川宿場村へようこそ
リュウ
第1話 川宿場村へようこそ
札幌駅で地下鉄を降りた。
地下から地上へと向かった。JR札幌駅の方角になる。
柱のデジタルサイネージが人の目を引く。
私は、宝くじ売り場を左手にし、北へと向かう。
札幌駅の西コンコース南口にある狭いエスカレータを上る。
左手に大丸入口、待ち合わせに使われる白いオブジェを右手にそのまま、北口へとまっすぐ向かい北口前広場に出る。
ここで、バスを待つ。
確かこのあたりだなと周りを伺う。
ジャンバーのポケットから、A4版の用紙を広げる。
「ここだな」と呟き、まわりに目を向ける。
この時間帯は、サラリーマンが、足早に通り過ぎる。
出張だろうか、カラカラとキャリーバックのキャスターが路面に音を残す。
カツカツとリズミカルなヒールの音を響かせて歩く女性。
賑やかだが、学生や子供の姿がないぶん、床の奥に緊張が張り詰められているようだ。
少し前までは、私もこの人ごみの中を一緒に歩いていた。
そう、私は働いていたんだ。
定年前に会社を辞めた。
突然、この会社で働くのが嫌になった。
ふとした時、改めて考えてみると、なんで働いているのかわからなくなった。
お金のため?
生活するため?
食べるため?
私は、この会社に中途入社し、十歳も若い上司に使われていた。
この上司は、珍しいくパソコンが使えないと言う。
彼は、雇用条件にパソコンは使わなくていいと約束したと得意になってしゃべっていた。使えるなんていったら、余計な仕事が来るからと言っていた。
そんなことはないだろう。
今時期、周りの若い社員は、みんな、パソコンくらい使えるのだから。
会社も彼がパソコンくらい勉強するだろうと思っていたのかもしれない。
「会社辞めたらさ、すぐに生活保護になるんだ。
親父は、市営住宅に住んでいるから、親父が死んだらそこに住むんだ。
家族ならそのまま市営住宅に住めるらしいよ。
お金はさ、どこかに移してさ、お金が無いことにするんだ。
姉がさ、ケースワーカーやってて、色々教えてくれるんだ。
生活保護の方が豊かだから、働くなんてバカらしいでしょ」
五十になったばかりの上司が得意になって話していた。
こんなヤツを支えるために働いているんだと思ったら、やる気が無くなった。
そして、会社を辞めた。
やっと入った会社だけど。
私は、早くに妻を亡くした。
サトミという笑顔が素敵な女だった。
「行ってきます」と笑顔で手を振って家を出た妻は、帰ってこなかった。
幸せにしようと決めていたのに、交通事故で亡くなってしまった。
接触した車が歩道に乗り上げ、妻を轢いた。
最後に見た妻の笑顔が目に焼き付いていた。
二人で夢を持って結婚したのに。
小さくても綺麗な家を買って、子どもたちが独立してから、老後をゆっくりと過ごすはずだった。
突然の事故だった。
子どもも家も手にすることが出来なかった。
幸せにしたかったのにと、毎日、悔やむ日々が続いた。
仕事にも身が入らず、妻の遺骨を眺めていた。
気が付くといつも泣いていた。涙が湧いて出る。
会社も辞め、何もしない日々を過ごしていた。
ある日、妻の両親が訪ねてきて、「サトミのことは、忘れなさい」と言い、妻の遺骨を持って行ってしまった。
私は、簡単に忘れる事なんか出来なかった。
物音がすると妻の姿を探した。
ただ、テレビを眺める日々を過ごしていた。
ある時、学生時代の友人が訪ねてきた。
荒んだ私の姿をみて、「何もしてないより、マシだろ」と、仕事を紹介してくれた。
それがこの会社だった。
「こんな時期だから、こんな会社しかなかった。期待するなよ」と言っていた。
私は、こうなることに体が気付いていたんだと思う。
「もういいかな」と言う声が、耳から入ってきた。
その声は、自分の声だった。
自分が呟いていた。
それは、自分で言おうといたのではない。
自然と口から出た言葉だった。
私は、自分で言うのもなんだが、真面目に働いてきた。
会社の悪いところは分かるし、解決方法もわかる。
だが、言う立場にない。口を出すべきではないと言うことだ。
自分の存在する意味が薄れていくことに苛立っていた。
若い者からすれば、私はもう終わった人なのだ。
私は暫く何もしないで暮らしていた。
サトミを失った時と同じように、ただ生きていた。
テレビもネットも見せられているだけだ。
人が選んで観ていると勘違いしているメデアが、面白くもない芸人に高額の金を支払い、無理やり見せつける。
たぶん、こんなことが永遠に続くのだろう。
ほんとにバカらしくなってくる。そんな時、この広告を見つけた。
今、手にしているA4版のチラシだ。
この世に未練のない人を募集。
独り身の人、大歓迎。
衣食住を提供します。
何もいりません。全て提供いたします。
来て住んでいただければよいです。
仕事は、この村を管理する仕事です。
川宿場村
と連絡先が書かれていた。
<ここだろうな>と、私は、北口前広場のバス乗り場の一角に立ち止まり、キャリーバックを横に置いた。
そこにホンダのダークグレイのフィットが止まった。
助手席の窓が開き、男が私に声をかけた。
「えーと、ザン……ノコシさん?」と、額に皺を寄せる。
私は、「ノコシです」と言い軽い会釈をした。
私の苗字は、”残”と書いて”ノコシ”と読む。
いつも読み方を訊かれるので、反射的に答えた。
男は、車を降りて私に横に来た。
「川宿場村のハザマです。これ、荷物ですか?」と、バックドアを開け私のキャリーバックを載せた。
「どうぞ」と助手席を勧めた。
「待ちました?」と訊きながら車を発進させた。
「着いたばかりでした」と当たり前の返事をした。
「ちょっと時間がかかるので、寝ていてもいいですよ」
車は創生川通りを南へ向かった。
私は、車の窓から外を眺める。
右手に見える時計台は、オレンジ色の電光板が時を告げている。
左手のニ条市場は、観光客で賑わっているようだ。
「寝てもいいですよ。三時間程かかりますから」
私は、声にならない声で答えた。
しばらく、外を見る。
自分の顔が窓に映った。
「なんていう顔をしているんだろう」
眉の間が広くなった気がする。
腫れぼったい瞼、目じりの皺、くっきりとしたほうれい線、口角のマリオネット線まで出てきている。
改めて、衰えを感じていた。
単調な夜景を見ていて、私は眠ってしまった。
「ノコシさん、着きましたよ」
街並みが見える。
昔からの木造の小さな駅。
駅前から延びるメインストリート。
最近ではめずらしい商店が立ち並ぶ。
ここは、景気がいいらしい。
今時期、こんな田舎の商店街はシャッター街と呼ばれ荒んでいるものだとばかり思っていたがここは違うようだ。
綺麗に掃除が行き届いている。
商店の面構えもいい。店員は、微笑んで挨拶をしてくれて、気持ちはいいのだが、客が居ない。
これで、商売が成立するのかと思ったが店員の笑顔を見ると、儲かっているのだろう。
商店街の中央あたりにある歴史的な建物の前にくると男は立ち止まり、こちらですと扉を開けた。
そこは、昭和初期を思わせる小奇麗な部屋だった。
奥の部屋に案内された。そして、座るようにと。
「私、この街の村長をさせていただいております。この度は、この町に移住していただいて、ありがとうございます。軽く説明いたしますね」
と言うと、机の上に地図を広げた。
「私、もう、ここに住めるんですか?普通は面接とか試験とかするのではないですか?」
「あ、いや。チラシを手にした時から決まっていたのです。あなたが来ることは」と、ハザマは微笑んだ。
私は驚いたが、ここに住めるのなら断る理由が無く、ありがたかった。
「今、ここです。ほぼ町の中心です」と言ってハザマは、地図の中央を指差した。
「周りは、商店街です。なんでもありますよ」
地図に目を落とすと、確かに何でもあった。
大型店舗の出店で、滅びてしまった商店街がそのまま、そこにあった。
町の端に、あるホテルも見つけた。
「ありますよ、そこはラブホテル?ファッションホテルですけど。その先は墓地になってます」
「墓地?」ぱっと見では、アミューズメント施設の様な平面図が広がっていた。
「広いでしょう。これがこの村の特徴です」村長が、自慢げに言った。
「なんでも都市に集中してしまい、この村も限界集落になろうとしていたのですが、前村長の発案でこのような墓地が誕生したのです。
全国のお墓を引き受けています。宗派と問わない永代供養しています。故郷納税も使えるのですよ」
「これ全部、墓地ですか?」
「そうです。色々な事情で地元に墓を持てないとか、引き継ぐ家族がいないとか、全然関係ありません。この村に任せていただければ」
理解しているかと村長は私の顔を伺った。
「永代供養、宗教的イベント、寄付、この村財源です。村人全員がこの村を管理人として生活しています。
この村で何不自由することなく住むことができます」
「墓じまいとか聞いたことがあります。そんなことが可能なのですか?」
「故人には、故人の家族には、様々な事情があるのです。お金を出したくなるようなサポートがあります。それは、ここで暮らすとわかります」
「そうなんですか」と、頷くことしかできなかった。暫く様子を見ようと思った。
「街を案内しますね。あっ、これをつけてください」と、名札を渡された。
「この名札を常時つけてください。忘れた時、名札のない人とは話さないでくださいね」
それから、住まい先に案内され、商店街を案内してもらった。
本当に、この村には何でもある。
西洋料理店、中華、イタリアン、日本料理、ラーメン屋、ケーキ屋、コンビニがあった。
パチンコ屋、映画館、酒場、ラブホテルまである。
夜が更けるにつき、人が増えていた。何処にいたのだろうというくらいの人の数だった。
楽しそうな笑い声で商店街が活気づいていた。
そんな街の様子が、落ち込みがちな私の気持ちを持ち上げてくれた。
あの楽しかった頃、何でも出来ると思っていた頃に戻った気がしていた。
食事と居酒屋で過ごして、スナックに寄った。
狭い階段を上り、扉を開けると飲み屋の空気が一気に流れ出した。
懐かしい店構えだ。
カウンターのスツールに腰を下した。
カウンター奥の男がグラスを磨くのをやめて、二人の前にウィスキーボトルとグラス、お通しが置かれた。
「マスター、何のお通し?」ハザマがマスターに声をかける。
「クリームチーズサーモン、おいしいよ」
と、言って微笑むとまたグラスを手に取り磨いていた。
私は、まだこんなところがあったのかと、頬が緩んだ。
「いらっしゃい、ハザマさん。この方は?」
「ママ、紹介するよ。ノコシさん、新人さん。今日から」
「あら、いい男ね。水割りでいい?」と微笑む。
「そう、水割りでいい、炭酸じゃウイスキーの味がわからないよ」ハザマが、答えた。
白く細いママの手がマドラーを回す、氷がグラスとぶつかるカラカラという音が気持ち良い。
「ごゆっくり」と、ママがカウンター奥に消えた。
私は、水物を飲みすぎたせいかトイレと向かった。
「いい男か……商売用の挨拶だ」と呟いた。
店の奥のトイレで用を済ませ、手を洗い鏡に映った自分の顔を見た。
「えっ」私は若くなっていた。
額の皺、目じり、ほうれい線、マリオネット線が消えていた。
思わず顎を撫ぜる。夢じゃない。若返ったんだ。
首、肩、胸を触る、筋肉が感じられる。驚きより嬉しさが勝っていた。
私は、そわそわしながら席に戻った。
「ハザマさん、私、若返ったようなんです」
「この村に入ると自分の良かった頃の体になるんです。不思議でしょ」
と、微笑みながらグラスを傾けていた。
「言っておきますが、ノコシさん、覚えておいてくださいね。まず、名札は常につけてください。職員はすべてこの名札をつけてます。職員とは、普通に付き合って結構です。
ただ、職員じゃない人とは、恋愛関係にならないでください。恋人になるとか、結婚するといったことです。守ってくださいよ」
ハザマは、子供に諭すように言った。
それから、私たち二人は、楽しい時間を過ごし、私の家まで送ってもらった。
次の日から、仕事だった。
街の事を覚えるためと言って、清掃の仕事を貰った。
掃除用具一式と軽トラを与えられ、やり方は全て任された。
昼間は、昨夜と違って人通りが無かった。昼間は、職員しかいないとのことだった。
あんなに大勢の人たちが、夜にだけこの村にやってくるのは、不思議だったが仕事をしているうちに忘れたしまった。
体を使った仕事は、あまり経験がなかったが、綺麗になっていく街をみるとうれしくなりいつのまにか夢中になっていた。
職員とも顔なじみになり、改めて都会のギスギスとした暮らしから離れることが出来て良かったと思った。
仕事を終え、シャワーを浴びてから、夜の街に繰り出すことが日課になっていた。
適度の運動と知り合いと他愛のない話をしながら酒を交わすことが、楽しくて仕方なかった。
そう、社会人になった頃を思い出す。責任が無かったあの頃を。
しめは、ハザマさんが、連れてきてくれたスナックだ。
常連になり、店の人には歓迎されていた。
いつもの様にカウンターでスツールに腰かけて、水割りを飲んでいた。
店内の楽しそうな客を眺めていた。
その時、店を出る女が私の後ろを通った。
私の目の端に映った女に見覚えがあった。
私は思わず振り返って、女の後姿を見た。
<似ている> 私は、その女を追いかけた。
狭い階段を落ちるように降りると、左右を振り向き女を探した。
左に女の姿が見える。
「サトミ!」と、後ろ姿に叫んだ。
女は、足を止めゆっくりと振り返った。
<サトミだぁ>
なぜ、ここに居るんだ。
私を置いて何処に、何処に行っていたのだ。
会いたかった。
女は、何もなかったかのように背を向けて歩き出す。
「待ってくれ!」
私は、追いかけた。暗闇の中をずーっと走り続ける。
一向に追いつかない。
彼女の後姿は見えるのだが、追いつくことができない。
その時、私は肩をつかまれた。
ハザマさんだった。
「その先は墓地ですよ。彼女を追ってはいけません。約束したでしょう」
私は、去っていく女の後ろ姿を見つめる。
「すみません、さとみが、さとみが行ってしまう」
私は、ハザマさんの手を振り払って、彼女を追いかけた。
ハザマは、その場に立ちつくし、ノコシを見送っていた。
職安から出ようとしている男がいた。
年齢は、五十過ぎだろうか、活気が伝わってこない。
今日も気に入った就職先が見つからなかったのだろう。
男はしばらく空を見上げる。
誰かに助けを求めるように。
そして、助けが来ないとわかったようにがっくりと肩を落とした。
入口にあるレターボックスに目をやった。
求職先一覧や派遣会社のパンフレットや就活イベントの案内が並んでいる。
男は、何かに気づいてゆっくり、チラシに手を伸ばした。
A4版のチラシに眼を通すと四つに折りポケットに入れた。
「チラシを手にした時から決まっていたのです。あなたが来ることは」
男に、そんな声が聞こえた。
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