Chapter 3 いばしょのないかいぶつ

3-1 お変わりないですか?

 ステージ・フィールドは夜空と似ている――けれど、やはり本物ではないと、本物の夜空を見ているとわかる。

 街の明かりが下からも照らし、天上では月ばかりが明るい。闇の部分は薄い膜をまとったようで、星空よりも見とおせない。色眼鏡をはずしても同じことだと、ヨサクは知っていた。


「んで、ルカちゃんの様子は?」


 缶ビールをひと口あおったあと、ベランダのさくに寄りかかっていたヨサクはキッカにたずねた。キッカはいつものようにベージュのスーツ姿で、すみの洗濯機に背中を預けるように腰をおろしている。手に持った缶は、ヨサクがあけてやったきりだ。


「……うん。落ち着いてはいる」


 間と含みのある返答を聞いて、ヨサクはそっと視線をはずした。


「一週間か……部屋からは?」

「……出ない。ごめんなさい」

「謝んな」

「そうじゃなくて……」


 急ぐように言いかけて、キッカはまた深く黙りこんだ。赤い髪のひとすじが、むすんだ唇に張りついている。ヨサクはしばらく待った。


「……あのとき、あんたが声をかけてくれたのに、わたし動けなかった。あんたの言うとおり、フィールドを強制解除していれば――」

「いや、あれは俺も遅かった。想像もしてなかったんだ。ルカちゃんが〝自壊〟起こすなんて」


 誰もな――言外にそう言ったつもりにして、またビールをあおる。炭酸と夜気が、こわばった喉をなでていった。


「……わたし、ルカのオルガンがつぶれたとき、なにもわからなかった。頭の中が真っ白になって……わたしひとりだったら、曲が終わってもなにが起きたのか気づかなかったかもしれない。わたしが、あそこにいた意味は――」

「やめとけ」


 ヨサクは星を探して言った。


「おまえだろ。琉鹿子のマスコットは」

「……」

「《消灯ロスト》までは行かなかった。厳しいが復帰できねえわけじゃねえ。サクちゃんなんかそっから始めたんだ。あとなにが必要かは知ってるだろ」

「……うん。ごめん」

「……」


 星も見つからないので、小さくため息をつく。後輩の手の中でぬるくなっていくビールを飲んでやりたくなった。


「あの……」

 カララと音がして、引き違い窓が少しひらく。ひかえめに声をかけながら、スチールフレームの眼鏡と切れ長の目がのぞいた。顔をあげたキッカとヨサクとを、パーカー姿の雀夜はいったん見比べる。


「どした、サクちゃん?」

「いえ。夕飯ができましたが」

「おっ。ご苦労さん」

「じゃあ、わたしはそろそろ……」

「キッカも食ってけ」


 腰をあげかけた後輩を、ヨサクは引きとめることにした。


「え? でも、わたしは……」

「いーからいーから。サクちゃんの手料理未体験だろ? 参考になるかもしねーぜ」


 よくわからない理由でさとされ、キッカは思わず雀夜のほうを見てしまう。しかし目が合うと、「数はありますよ?」と、そちらからもよどみなく返されてしまった。


「じゃあ、お言葉に甘えて……」

「むむむむむむむむむむ……ッ!!」


 すでに料理の並んでいるちゃぶ台のそばで、誰かがうなっていた。キッカはカーテンを寄せて居間を覗く。と、長い髪をおろしてモコモコしたパジャマを着たはなが、力士のようなしかめっ面で食卓を見おろしていた。


「サクヤちゃん! また味濃いッ!」

「え? そうですか?」


 キョトンとして首をかしげながら、雀夜は下座で苦笑しているユウキのゆうりに正座する。追って「ぶひゃひゃっ」と笑い飛ばしたヨサクが、ビールをぶらさげたまま華灯のそばへ腰をおろす。キッカは窓から入ってすぐのところへ座った。


「華灯は舌がまだお子チャマだもんなぁーっ? 酒にゃよく合うんだぞぉ、これが」

「むむむむぅ〰〰っ!」


 生臭い吐息をかけられながら小さな頭をポスポスたたかれるたびに華灯の顔がよりふくれて赤くなっていく。いつもならたしなめるキッカだがなんとなく気おくれしているうちに、「どうぞ」と雀夜から白米の乗った茶碗を差し出された。「あ、うん」と素直に受け取ってしまい、そのまま流れで大皿に盛られたエビチリにはしを伸ばす。


「ん……んん? 確かに、ちょっと濃いかも。おいしいわよ、でも?」

「恐縮です」

晩酌ばんしゃくのおツマミをよく作ってたんだよね?」


 かしこまる雀夜の隣りで、ユウキがおだやかにフォローを入れる。


「はい」と雀夜。「父は、晩酌と夕食が同じ人でしたので」


 ずっと正座を保っている雀夜を見て、キッカは少し黙ってしまった。

 いつもまっすぐに背すじの伸びている雀夜は、座り方もとてもきれいだと心から思う。毎晩ああして父親の隣りに座って、晩酌に付き合っていたのだろうか。父とはあまり言葉を交わさなかったとも、雀夜はいつか話していた。


 父親とふたりきりで過ごしてきた静かな夜。その夜を失ったとき、雀夜は残る身ひとつをもためらいなく捨てかけていたと聞いた。いまのこの、きっと想像もしていなかっただろうにぎやかな夜のことは、どう思っているのか――


「なにか?」

「え?」


 気がつくと、雀夜がいだ目をして見返していた。一拍置いて、キッカは自分こそ雀夜の顔をまじまじ見てしまっていたことに気がつく。「あ、ううん……」と、話しづらい理由だっただけに返事にきゅうして、さまよわせた視線はちゃぶ台の上のエビチリにとまった。


「……ルカが、好きそうな味付けだな、と思って」

「華灯。五対一だそうです」

「むむーぅぅぅッッッ!!」

「え? え、え?」


 雀夜が急に向きを変えて、華灯が噴火した。はさまれているユウキが「五って、ボクも入ってるんだ……?」と笑顔のまま青ざめ、それを指さしてヨサクが高笑いしている。


 にぎやかさについていけないのは自分のほうか。そのことに気がついて、戸惑いどおしでいたキッカはようやく苦しげに笑った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る