4-5 そっちへ行きますか?

 ステージでケーブル類をまとめていると、今日のボーカルが封筒を持ってきた。


「やー、助かったよ、赤緒ちゃん。これ助っ人料」

「ああ。毎度」

「来月アーケードで野外もやるんだけどさ、また頼める?」

「あー、ヒマだったらいいっすよ?」


 うれしそうにこぶしを握るそのツーブロックの男から封筒を受け取り、あとは適当に椅子を運んでからひと足先に出ることにした。長居をしていると打ちあげに誘われかねない。断るのは簡単だが面倒くさかった。


(あ、がく……)


 通りを歩きながら、少し晩飯を奮発ふんぱつしよう、その前に風呂か、などと考えていたところで、それを預かったままなことに気がついた。コピーバンドだが、急遽きゅうきょ病欠したベース担当者のメモ入りをそのまま渡されていた。幸い荷物になるギターはレコード屋に預けて身ひとつで来ていたので、足早にライブハウスまで引きかえす。


 営業時間は終わっていたので、裏手にある機材の搬入口はんにゅうぐちから入ることにした。スタッフ用の出入り口のノブをつかんで少し引くと、すき間から明かりと話し声がもれた。


「なにがヒマだったらだよなぁ。もったいつけやがって」

「天才少女サマだからな。忙しいんだろ?」


 先ほどのツーブロックとメンバーのドラマーの声だ。両方とも若い男だが、メンバーは全員社会人らしい。赤緒の返事が気に入らなかったていだが、それ以前にバンドマンとしてのしっが透けて見えていた。やっかみになら慣れっこな赤緒は、なにも聞かなかったことにして扉を押そうとした。


「つってナマ殺しじゃん。あれで隠せてるつもりかぁ?」


 力が抜ける。

 手より先に、足の感覚が消えたようだった。


 床に穴があいて内臓だけ抜け落ちていく感覚。心臓を吊っている紐が伸びきったみたいに、胸の真ん中に引きつりを覚える。


「気にしてないんじゃないか? ジロ見してるおまえにもやさしーし。客も釘づけなのは演奏のほうって思いこんでるクチだろ、あれは」


 耳のうしろが熱くなる。体はライブのいんでまだほてっている。汗ばんだ肌の上を汗が伝えば、谷間を流れるので否応なく山があるのを意識する。


 気づいていないわけではない。気にしなくて済むよう、慣れただけだ。大きめのTシャツとジャンパーでわかりにくくしても、激しく動くライブで視線は肩より下に感じる。それでも、それだけではないと信じている。


「オーバーサイズで襟もとゆるいのはズルいだろ。目が吸われるっての」

「下が見えなくても弾けるらしいしな」

「な? マジで気にしないタイプだったら、触っても怒らねえかな? どこまで行けるか試すか? ワンチャンなし崩し狙いで」

「やめとけ。知ってんだろ、あのウワサ」

「あー」


 落胆らくたんする声。ノブを握る手が熱い。感覚が消えたまま、いつの間にか指が白くなるまで握りこんでいた。


「もったいねーよなー。つーか、だから男のバンドばっか手伝いに来んのかな?」

「男のバンドにしか行けねーとかかも。ガールズバンドじゃ気が散ってしょうがねえとか」

「童貞かよっ! 待てよ? じゃあ女の子噛ませば三人でイケんじゃね?」

「誰が連れてくんだよ?」

「片っぽデリでさぁ? ひとり分でふたり呼ぶ的な気持ちで」

「ひとり分で手伝ってくれるかねぇ……」


 かじかんだように動かない指をようやくノブからはがし終え、もうひとつの手に持っていた楽譜を扉のすき間から差し入れた。閉めないまま離れ、静かに来た道を戻る。


 なにをいつまでもダラダラと聞き耳を立てているんだと、心の中は自嘲じちょうでまみれていた。

 男同士の会話。じゃれ合いのようなもの。彼らに実行力なんかない。口先だけだ。

 そういうことももうよくわかってきていたというのに、肩の震えは止まらない。

 街灯の明るい表通りに出て、赤緒はようやくまともに息を吐いた。


(……あのバンドとも今日限りだな)


 特に敬意があって彼らの助っ人を引き受けていたわけではなかった。演奏は凡庸ぼんようで楽しくはない。金払いがよかっただけだ。その裏に下心があることも了解の内だった。れいなものしかないだなんて、最初から期待していない。最初からとはつまり、家を飛び出したときから。




 ――あなたはどうしてひとりなんです?

 ――ああ、家出ですか。




 思い出してしまい、歩みが止まる。

 いまは少しでもライブハウスから離れたかったのに、脳裏に浮かんだポニーテールは無駄に活きのいい釣りのように厚かましくのたうちつづける。ご丁寧にあのゴツい眼鏡をかけて。




 ――べんを軽んじる自分を疑ったことは?

 ――自分のためだけに捨ててきた人にはわかりませんよ。

 ――ザコをひねりつぶしてえつに入りたいならご自由に。

 ――まんま子供じゃありませんか。

 ――転売するかも。

 ――このエロザル。




「………………ァァァァァアアアあの衣装はオレが考えたんじゃねぇぇーッッッ!!!!」


 付け加えれば、一年前は揺れてもはみ出るほどではなかった。

 そこは伏せつつも、赤緒は往来で絶叫した。


 人通りはまばらだが、当然離れた場所からも注目を浴びる。

 しかし赤緒は感知せず、そばの街灯を靴裏で蹴りつけた。。


「なんであんなヤツッ! なんで誘ったんだよ!? クッソォォォォォッッ!!」


 スニーカーの足あとを何度も上書きする。本気で鉄柱が折れることを願った。

 やがて疲れはて、ひざに手をついて肩で息をする羽目になる。耳と首まわりがビルの裏手でふとどきなバンドマンどもの密談を聞いたときよりも熱い。


 あの日からずっと、ことあるごとに雀夜とのやり取りを思い出しては、赤緒はいたたまれない気持ちに振りまわされていた。率直に言って後悔しかない。素人しろうととすら呼べない相手に玄人くろうとづらをして知らなそうな曲に触れさせてみたり、自分が教えるなどと無責任なことを述べてバンド結成をせまったり、一から十まで血迷っていたとしか思えない。なんなら事前に聴かせる曲をあの店で念入りに選んでいて、それ自体が結構楽しかったなんてことまでもが赤緒を羞恥しゅうちさいなんでくる。なぜ雀夜を誘ったのか、自分でもよくわからないのはあの日雀夜に向かっても言ったとおりで、依然言語化に苦しんでいた。ただ、きっかけがデュエルでの強襲事件なのも事実であると思い起こすにつけ、論理的に浮かんでくるのはいつも一番認めがたい可能性だけだった。


(違うッ、断ッじて違うッ! 全ッ然タイプじゃねえし! あんな縦に長いだけのモッサリ眼鏡! ゾンビの群れの中でもひとりだけ襲われなさそうな顔しやがって!!)


 たとえの意味は自分でもよくわからなかったが、しかし、消しても消しても浮かんでくる精気にとぼしいモッサリ眼鏡は、確かに呪われた心霊写真か生けるしかばねのようでもある。レコード屋の店長や今日のバンドマンどもの口ぶりからして、赤緒のうわさは近隣の音楽系界隈かいわいに尾ヒレがつくかたちで広まってもいるらしい。それ自体は取り消して回る気にもならなかったが、尾ヒレののりにあのファザコンゾンビが混入するのだけは死んでも避けたい気持ちがあった。


「クソ……会いになんか行くかッ」


 毒づいてはみたが、そういうわけにもいかない。祖父のギターを貸したことで退路を断たれたのは赤緒のほうだ。その上、義理立てする気もないと言いながら、この二週間一度もマジョ狩りに手を染めていない。自分の律義さに心底あきれ果てていた。


(天使どもを怒らせて魔力カラカラのやつに勝っても寝覚めがわりぃ――とか言って、ギターだけ回収して帰りゃいいだろ。すっぽかすとマジで転売すんぞ、あのゾンビ……)


 落ち着くよう自分を説得してみる。しかしそれもどこか、会いに行く言いわけのように聞こえるのだからやりきれなかった。


「きみ、大丈夫?」


 背後から声がかかる。若い男の気配。

 こんな時間に問題がないかとたずねてくるのは、警官か警官が捕まえたいような手合いのどちらかだけだ。大声を出したので前者を呼び寄せた可能性も低くないが、どちらでも虫の居どころの悪さをぶつけてやろうと、赤緒は精一杯「ああ!?」と声にドスをきかせて振り向いた。


「あ、やっぱり、きみ……」

「あ……?」

あか、さん、だよね……?」


 ひよこ色の髪に白スーツ。どちらかといえばすでに警官にマークされていそうななりをして、青ざめた逃亡者のようなそいつの頬にほのかな赤みがさす。

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