第12話 湖
吸血鬼は手を引く。少女は道を示す。
最初は少女が先導していたが、夜道は危ないと吸血鬼が言い、立ち位置を交換してそのようになった。ついでに、吸血鬼は夜目が利くからと、目を光らせようとした少女を止めている。
「……目から光が出るってなんだか、視力に悪影響が出そうじゃないですか」
「魔法で治すから大丈夫」
「便利ですね魔法って」
そんな会話をしながら、山道を降りて降りて、ひたすら降りて、数十分ぶりの平らな道を進んでいくと──湖に辿り着く。
月が、揺れていた。
木の枝も葉も届かぬほどに広大な湖、その水面には、何にも邪魔されることなく丸い月が写り、風に吹かれ形を歪ませている。その情景を長く眺めることはせず、吸血鬼と少女は湖の傍まで近寄って、その場に腰を下ろした。
「一応、髪、下ろして」
吸血鬼は頷き、髪を束ねていたゴムに指を引っ掛けて抜き取っていく。そのまま手櫛で軽く梳けば、夜闇を思わせる黒髪は、吸血鬼の肩や腰を隠してしまった。
「じゃあ、やるね」
少女の赤く染まった瞳が淡く光りだすと──音もなく湖から、人の顔ほどもある水の塊が浮かび上がり、ゆっくりと吸血鬼の頭上へと移動していく。動きが止まった所で、少女が声もなく呟き出すと、水の塊から霧雨が降りだした。
吸血鬼の髪や服に付着していた土汚れがどんどん落ちていく。その代わり服が肌にへばりついてしまったが、一通り綺麗になると霧雨は止み、柔らかな風が吹き始め、服を撫で上げ水の塊を霧散させる。
「乾いた?」
「……そうですね、ありがとうございます」
その言葉で風が止んだ。吸血鬼が再びゴムで自身の髪を縛った後は、沈黙が降りる。吸血鬼は俯き少女は黙して待った。沈黙は続く。続き、続き、自然に吹いた風が音を鳴らした。
「──お前は、どうしてそこまでオレの胴体を求める」
口を開いたのは吸血鬼でもなければ少女でもなく、何の感情も顔に浮かべていない生首だった。
問われた吸血鬼は肩を震わせ、主に視線も合わせず返事もしない。できないが、正しい。
「言わなくてもいずれは分かるだろうと、この件について話し合ってこなかったが……何故、そこまでするんだ。オレは、この状態でも満足している」
「……っ」
「オレが胴体を失ったのは、オレのせいだ。お前が気に病むようなことじゃない」
「──私は!」
勢いよく顔を上げ、少女の膝の上に置かれた生首にしっかりと視線を向けて、吸血鬼は叫ぶように続けた。
「あの日貴方だけを行かせるんじゃなかったと、後悔しない日はないんです! 私もいればそんな状態にはなっていなかった!」
「両方か片方がこうなっていたかもしれない」
「どちらも無事だった可能性もあります! 魔法使いなんて所詮は人間、私は……いえ、私なら殺せました」
「そんな油断がオレを生首にしたんだよ」
「私が、いれば……」
「オレが来るなと命じたんだ、再び命じないと分からないならそうする。もう気に病むな、アスター」
「その命令には応じられません! どうしたって気にしますよ、この命続く限り、貴方が生首でいる限り、ずっと!」
「アスター」
「──お母様がごめんなさい」
小さな声が、二体の会話に挟まる。いくら過熱しても、二体の耳が聞き逃すことはなく、吸血鬼の視線は声のした──少女の元へと移動した。
いつも通りの無表情。けれど吸血鬼の赤い瞳には、どことなく悲しげに映る。
「カエデのお母様がシャムロックに酷いことをしなければ、こんなことにはなっていなかった。シャムロックとアスターがケンカすることもなかったよね」
生首を抱き締める腕に力を込める少女。されるがままの生首は目を伏せ、吸血鬼も再び顔を俯かせる。
「ごめんね、ごめんなさい」
「……カエデに謝られる資格は、ありません」
力なく首を振りながら──余計なことを言わないよう気を付けながら、吸血鬼は言葉を紡ぐ。
「カエデもまた、あの女の被害者なのです。……そう、被害者なんですよ、貴方は。そんな風に気に病む必要はないのですよ」
「……アスター」
「何で、それを自分に言ってやれないんだ」
静かな、責めるような口調だった。
「もう許してやれ、アスター」
「……いくらシャムロック様の命令でも、無理です」
「強情な奴め」
「──くしゅんっ」
突然のくしゃみ。少女の右手が生首から離れ、生首の頭上から鼻を啜る音が聞こえた。
「最近、寒くなったよね」
「……そう、ですね。心なしか」
「うん、だからさ、だから……もう、帰ろうよ」
「……帰りましょうか」
揃って立ち上がる少女と吸血鬼。その際、どこか気まずそうな視線が自身に向けられていることに気付いた少女は──珍しいことに笑みを浮かべた。
口角を上げただけの、淡い笑み。
初めて見る表情に、吸血鬼は息を飲んだ。
「アスター、いつでも言って。カエデ、アスターのお願いなら、協力するよ」
「……っ」
吸血鬼は、すぐに返事をできない。
固く閉じた唇に力を込め、肩を震わせ、赤い瞳を揺らした末に──吐息を溢しながら力を抜いた。
「……私に、そんな資格はありません」
真実は告げられない。
真実は歪められている。
──少女の母は失踪したことになっていた。
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