4-4-ex★ 期待していますか?

 物のない部屋だっただけに、急に大きな家具が増えたようだった。


 実際、古い仕様の四角いギターケースは場所を取る。物々しく存在感もあり、火葬待ちの棺桶かんおけを置かされている気分で、雀夜は四六時中眺めていた。朝昼夕の三度、その中身を取りだして膝に置く。故人はやさしく扱うべきだが、その〝遺体〟は抱き方次第ではうたうそうだった。


(誰もそこまで期待していませんが……)


 弦には触れず、れて光沢をうしないつつある濃い緑のボディをでてみる。それでもたんねん整備エンバーミングされたそれは、いまにも飛びあがって踊りだしそうだ。雀夜でも見たことのある二本ヅノタイプのボディだが、全体に鋭角的なデザインで、硬質そうなおもむきがある。


 弦は七本。通常のギターが六本なのに対し、そこへより低い音の出る弦を一本足したものだそうだ。当然より低く重い音が出る。そういう音が必要な曲に向いている。弾くための知識も弾き方も六弦の場合とそう変わらないが、操るべきものが一本増えた分コツがいるとか。ユウキが言ったことなのでよく覚えているが、まず六弦から自分の手で弾いてこなかった雀夜にわかることはとても少ない。


(……持っていろと言われましたが)


 右手で軽く弦に触れる。

 十分に押しこまない場合、弦の振動を指が吸収して消音ミュートになるのだとユウキに教わった。ギターはとても不安定な楽器で、意図しない弦が揺れて雑音が鳴りやすい。だからミュートはただ音の鳴らない失敗エラーではなく、大事なテクニックだとも。


 魔楽器であれば、雑音など鳴りはしない。意図しない音に苦しむこともなければ、持ち方が決まらず悩むこともない。食いこむ金属の糸に、指を痛めることも。


「全然違うじゃないですか……だまされましたね」


 ひとりごちながら、少しだけ指を押しこんでみる。硬く細いワイヤーを感じ、いまにも皮膚ひふを裂きそうに思えてヒヤリとする。


 魔法少女でいるときなら、雀夜の指はガントレットが包んでいた。ステージの上には、痛みも恐れもなかった。藍色あいいろ甲手こては、あらゆる不都合を拒んでくれた。


(だって……指を痛めたら、ユウキさんにごはんが作れなくなるじゃありませんか。わたしが持っている、唯一の〝ホンモノ〟なのに……)

「……おうらやましいことで」


 親指で全弦ミュートした状態から、七弦目だけ解放してみた。指の擦れた反動だけでも、ざぁぁん、とかすかに鳴る。老いた犬の溜め息のようにこぼれ落ち、尾を引いて溶ける。


 六弦に一弦足しただけということは、六弦ギターの曲も問題なく弾けるということだ。そしてギター曲の多くは六弦用として作曲されている。また、調律チューニング次第では六弦のまま七弦用の曲を弾くこともできるらしい。

 ならば、七弦目などあってもなくても大差ないのではないか。ホンモノとはどこからで、どこまでだろうか。わかっていてこれを渡したのだろうか、彼女は。


「理想……」


 あのオレンジ女には、いくつか知らない曲も聴かされた。いい悪いなど、それも雀夜にはわからない。自分以外は皆わかっているのだろうか――彼も?


「……静かですね」


 揺れた弦の音まで聞こえるとはよっぽどだ。雀夜は台所のりガラスの窓を見る。

 ぼやけた景色は橙色だいだいいろに色づいている。ユウキが来るにはまだ早い時間。


 相づちも打たない遺体を見おろし、雀夜はやりきれない息をつく。







 三十分後。


 練習用のがくを持って雀夜の部屋を訪れたユウキは、慌てて引きかえし、アパートを飛び出していった。もぬけのからの部屋にはギターケースも見当たらず、まるで大きな家具がひとつ減ったようだった。

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