契約姉弟 ~契りを結んだのは、赤の他人でした~

黒銀結月(くろがねゆづき)

第01話 逃亡、出逢い

 ──僕の名前は水樹空(みずきそら)。13歳。

何の因果か、僕は機能不全家族の下に生まれてしまった。


 父親は、母親と姉の頭のおかしさから逃げる様にして、僕が4歳の頃に蒸発してしまう。

当然、家庭内教育なんてものは一切受けていない。

 想像するまでもなく、僕が受けていたのは母親と姉からの虐待だ。

11歳までは、何処の家でもこれが普通なのだと刷り込まれていた。


 一般教養、一般常識の無さ等が災いし、学校では幼馴染から思春期特有のガス抜き──

つまり、イジメの道具にされていた。それは学校のみならず、集落中に伝播していった。

日本の限界集落では良くある異分子の排除「村八分」である。


 気が付くと僕は、11歳で鬱、胃潰瘍、肋間神経痛、不眠症、脱毛症、突発性難聴等に陥っていた。

何れもストレスから来るものである。ストレス大国日本では、国民にとって現代病のオンパレードだ。



 僕はもう一つ、重い喘息を持っている。激しい運動が出来ず、冷気や埃まみれの空気を吸えず、幼い頃は笑っただけでも発作が出ていた。

10歳の事である。セックス依存症が昔から酷かった母親は、夜中の2時に、何時もの様にセックスフレンドの家へと向かう。

発作で藻掻き苦しみ、窒息死しかけていた息子を尻目に──


 唯一家族と呼べる祖父が異変に気付き、セックスフレンドに電話をかけ、呼び戻した。

祖父は怒鳴り散らし、タクシーで病院へと向かわせた。今思えば、何故あの時祖父は救急車を呼ばなかったのだろう?


 救命病棟へと着いた僕の手の甲には、蝶の羽に良く似た点滴が打たれた。

短い人生において、一体何度ここへ来ただろう。何度来ても慣れない。

独特の匂い、空気の湿り気、ベッドの硬さ、チラッと見える青い診察台。


 その日、僕は例の如く入院する事となった。姉からの暴力から解放される病院は、まさに天国だ。

イタズラをしても怒らない、子供に優しい医者、優しいナースのお姉さん。

そして、同じく喘息で入院していた子供達。当時コミュ力モンスターだった僕は、あっという間に友達が出来た。



「拓也、パソコンの部屋行こ~」

「オッケー」


 彼の名前は『伊保橋 拓也(いぼはし たくや)』

一つ上の小学五年生だ。年上という感じはせず、まるで同級生の様に接してくれた。

 そしてもう一人、小学二年生の男の子『斉藤 優太(さいとう ゆうた)』とパソコン部屋で合流した。

ヒトデが好きな、泣き虫の男の子だ。僕自身も、幼い頃は何故かヒトデが好きだった。


「キッドピクスやろ~」

「やるー!」

「今日も名作生むぞ~!」


 僕らの日課、それはお絵かきソフトの「キッドピクス」で遊ぶ事。

アプリを立ち上げると、軽快な音楽と共に初期画面が表示される。

 平成初期のお絵かきソフトにおいて、子供の心を掴んで離さなかったアプリだ。

アニメーション、効果音、音楽をふんだんに使った珍しい子供向けお絵かきアプリ。


 僕らは毎日の様に遊び、飽きるという言葉が世界には存在しなかった。あの時ばかりは。

入院から一ヶ月程経ち、拓也が退院した。僕の心にはポッカリと穴が開いた様だった。

まるで、お絵かきソフトで描いた円の様に。


 母親は自分の父親、つまり僕の祖父から逃げる様に、病院に居座り続けた。

母親を独占したいと願っていた姉の憎悪は、日に日に肥大化していた事を、この時の僕は未だ知らない。



 更に一ヶ月経ち、泣きじゃくる優太に僕は今生の別れを告げ、退院する。

子供の間では携帯電話どころか、インターネットすら普及していなかった時代。

入院中に交友関係を結んだ友達とは、一度限りの付き合いになる事が世の常だ。


 二ヵ月振りに家に帰ると、家中の窓は割られ、そこら中にガラスの破片が散乱している。

例の如く、発狂した姉の仕業である。二歳上の女性とは思えぬ怪力で、殴る、蹴る、凶器になりそうな物を投げつける。

 長い時では18時から朝7時までこれが続く。当然、誰も助け様とはしない。

近隣住民は、まるで存在していないかの様に息を潜めた。自分達に災いの火の粉が降りかからない事を願い──



 気が付くと、僕は12歳になり、姉からの暴力がピークになると同時に「PTSD」を発症していた。

所謂「心的外傷後ストレス障害」である。虐待児のほぼ全員が罹るであろうものだ。

PSTD由来の「聴覚過敏」と成り、小さな物音にもビクつく様になり、心臓が口から出て来そうな程、大きく鼓動を繰り返した。


 姉は保育園の頃からヒキコモリだった為に、好きな時に好きなだけ暴れていた。

僕は全くと言って良い程、睡眠を取れずに学校に行かされる。

 母親は「演技性人格障害」も持っていたので、馬鹿な大人達達は母親の演技を信じ込んだ。


 学校に行けば年齢に応じて熾烈になっていくイジメに悩まされ、家に帰れば虐待に悩まされ、逃げ場など無かった。

僕は、家出を決心する。どうせ、誰も探さないだろう。

 母親も祖父も、幼馴染も、教師も、誰も──

ある日の深夜、いつもの様に姉の不機嫌な足音が近づいて来る。悪魔の足音だ。


 僕は祖父の部屋の窓から気付かれない様に抜け出した。この時既に13歳。

予め用意していた靴を履き、忍者の様に足音や呼吸音を消して自転車に飛び乗った。

 姉のお陰で身に着いた、戦場で生きる兵士の様なスキルである。

行くあても無く、僕は走り続ける。


 夜中の3時くらいだろうか。たまにすれ違う車の中から、大人達がジロジロとこちらを見ていた。

恐らく、何も知らない大人から通報されたのだろう。パトカーのサイレンが鳴り響いていた。

 見つかるわけにはいかない。林の中に入り、姿勢を低くし、サイレンが遠ざかるのを待ち続ける。

地元警察の仕事が適当で助かった。僕は再び、自転車を漕ぎ出す。存在するかも疑わしい、自由を手に入れる為に──



 空が若干明るくなってきた頃、僕は水を飲んで用を足す為に、記念公園へと足を運んでいた。

チンピラと思われる、20代前半くらいの男達が近付いてきた。


「(まずい……早く逃げなきゃ……)」

「おい、待てっ!!」

「──────ッ!!」


 後ろから、怒鳴り声が聞こえたが、振り返らずに只管走った。

太陽が昇り、仕事へ向かう車が増え始める。やはり、ジロジロとこちらを見ている。

相当目立つのだろう。学校へ行く筈の子供が、朝から学校とは逆方向に自転車を漕いでいるのだから。


 2時間、自転車を漕ぎ、市街地へ辿り着いていた。

バスでは何度か来た経験はあるが、自転車では初めてで、新鮮な気持ちだった。


 公共施設の様な場所で休んでいると、一人の女性に話しかけられた。20代後半くらいだろうか。


「僕、いくつ? 学校は?」

「あっ……今日は休みです」

「そうなの? ────」


 気が動転した僕は、咄嗟に嘘をつく。その後は何を話したのか憶えていない。

此処に居ては警察に捕まってしまうと思い、また自転車を漕ぎ始める。

 大人を信用してはいけない。子供を助けてくれる大人なんか存在しない。

疑念と空虚に満たされた眼で、僕は街を彷徨った。


「お腹……空いたなぁ」


 食べ物どころか、時計も、お金も、着替えも、殆ど何も持たずに家を出ていた。

お小遣いなんていうものは、2回程しか貰った事も無かった。

500円に満たない全財産など持ってきたところで、意味は無かっただろう。


 夜になると隠れて息を殺し、朝になると自転車を漕ぎ、そんな毎日が続いた。

気が付くと僕は、県外に出ていた。完全に未踏の地だ。

 日本地図は、且つて「伊能忠敬」が歩き続け、描きあげたものだという事を僕は知っている。

学校で習ったかは憶えていない。完全にテレビの知識だ。

そう考えると、自転車などという文明の利器に頼っている自分が、情けなく思えた。



 ──あれから数週間経っただろうか。何も食べていない僕の体重は20kgあるかないかまで減っていた。

公園の水が主食でオカズだ。当然、シャワーも浴びていない。

 今が夏で助かった。これがもし、冬だったらと思うとゾッとする。



 悪い事と言うのは、立て続けに起こるもので──

自転車の空気が完全に無くなり、それでも乗り続けたらパンクし、チューブが断裂した。

 唯一持参した道具、喘息の発作を抑える「エプチンエアー」も空気を吐き出さなくなっていた。

僕は絶望と喘息の発作、そして数週間分の空腹に因ってノックダウンされる──



 ──トントントン……トントントン……

意識を取り戻すと、軽快に野菜を刻むリズムが耳に入って来た。お味噌の良い匂いもする。

何処だろう、ここは──


「あっ、目が覚めた?」


 そこに居たのは20代後半と思われる、優しそうな女性だった。

背は165cm程だろうか。母性的な体つきで、黒髪の知的な眼鏡美人だ。


「だ、誰……ですか?」


 僕は警戒した。顔も名前も知らない人だ。

オマケに、街の名前すら知らない。人間は──特に大人は信用してはならない。

その事ばかりが頭を埋め尽くしている。



「私はミキ。飯田美樹! 君は?」

「──空……水樹空……です」

「ソラ君ね! よろしくね!」


 僕は警戒しながらも、自己紹介を済ませた。

女性──ミキさんは眩しい笑顔を向けるだけで、何も訊ねなかった。

頭の中では、きっと何故倒れていたのか、何処から来たのか、何故そこまで痩せているのか──

訊きたい事で脳内が埋め尽くされていた事だろう。


「もうちょっとでご飯出来るから、先にお風呂入っといでー」

「えっ……」

「ほら、あそこのドア! ねっ!」

「はい……」


 半ば強引に、僕は背中を押された。

炎天下の日差しの中、同じ服で数週間走り続けたんだ。余程臭っていたに違いない。


 僕は入念に身体を洗い、用意されたお風呂に浸かった。

浴室は、入浴剤と洗剤の良い匂いで包まれていた。


「ソラくーん、お洋服、ここ置いとくねー。洗濯しちゃうからねー」

「は、はーい」


 か細い声で受け答えし、足音が聴こえなくなったのを確認した僕は急いで身体を拭く。

用意されていた服は、女性用の服だった。

 低身長の僕が白いTシャツを着ると、大き目のワンピースの様になってしまった。

下は部屋着の、水色のショートパンツだ。流石に下着までは用意されてはいなかった。



「着替え、終わったかな?」


 ミキさんはドアを開けると、ひょっこりと顔を覗かせる。


「うんっ、可愛いっ! ご飯、できてるよー。おいでっ」


 僕は優しく、温かく柔らかい手に引っ張られ、居間へと連れて行かれた。


「いーたーだーきーますっ!」

「い、いただきます……」


 まるで学校の様な「いただきます」を、ミキさんがする。

僕は小さく「いただきます」を言う。


 久しぶりのご飯、それも飛び切り美味しいご飯に、自然と涙が溢れ出す。

今までの人生は、給食の他には腐った物なんかも当たり前に食べていた。

 今まで泣かなかった分、人に甘えられなかった分、僕は人生で初めて大きな声で泣いた。産声を除いて──


 ミキさんは茶碗を置くと、こちらに来て優しく抱き締めてくれた。

少し苦しかった。ミキさんの声は涙声になっていた。


「苦しかったね……辛かったね……。もう、大丈夫だよ──」


 その優しい声に、僕は脱水症状で死ぬかと思う程に涙を流した。


「落ち着いた、かな?」

「はい……ごめんなさい……」

「食べよっか。冷めちゃうよ!」

「はいっ!」


 その時に食べたものは、甘じょっぱい煮込みハンバークだった事を今でも思えてる。

その日は土曜日だった。日付の感覚など、すっかり忘れていた僕は、土曜にやっていたアニメを見て思い出す。


 暫くの間、少し緊張した時間が流れて、就寝前の歯磨きの時間。


シャカシャカシャカ──ガラガラガラ──ぺっ────


 お風呂を済ませ、パジャマに着替えたミキさんが話しかけてきた。


「疲れたでしょ~。そろそろ眠ろっか」

「はい……」

「ベッド、一つしかないから……一緒で良いよね?」

「は……はい」


 13歳で思春期真っ只中の僕の心臓は緊張で、痛いくらいに鼓動していた。

でも、この痛みは虐待を受けていた時の胸の痛みとは違った。

とても心地の良い、生きてる事を実感する胸の痛みだ。

生まれて初めて感じた痛みを胸に、僕は幼少期振りに「騒音の無い世界」で眠った──



 小鳥達が朝の挨拶を始めた頃、ミキさんが優しく揺すり、起こしてくれた。


「ソラ君、朝だよ~」

「ふぁ……?」


 僕は寝惚けていた。いつもの様に、人が来ない路地裏や林の中で眠っていたと勘違いしていたからだ。

ふかふかの良い匂いがするベッドの中で目覚めた僕は、ついに死ねたのだと錯覚した。


 ミキさんは、寝惚けた僕の顔を温かい蒸しタオルで拭く。

その時、初めて蒸しタオルという物の心地良さを知った。


「おはよ。目、覚めたかな?」

「はぁい……」


 腕を縛っても血管が浮き出ない程、低血圧な僕は未だ夢の中に居た。

そんな僕をミキさんは抱っこすると、居間へと連れて行く。


「よいしょ……っと。ソラ君……軽いんだね」


 その時のミキさんは、悲しげな顔をしていた。

その時の幼い僕には、その理由が解らなかった。



「さっ、ご飯にしよっか! パンだけど……」


 ────チンッ!

トースターがパンを焼き上げた音に、僕はビクッとした。

当時の僕にとって、突発的な音は恐怖の対象でしか無かったからだ。

正直言うと、今でも恐い。恐怖の元凶である母親と姉が死んだ今でも──

それはきっと、死ぬまで付き合っていかねばならない恐怖だ。遺伝子に刻まれた恐怖──



「ソラ君はマーガリンにする? いちごジャム? それとも──」


 僕は、マーマレードを指さした。


「あっ、それ私の手造りなんだ~」


 ミキさんは少し照れ臭そうに、笑顔でトーストにマーマレードを塗ってくれた。

少し甘く、ほろ苦い大人の味だったのを憶えてる。


 トーストをサクサク食べてると、ミキさんの携帯電話に着信が入った。

ミキさんは僕の方を見つめながら、暗い顔をして話を進める。


「──うん……うん……じゃあね」


「ソラ君──喘息なんだね」

「は、はい」


 何故解ったのだろう?

後で知った事だけど、ミキさんは僕のズボンから出てきたメプチンエアーを、友達に調べてもらっていたのである。


 それから少し重い空気の中、時間が経ち、チャイムが鳴った。


「はぁーい」


 ミキさんの友達と思われる、少し高圧的な女性が入って来た。

そして、僕の方へ詰め寄る。


「君、何歳? 何処から来たの? 親御さんは?」

「えっ……あのっ……」

「ちょっと、マヤ! 怖がってるじゃん!」

「ミキは黙ってな!」


 どうやら、ミディアムショートヘアのお友達の名前は「マヤさん」と言うらしい。

その時は本当に怖かった。


「ほら~! ソラ君、泣いちゃったじゃん!」

「ぐすっ……」

「あっ……ごめん」

「よしよし、大丈夫だよ~」


 ミキさんは軽く抱き締めて、頭を撫でてくれた。

マヤさんは、複雑そうな顔でその様子を見ていた。


「──それで、君……ソラ君だっけ?」

「はい……」

「何処から来たの?」

「新潟……」

「新潟!? 隣の県じゃない! あのパンクした自転車で来たの!?」

「はい……」


 大きな声に、条件反射で身体がビクつき、声が震えた。

それと同時に、きっと家に送り返される、またあの地獄が始まるのだという恐怖に駆られる。


「ちょっと、マヤ!」

「ごめん、つい……。君、もしかして家出してきたの?」

「……はい」


 マヤさんは、頭を抱えながら深い溜息をつく。

ミキさんは何も言わず、申し訳なさそうにしていた。


「ミキ、あんた……この国が、こういう子供に優しくない事……一番知ってるよね?」

「解ってるよ、そんな事!」

「解ってない! あんた、福祉の職場で働いてるんでしょ……もっと、ちゃんと考えな!」

「────ッ!」

「──────っ!!」


 二人は、何か言い争いをしている。

只管に大きな声が恐くて、僕は耳を塞ぎ、眼を閉じて縮こまっていた。

すると、温かい水が頭に触れた。誰かの温もりと一緒に──


「ごめんね……ごめんね……」


 温かい水の正体は、ミキさんの涙だった様だ。

何故だか解らないけど、ミキさんはずっと僕の頭を抱いて、泣きながら謝っていた。


「ソラ君、君の親は?」

「──いません」

「死んだってこと?」

「……親と呼べる人がいません」


 嘘はついていない。

「あんな女」は母親なんかじゃない。ただの他人だ。ろくに話した事すら無い。

ニュースになっていないところを見ると、やはり捜索願すら出されていない様だ。


 僕の存在なんて、そんなものだ。奴は世間体が発生しなければ、僕の存在を認識できない。

そういう病気だ。現に奴は、過去にこう言っていた。

「私には大切な娘が居る」と。「息子」なんていう存在、奴の頭の中には存在しない。


 どうでも良い、寧ろそれで良い。

あんな奴の子供だなんて、こっちから願い下げだ。僕に親は居ない。それで良い。

 ただ、一人残された祖父が心配だ。姉達から暴力を受けていないか、ストレスは大丈夫か。

祖父も僕と同じで、胃潰瘍で通院していた。

暴力を振るわれてなかったにしろ、想像を絶するストレスだったのだろう。


「──何か訳アリなんでしょ。警察に……」

「やめてくださいっ!」

「えっ……?」

「警察は……信用出来ない……」


 僕はその日、生まれて初めて大きな声を出した。

大人の中で最も信用できない者、それは警察と教師だ。

奴らは無責任だ。決して、助ける事はしない。不介入の原則もあるのだろう。


「でも──」

「わかりました……出て行きます……。お邪魔しました──」

「待って!」


 僕が立ち上がると、ミキさんは慌てて手を掴んだ。


「行っちゃ……駄目だよ」

「ミキ……あんた、昔の事思い出してるんでしょ」

「…………」


 昔の事? 何だろう。ミキさんも、何か抱えてるのかな──

そんな事を考えていると、ミキさんは突然、僕の手を放して泣き出してしまった。


「ミキ……ごめん、ごめんね……辛かったよね」

「ひっく……ぐすっ……」

「ミキさん……?」


 ミキさんの身体は小刻みに震えていた。その震えには、見覚えがあった。

自分と同じ震え方だ。暴力を受けていた時の自分と同じ──

その時に確信した。ミキさんは、元虐待児だ──


 何をされたのだろう。想像したくも無かった。きっと、誰よりも辛かったに違いない。

その辛さは、体験した本人にしか解らない。話を聞いただけでは、誰も理解など出来ない。



 無力な僕は、ミキさんの柔らかくてサラサラの髪をそっと撫でる。

涙の勢いは増し、僕に抱き着くと、まるで子供の様にわんわんと泣いていた。


「解ったよ……私の負け」

「えっ?」

「あんた、ここに居なよ。その代わり! この子に迷惑かけたら承知しないわよ」

「はい……」

「とりあえずさ、この子の服買いに行かない?」

「……うんっ」

「車用意してくるわ」


 マヤさんは、サバサバしていた。そそくさとアパートを出ると、車のクラクションを鳴らす。

やはり僕の身体は過剰反応して、ビクッとした。


 泣き止んだミキさんは言う。


「行こっ、ソラ君っ!」

「はいっ!」

「あっ、それ!」

「えっ?」

「け・い・ご! これからは敬語禁止ね!」

「はい……あっ」

「あははっ」


 目尻が赤くなったミキさんが、太陽の様な笑顔を取り戻した。

良かった──


 僕達の姿は他人から見ると、どんな風に見えてるんだろう?

親子? 親戚? それとも姉弟────



 ──こうして13歳の僕と、20代の女性の、奇妙で運命的な共同生活が始まった。

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