女の腕の中にいる生首が呟く。少女も吸血鬼も返事をせずに、ただただ、足を動かした。

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