Chapter 2 ミラクル☆ワールド

2-1 お元気ですか?


 湯気の立つころもが朝日にきらめく。

 唐揚げ、つくねのれんこんサンド、きんぴらごぼう、小松菜のごまえ。


 ランチボックスに自分の分を詰め終えたところで、グレーのパジャマ姿の長身がたま暖簾のれんをかき分けて居間から出てきた。寝ぐせ放題のひよこ色の下で目をこすりこすり、多少ふらつきながらも雀夜の姿を認める。


「あぁ、さくゃちゃん、おあよぅ……」

「おはようございます、ユウキさん」

「くはぁ……今日もおぃししょーらね」


 あくびをかみ殺してむにゃむにゃ言いながら、ユウキはおかずの並んだ大皿を見おろす。雀夜は「お昼の分です」と言い置いて、ランチボックスのふたを閉めた。


「もう少し冷めたら、ラップをしておいてください。夕飯はすでに冷蔵庫に」

「うん、助かるよ。いつもありがと」

「いえ」

「おぁょょょょ……」

「んぉぉメシのにおぃぃ~……」


 出入り口に突っ立っていたユウキを押しのけ、髪の長いがらな少女と白い髪の若い男がもつれあいながらよろけ出てくる。

 男のほうはタンクトップにショートパンツとラフすぎる寝間着姿。少女のほうはプードルファーのようなややモコモコした生地のパジャマ姿。ふたりともほとんど目を閉じたまま歩いていて、キッチンでする声と匂いだけを頼りに起きてきたようだった。


「おはようございます、はな、ヨサクさん。朝ごはん、お先です」

「ふたりともまだ寝てていいよ? あとボクがやるから」


 折り目正しく挨拶あいさつをする雀夜のそばで、苦笑したユウキがぐだぐだの二人組をやんわり押し返していく。「すみません、ユウキさん。片付けもお願いします」と言い置いて雀夜はエプロンをはずした。


 ミニバッグに入れたランチボックスを、真新しいスクールバッグに収める。紺色こんいろのサマーセーターに手と首を通し、えりあかひものループタイを通す。

 風呂場の鏡でポニーテールの乱れをチェックし、同時に首の黒いチョーカーが外れそうでないことを確かめ、最後にスチールフレームの眼鏡を軽く押しあげてから、丁寧にくつをはくと、


「では、行ってきます」

「うん。いってらっしゃい」

「いっぇらっひゃぁぁぃ……」

「ぃへぇぇぁぇぇぇ……」


 三人の声に見送られ、雀夜は玄関の扉をあけた。




   ★ ★ ★ ★ ★




 魔法生物総合管理局には、魔法少女を対象にした奨学金しょうがくきん制度がある。


 適用は魔法少女でさえあればほぼ無条件。また学業の成績だけでなく、マジカル★ライブの実績次第でも無利子や返還免除へんかんめんじょの枠をもらえる。原則10代の契約者たちが高確率で困窮こんきゅうしている実態、ノルマなしとはいえ魔法少女活動がまぎれもない労働にあたる実情をかえりみて導入された制度だ。

 契約者に学籍のない場合や転校せざるをえない都合に合わせ、管理局の指定ていけいこうへの編入へんにゅう支援もある。雀夜はユウキと契約したのち、ヨサクとキッカの計らいで即座に近場の指定校へ編入を果たしていた。


「制服っていいよなぁ……」


 玄関の外で歯ブラシをくわえていたヨサクがまったりとぼやく。秋深まる青空の下、アパート二階の外廊下から見える路地のかどにポニーテールとレース飾りのついたスカートのすそが消えるのを見送ったところだ。うしろから両手にゴミ袋をさげて現れたユウキが、白い視線をよこしてくる。


「よくその姿でそんなこと言えますね……」

なまあしショーパンの俺ちゃんもえるだろ?」

「キッカさんの気持ちがわかりました」

「ははぁ。アイツも俺ちゃんにメロメロだもんなぁー」

「はいはい」


 ため息をつくユウキのうしろにとてとてと軽い足音がする。寝間着にカーディガンをった髪の長い女の子が「ユウキちゃん、持つよー?」と声をかけながら、サンダルをはこうとしていた。


「華灯ちゃん? 食べてていいのに」

「いっしょがいーのっ。ミルクチンしてるから、そのあいだにね?」

「アイツの最初の人間形態アバターと来たら、俺ちゃんのアドバイス真に受けてもうムッチムチのプリンプリンで」

「ありがと、華灯ちゃん。セクハラおじさんは無視して行こうね」


 ユウキは小さいほうのゴミ袋を華灯に渡し、連れだって階段へ向かい始めた。降り始めたところで振り返り、まだひとりでブツブツとのろけている年長マスコットへ「雀夜ちゃん今日レッスンですから、お酒飲んじゃダメですよ?」と言い残していく。「アイアイ、キャプテン~」と、すでに酔っぱらっているかのような返事がその背中を追った。


「いいと思うけどねぇ、制服」


 ユウキたちがゴミ置き場へ歩いていくのを横目に見送りながら、ヨサクはもう一度ひとりごちる。


「なんていうか、ヘタに飾ってないぶん、素で明るくなったのが見えるじゃん? 動きも目も冷えきって、先がないなんて言ってた頃に比べれば」


 んー、と軽く伸びをして、よく晴れた空をあおぐ。


 雀夜がユウキと契約し、ヨサクのコミューンの拠点ネストに住み始めてからひと月になろうとしていた。父子家庭で家事の一切を受け持っていたという雀夜は、ここでも率先してなにかと請け負うおかげですぐになじんだ。学校も居心地は悪くないらしく、同学年と発覚した琉鹿子にはなにかと絡まれるものの、同じ下宿勢なのもあってか仲よくやっているらしい。

 その琉鹿子のコミューンにキッカの誘いで週に何度か出入りし、魔力操作のレッスンも受けている。キラメキはぜん小さく、本番になると熱くなりすぎるくせだってまだあるものの、成果は出始めていた。


(魔力損失の少ない《低音特性》。機材アンプだけ高級品が標準装備だったようなもんだ。ルカちゃんみたく器用じゃなくても、省エネでやれただけ九死に一生。……まぁ、声も太くていいのを出せる。地味に姿勢もいいよな。どんなしつけしてもらってたんだか……)


 身辺調査を入れたが、父親が事業に失敗して姿をくらまし、実家を差し押さえられたという雀夜の自己紹介にほぼ間違いはなかった。

 ただ、それ以前の家庭環境には『管理局基準で問題なし』とのことで、生活スタイルや父親の人間像といった細かいことまでは報告をもらっていない。改めて請求すれば教えてもらえはするが、現状その必要を感じるほどの懸念は特になかった。


(心配してた《消灯ロスト》もゆうに終わりかけ……未来の可能性ってのはそのままの意味だから、素の可能性キラメキは本人の人間性そのものだ。十代で可能性がないなんて、親に置いてかれたショック以外もなにかあるかって用心しちゃいたが、やたらマイペースな以外は普通にいい子だしなぁー。ユウキが毎日ウキウキしてんのもわかる……ま、そのユウキくんが? どっちかってーと新しい心配のタネではあるが……)


 ゆるみかけていた頬が、ほんの少し難しい顔のそれになりかかったそのとき、


 目の前の通りから悲鳴を聞いた。


「わあああっ! ユウキちゃぁぁぁぁぁんっ!?」


 誰の声か判然はんぜんとするより早く体が動き、手すりに乗りあげながら小さなヌイグルミじみたドラゴンに変身する。

 人間界でマスコットの姿になるのは規定違反。だが見られなければ問題ない。


 翼のない体でミサイルのように飛び、ヨサクはゴミ置き場のある通りに出た。

 回収ボックスの前に、色素の薄い赤毛を縦に流した小さい人影が立ち尽くしている。


 その向こうには、走り去っていく緑のパッカー車が。なんだ、間に合わなかっただけか、とあきれつつヨサクは目をこらす。――と、車両後方の積みこみ扉が閉まりきっておらず、すき間から中身が飛びだしているのが見えた。


 グレーのパジャマを着た、長いあしが。


 華灯のそばに、連れ立っているはずの青年もいなかった。


「ゆッッ……ゆゥゥゥゥゥゥゥきィィィィィィィィィィィィィィィィィィ!?」

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