第02話 姉弟契約

 ここは某大型ショッピングモール。

僕はミキさんのお友達、マヤさんに連れられて服売り場に来ていた。


「この服とか似合うんじゃない?」

「えー、こっちのが可愛いよ~」

「じゃあ、勝負する?」

「望むところよ!」


 こうして、僕をマネキンにしたファッションコーデ対決が始まったのである。

カジュアル、クール系、フォーマルスタイルを中心に選ぶマヤさんに対し、

ミキさんは可愛い系、ガーリー系、アメカジ中心に選んだ。


「これとかどうよ、少年!」

「あ……」

「こっちの方が絶対似合うよ!」

「あの……」

「じゃあ次こっち!」

「その次こっちね!」

「うぅ……」


 何時間経っただろうか。正直、へとへとになってしまった……。

女性の服選びは長いという知識は、アニメを見て知っていた。

でもまさか、ここまでとは──


「さぁさぁ!」

「どれが一番だったか!」


「「決めてっ!!」」


「えっと……じゃあ、これ……」


 僕が指さしたのは、ミキさんが選んでくれたライトベージュの可愛い半袖パーカーと、カーキの7分丈ワイドパンツだ。


「この私が、負けた……?」

「わーい、勝ったー!」


 マヤさんは落胆して床に手をつき、ミキさんは万歳して喜んでいる。可愛い人だ。


「次は負けないわよ、ミキ!」

「望むところよ!」


「店員さーん、お会計お願いしまーす」

「はーい」


 ミキさんとマヤさんは勝敗に関わらず、沢山の服や靴、それに勉強道具を買ってくれた。

きっと僕はもう、普通には学校に行けないから──


「じゃ、お昼にしよっか」

「さんせー! ソラ君は何食べたい?」

「えっと……ハンバーグ……?」

「好きなんだね、ハンバーグ」


 笑顔を向けるミキさんに、僕はコクコクと無言で頷いた。

そんな様子をマヤさんは、頬杖をつきながら優し気な表情で見守っていた。何を思っていたのだろう。


「くすくす。ほっぺについてるよ」

「あっ……」

「何か……年の離れた弟が出来たみたいだ」

「だよねー!」

「弟……か」


 僕は少し、複雑な気持ちだった。きっとミキさんの事を女性として好きになっても、その恋は叶わないだろう。

願ってはいけないのだろう。国が、世間がそれを認めない。

日本という小さな物事しか考えられない国に、本当に嫌気がさす。


 この時の僕は未だ知らなかった。日本の福祉は、親の了承が無ければ利用出来ない事を──

つまり、手を差し伸べられなかった僕の様な子供達は、問答無用で国によって死刑判決を受ける。



「あ、そうだ! ソラ君、携帯電話持ってないよね?」

「はい……」

「買いに行こっか、私の名義で!」

「は、はいっ1」


 何かあった時の為にと、僕に携帯電話を買ってくれる事になった。

そこまでしてくれなくても良いのに……。


 ──様々な携帯電話が並ぶ、CoDoMoショップへとやって来た。

病院とは違った、独特な匂いがする。


「(ソラ君、どれが良い?)」

「(えっと……じゃあこの、空色の──)」


 店員さんに赤の他人である事を悟られぬ様に、僕達は声を潜めて会話した。


「いらっしゃいませー。──お客様は、二台目の契約ですね?」

「は、はい! そうなんですよー!」


 この時のミキさんは、ちょっとアワアワしてた。


「弟さんですか? 可愛い盛りですね~」

「え、ええ! そうなんです!」

「うぅ……くるしい……」

「あっ、ごめん!」


 店員さんのお姉さんはクスクスと笑いながら、契約を処理した。

僕が貰ったのは、四角いオシャレな空色の携帯電話だ。

動かなくなった今でも、ずっと大切に取っておいてある宝物だ。

沢山の電話やメールを送り合った。5年分の思い出が詰まった宝箱。


 

「さーて、次は何処行こっか」


 マヤさんは運転しながら訊ねる。


「ゲームセンターとかどう? ソラ君、ゲームは好き?」

「は、はいっ」

「あっ、敬語ー!」

「う……うんっ!」


「そうだ、三人でプリクラ撮ろうよ」

「そうだね! ケータイに貼ろっか!」

「うんっ!」

「いいなー、私も貼ろーっと」


 プリクラの個室にやって来た僕達は、狭くて眩しい部屋で密着した。

生まれて初めてのプリクラだった。正直言えば、写真は嫌い。

「あの女」に似てると言われた、この顔が大嫌いだったから。

何も解らなかった幼少期は、逆に嬉しかったのも腹立たしい。


 鬱で感情が薄れた僕の眼には光が無い。自然な笑顔も無い。

人前では、たまに笑って見せるけど、口しか笑ってないからきっと不気味だ。


「ほら、もっと笑って笑って」

「──無理です……」

「あっ……ごめん」


 マヤさんは察してくれた。過去のミキさんを知っているからだろう。

今のミキさんは誰よりも明るく振舞っているけど、昔は僕と同じだったに違いない。

僕も、そうなれるのかな? それはいつだろう? 奴らが死んだら、笑って生きられるのかな?



 はい、チーズ! パシャリ────

撮影が終わった。ミキさんが僕の後ろに立ち、人差し指で口の端っこを持ち上げてくれてる写真だ。

 ラクガキタイムというものがあるらしい。

ミキさんは、光が無い僕の眼に白い点を足してくれた。マヤさんは星とか猫の絵を書いてた。


「「出来たーー!!」」


 ホカホカに温まった小さな写真の集合体が出てきた。

ピンホールカメラがここまで進化したのだから、科学力だけは本当に凄い。

人間的には殆ど進歩しないのに──ああ、だから戦争が起こるのか。

進歩が止まった人間が、武力と権力を同時に持った結果だ。


 そんな事を考えてると、ミキさんはケータイの蓋を開けて、プリクラを貼ってくれていた。


「はい、どーぞ!」

「あ、ありがとう……」

「可愛く撮れたね~!」

「まさかこの歳になって、13歳の子供とプリクラを撮る事になるとはね──」


 はしゃぐミキさんをよそに、マヤさんは少し複雑な顔をしていた。

5年後にマヤさんは一番大きな笑顔と、祝福の涙を見せてくれる事になるなんて、この時は想像もしてなかった。


「もう夕方だね、帰ろっか」

「あ~~、楽しかったぁ。ソラ君は?」

「た、楽しかった……!」


 精一杯笑って見せたけど、どんな顔に見えてたんだろう。ちゃんと笑えてたかな。


「──じゃあ、また来週遊ぼうよ」

「いいね、海行きたい!」

「おっけー。じゃあね、少年」

「はい……さようなら」


 僕とミキさんは車から降りて、帰っていくマヤさんに小さく手を振った。


「さてとっ。ご飯にしよっか!」

「う、うんっ」

「今日も頑張って作るよ~。おねーさんに、ドーンと任せなさい!」


 ミキさんは誇らしげに、大きな胸を叩いた。

その日出てきた夕食は、肉野菜の炒め煮だった。

どうやらミキさんは、僕と同じで、甘じょっぱい味付けが好きみたいだ。


 食事が終わると、僕は食器を洗うのを手伝った。

ミキさんは、いっぱい感謝してた。感激してる様だった。

ただの居候には、なりたくない。


 お風呂と歯磨きを済ませ、買ってもらった空色のパジャマに着替えてベッドに入る。

ミキさんは白いTシャツに、薄桃色のショートパンツだ。思春期の僕には刺激が強かった。

薄っすらと、桃色の下着が透けてるんだもの──

鎮まりたまえ、もう一人の僕──


「今日は楽しかったね~」

「楽しかった……ふぁぁ……」


 自然に眠れたのは、父親が居た4歳の始め振りだった。

あの頃は未だ、一応は家族の形を保っていたから──


「あれ? 寝ちゃったかな……。おやすみ、ソラ君──」


 その日僕は、ミキさんがおやすみのキスを頭にしてくれる夢を見た。

あれが夢だったのか、現実だったのか、寝惚けていた僕には判らない。


 朝になり、ミキさんは仕事に行く準備を始めていた。

歯磨きと洗顔、軽くお化粧をして、テキパキと二人分の朝食を用意してくれる。


「何かあったら電話してね。私、お仕事行ってくるから……ね?」

「うん……」

「行ってきます!」

「い、いってらっしゃい……」


 まるで寂しがりな子猫に引き留められるかの様に、ミキさんは名残惜しそうに仕事へ向かった。

さて、一人で何をしよう。外に出るわけには行かない。誰が見てるかも分からない。

ミキさんの少女漫画を読んでみる事にした。


「わっ……エッチだ……」


 すっごくエッチなシーンがあったから、僕は慌てて本棚に漫画を戻す。

──大人しく、教育テレビでも見てよう。それにしても暇だ。

 そうだ、掃除でもしよう。僕は掃除機をかけて、拭き掃除をした。

でもやっぱり時間が余る。そうだ、漢字の書き取りもしよう。


 ミキさんが帰ってくるまでの間、ずっと書き取りをしていたらノートが大分減ってしまった──

悍ましい量の漢字の山だ。未だ且つて、こんなに漢字を書いた事は無い。自主勉強なんて、生まれて初めてやった。

 テストで良い点を取ったところで、誰も見ないからだ。

算数のテストは、文章問題が無ければ基本は100点が当たり前だった。公式を記憶するだけで良かったから。

でも、そんな答案用紙でさえゴミになる。努力の結果でもないから、捨てられても惜しくはなかった。


 ガチャ──


 鍵の開く音がした。ミキさんが帰って来たんだ。

僕はそそくさと、玄関まで走って行った。忍者の様に足音を立てずに──これは癖だから仕方ない。


「わっ! びっくりした! ずっと待ってたの?」

「あの……走って……来た」

「全然足音しなかったから、おねーちゃん、びっくりしちゃった」

「あっ……おかえりなさいっ」

「うん、ただいまっ! 今日は何してたの?」

「えっと……お掃除と漢字の書き取り……」

「わー、偉いね~! よしよしっ!」


 優しく頭を撫でられた。本来ならば、母親にされる事だ。

僕がずっと憧れていたのが、この「なでなで」と抱擁である。

テレビの中でしか見た事が無かったから、現実世界には存在しないフィクションなんだとばかり思っていた。

でも、ちゃんと実在していたんだ──



「じゃーん! これ、なーんだっ!」

「……箱」

「そうじゃなくて、中身の話だよ~!」

「……おっきいハンバーグ?」

「それは夢があるね~。でも、ブッブ~! 正解は──」


 なんだろう。正解は越後製菓?

ミキさんは手に持っていた大きくて、少し重そうな箱をリビングで開封してみせた。

 中に入っていたのは、4人まで一緒に遊べるゲーム機だった。

ゲーム業界で天下を取った、某大手メーカーの箱型ハードだ。新品の家電みたいな匂いがする。


「一緒に遊ぼっか!」

「……うんっ!」


 僕達は、ちょっと怖いゲームを交代で遊んだ。

懐中電灯と掃除機を背負ったおじさんが、オバケを捕獲するゲームだ。


「い、意外と怖いね……これ」

「そう……だね」


 子供向けのゲームを作って来たメーカーとは思えないホラーゲームだ。

人間の恐怖心を煽る様に良く出来てる。流石、天下を取るだけの事はある。



「──はぁ~……楽しかったねー」

「うんっ!」

「元気になったみたいだね。良かったぁ」

「寂し……かったんです……」

「えっ?」

「なっ、何でもありません!」


 思わず、小声で困らせる様な事を言ってしまった。

自分の生活を守る為、僕を生活させる為に一生懸命に働いてくれているんだ。

これ以上困らせるわけにはいかない。


「ソラ君──甘えたくならない?」

「えっ……?」

「おねーちゃんに甘えても良いんだよ?」

「うーん……」


 この時の僕には、甘え方が解らなかった。

幼少期からずっと、親に甘えるという行動を取ってこなかったから。

多分、親に抱き締められて育ったなら違ったのかも知れない。

 「抱き締める」という行為は、僕の家には存在しなかった。

そこにあったのは「首を絞める」という行為。


 姉は重篤な自閉症だ。理性というものが人一倍足りていない。

思ったままの行動をしてしまう。僕が足音を少し立てるだけでも、呼吸音を出すだけでも暴れ狂った。

自閉症の専門用語で、これを「メルトダウン」と呼称している。

 産まれてから一度も誰かに怒られるという躾を受けなかった人間だ。

野性の猛獣の様になっても無理はない。



「──甘え方……解らないんでしょ?」


 ミキさんは全てを理解した様に問いかける。僕は静かに頷く。

次の瞬間、ミキさんは僕を膝の上に乗せると、強く抱き締めてくれた。

昔のミキさんも、きっと甘え方が解らなかった一人だったんだ。

彼女を助けたのは恐らくマヤさん……だと思う。僕は深く訊く事はしなかった。

 もし助けてくれた存在が男だったらと思うと、感謝以上にヤキモチを妬いていたから。

この時に気付いた。僕はミキさんの事を、一人の女性として意識してるんだ──


「よしよーし……良い子、良い子……」


 ミキさんがゆっくりと左右に揺れて、僕は気が付くとベッドの中で眠っていた。

きっと母親に愛されるというのは、こんな気持ちなのだろう。今となっては解らない。


 翌日、昨日の様にミキさんを見送ると、偶然にも隣人の40代くらいのお姉さんが通りかかった。

キョトンとした顔で僕の顔を見ている。何かを疑われている眼だ──


「飯田さん、おはようございます」

「あっ、桜井さん……おはようございます」

「そちらのお子さんは? まさか──」

「弟です!」

「あっ──弟さんかぁ。私はてっきり、歳の近い息子さんだと──」

「あははっ、そんなわけないですよ~」


 弟──か。それも悪くないのかも。

だってミキさんは『本当の姉よりも本物の姉』なのだから──

 子供の僕では、きっと彼女を幸せにする事は出来ない。恋人に見える事も無い。苦しい──


「ボク、幾つかな?」

「13歳……です」

「まぁ~若いわねぇ。うちの娘より、一つ下なのね」

「お母さーん、お弁当忘れてる──あれ、誰?」


 娘さんと思われる女の子がひょっこりと顔を覗かせた。

勝気な目元、栗茶色のポニーテールが、お母さんとそっくりだ。


「飯田さんの弟さんですって」

「ふーん……名前なんて言うの?」

「ソラく──空です!」

「へぇ~、空くんかぁ。あっ、朝練行かなきゃ。またね、空くん」

「は、はい……」

「あらやだ、私も行かなくちゃ! それじゃあね!」

「あ、私もっ! 行ってきます、ソラく──空っ!」

「い、いってらっしゃ~い……」


 まるで台風の様に騒がしい朝が過ぎて行った。

僕は今日も漢字の書き取りと掃除をして、少しだけゲームをして、ミキさんの事を考えながら料理を作った。

料理番組で教わった事を、新品の算数ノートに書いていたのだ。

 暫くすると、最近憶えた足音が玄関に近付いてきた。


「──ただいまぁ……疲れたぁ~」

「おかえりなさい……わっ!?」


 ミキさんがぐったりして、僕の上に凭れ掛かって来た。

余程疲れていたんだろう。そのまま一緒に倒れ込んでしまった。


「あっ……ごめんね! 直ぐご飯にするね!」

「ご飯……作った」

「えっ? ソラ君が?」


 僕はコクコクと頷く。

ミキさんは感涙していた。


「そういえば、良い匂いがするね~。何作ったの?」

「ひじきの煮物と、ポテトサラダ……」

「すごーい! 主婦じゃん!」

「しゅ……主婦?」

「食べよ、食べよ~!」

「あっ……手洗いうがい……」

「はーい、ママ~」

「あ、あははっ……」


 手洗いうがいを済ませたミキさんはリビングへと座った。

僕は温かいご飯と煮物をよそって、テーブルに運ぶ。


「わぁ~、おいしそう! いただきまぁーす」

「いただきます……」

「えっ──う……うまぁ~!?」


 やはり甘じょっぱい味付けが好きなんだ。良かった。

ポテトサラダには砂糖を少し加えた。これは地域差があって、珍しい事らしい。

ニンジンは銀杏切りにして、玉ねぎと同様に軽く歯応えが残る様に茹でてみた。

ジャガイモは完全に潰すのではなく、若干の塊が残る様にした。

そこに細長く切ったベーコンと、輪切りにしたシャキシャキのキュウリ。


「料亭! 料亭の味だよ!」

「大げさ……です。テレビの味です……」

「はぁ~……幸せ……」


 ミキさんが喜んでくれた。嬉しい。

口いっぱいに、モリモリと食べていた。

 食事が終わると、ミキさんは話を切り出す。


「私さ、考えたんだけど──」

「はい……」

「私達『姉弟』になろっか」

「えっ──」

「勿論、義理のね?」

「は、はい……」


 ミキさんが何かを始め出した──


「えー、ごほんっ。私、飯田美樹は、ソラ君の良き姉と成る事を、ここに宣言します」


 ミキさんはチラチラと、こちらを見ている。何かを期待する様な眼差しで……。


「ほら、ソラ君もっ」

「えっと……僕、水樹空は……良き弟に成る事を、誓います──」


「あははっ、なんか結婚式みたい」


 余程可笑しかったのか、ミキさんが泣きながら笑ってる。

この人が幸せなら、僕も幸せだ。


 ──食器を二人で洗いながら、週末の話をした。

ミキさんとマヤさんは、土曜から月曜まで三連休らしい。

海が見えるリゾートホテルにお泊りする計画を立てていた様だ。

ついでに、新しい水着を買いに行くみたい。僕の水着も買ってくれると言ってる。


まさか、またあんな事になろうとは────

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