1-10 ここにいていいですか?

「ルカー……?」


 たたみにしゃがみ込んだベージュ色のスーツの女性が、そこにうつぶせで倒れている少女の肩を指でつつく。


「帰るわよ? もう……」

「ぐふ……ぶ、ぶぶ……っ!」


 琉鹿子は動かず、しきりに薄気味悪い声をらしてはビクビクと痙攣けいれんするだけをくり返している。かれこれ十分以上も笑いころげて力尽きたようだった。笑いはなおも収まっていないが。


「いやー、ご満足いただけたようでなにより」


 すぐ近くで、壁を背にして腰をおろしていたヨサクがのんきにおどけてみせる。


 キッカは色眼鏡をかけたその白髪男を軽くにらんだが、すぐにきまずい顔になって視線を落とした。黒のジャケパンスタイルなヨサクのひざには、薄い髪色の女の子が小さな頭を乗せて眠っている。


「……め合わせは、今度ね」

「なーンだよ、気にしなくていーって。一応収支プラスだぜ? ルカ姫様のおかげで」

「こっちのケジメよ。さすがに今日のはやりすぎ」

「ひぇー。ママはこえーなぁ?」


 にやけながら、ヨサクは膝の上の無防備な顔から唇につきかけている髪を払ってやる。その様子を盗み見て、キッカは自然と頬がゆるむのを感じながら深く息をついた。


「次にママって呼んだらアックスボンバーね?」

「うぅ!? 埋め合わせは……」

「それはそれ」


 ――ヨサクたちのやり取りをしり目に、ユウキと雀夜はきだし窓をあけ、ベランダに足だけ出すように並んで腰をおろしていた。


 アパートの裏手は広い路地で、その向こうは屋根の低い民家ばかりが並んでいる。街灯が明るく星は見えないが、このアパートまで来た道と同じく、欠けた月が明るく照らしていた。


「落ち着いた……かな?」


 白いスーツ姿のユウキが、ぎこちなく沈黙を破った。気にしていたのは、居間にいる連中のことだ。そうことさらわかりやすいよう、おおげさに体をひねるようにして言った。そうしてとなりの気配に変化がないことに、内心で胸をなでおろす。


「えと、じゃあ……先輩も言ったとおり、初ライブ成功、おめでとう」


 初ライブ――

 ステージの機能をオフにすると、上空のキラメキ・クリスタルが縮みながら雀夜の手もとに降りてきた。ビー玉のようなサイズになってしまったが、クリスタルのそばにはなんけたかの数値と、上を向いた矢印が並んでいた。


 ヨサクいわく、天使たちはアクシデントをサプライズとして好意的にとらえることもあるのだという。運がよければだが。


「……ありがとうございます」


 雀夜は特に変化なく、平静に答えた。ブレザーの制服からリボンをはずし、汗ばんだえりもとを夜風を当てつづけながら、手の中のものをながめている。


 契約前にユウキから受け取ったリボンタイプのチョーカー。受け取ったときは純白だったのに、いまは漆黒に近い濃紺のうこんに染まっている。ステージ・フィールドから戻るとき、キラメキ・クリスタルはその中へ溶けて消えた。


「えっと……紺色こんいろ、かっこいいね」

「……はい」

「それ、持っててね? 要は変身アイテム。地味だって、だいぶ不評なんだけど……」

「……そうですか」

「へ、変身コスチュームはでも、似合ってたねっ。なんか、強そうっていうか」

「……そうですね」

「あ! でもでもっ、気に入らなかったらいつでも変えられるからねっ? あれも自動生成だけど、アルゴリズムにクセがあるから、ほんとっ……」

「……わかりました」

「う、うんっ」

「……」

「…………」

「……………………」

「……きょ、今日はっ、疲れたよね? 空き部屋を用意してって頼んでおいたから、そっちに――」

「ユウキさん」


 チョーカーのふちを指でなぞっていた雀夜が、ついと、その顔をユウキに向けていた。メタルフレームのレンズ越しに、見透かせない色の目がのぞく。


「マスコットはライブに出ない。それが原則……ですね?」


 無色のリップが乗った唇を見おろし、ユウキは息を飲んだ。

 うわの空でいるようだった雀夜が、あいかわらずの、少女にしては低い声で流暢りゅうちょうに話したせいだけではない。とっさに「気にしないで」と答えかけたのを、それはダメだとユウキは自分で制していた。


 彼女は話をしたがっている。ユウキにもそれがわかった。いいかげん、彼女の目に安いごまかしが通じないこともわかりかけている。

 だがなにより、答えるべきだと、ふしぎな自覚とともにユウキは感じていた。彼女の問いに。そして、少し疑ってしまっていた覚悟に。


「……出ちゃ、いけないって決まりはないよ?」


 ユウキはしかし、なだめるような言葉を選んで言った。


「ただ、ボクらの魔力は、いわば支給制、お給料みたいなもので、それ以外の方法で回復できないことにも決まってる。そのくせ、ボクらの体は魔力で直接できているから、かつはそのまま命にかかわる……あ、でもそこはっ、一度のライブで底をつくようなものじゃないから安心してっ? 仮に最悪つきそうになっても、先輩たちから分けてもらうのは例外だから!」

「だとしても、積極的にやるようなマスコットはいない。ですか?」


 途中からただの言いわけのようにまくしたて始めたユウキに、雀夜はそっとたずね直した。ユウキはそれで、しばらく黙りこんでしまう。ただ、唇に固さはなく。


「……やりたかったんだ、ボクが。ライブで、演奏してみたかった。養成所時代から、成績はガタガタだったんだけど、魔楽器だけは得意で。人間の音楽も、たくさんいたし。案の定、外に出たらなんの役にも立たなかったけれど」


 自嘲じちょうはまだ入れてしまう。ただ、雀夜は耳をかたむけている。


「そんなボクじゃ、やっと契約してくれたキミにも、きっとこれからたくさん迷惑めいわくをかける。ほかの方法で役に立てないなら、誰かのためにいてみたかったんだ」


 ――できなければ、未来はない。

 雀夜がそんなふうに言ったことを、ユウキは思いだした。


 養成所を卒業し、公式魔法生物としてコミューンに所属し、半年余りスカウトの成果をあげられなかったユウキも、このまま行けば管理局まで戻されるとおどかされていた。雀夜を見つけたのも自分ではなく、泣きついたヨサクの目利めききだった。最後のチャンス。だからつなぎとめなければ――ただ、そんなふうに考えるのは、本当に自分のためだけに、困っている女の子を魔法少女に仕立てて、ただライブをこなさせることをマスコットの、自分の役割としてしまうように思えて、ひどく嫌だった。


「……すみません」雀夜が膝を抱えながら、不意にささやいた。


「演奏、台無しにしてしまって」

「そんなことっ!?」ユウキはさすがに仰天ぎょうてんした。「や、ていうかっ、あくまで雀夜ちゃんが主役だから!」

「しかも痛かったですよね?」

「そ、それは、まぁ……」


 思わず目をそらして首をさする。散々引っかかれたあとが、確かにまだヒリヒリしている。しかしまたすぐふるい立って、


「で、でもっ、キラメキだって黒字だったわけだ……し?」


 向き直ろうとしたとき、おもむろに黒い頭が寄ってきて、ジャケットの肩に触れた。


 ほんの少し汗が香る。ホテルで浴びたシャワーはとっくに乾いていたけれど、そでにかかる黒髪は湿り気を帯びていた。もたれかかってくる重みに、ユウキは目を白黒させた。


「……歌詞が頭に入ってきたとき、歌い方の指示も入ってきました」

「あ……うん。ライブに必要な情報は、リアルタイムでダウンロードされるから。ごめん、言ってなかった」

「いえ、助かりました。ただ、『声を大きくする』という指示を、『思いっきり』と解釈してしまって……」

「え……」


 『思いっきり』『声を大きくする』――。


 雀夜は自分が暴走した理由を説明していた。要は、全力を出そうとした結果、熱くなりすぎてしまった、ということなのだろう。

 そう推察しながら、ユウキはライブ直前に自分が言ったことも思いだす。


『思いっきり、ゼロで感じて』――。


 その後の指示が、曲がって伝わったのは……、


(ボクのせいか……!?)


「あれ? じゃあ、前半声が小さかったのも、もしかして?」

「小さい? はい。前半は『声をおさえる』と伝わってきたので、抑えたんですが……変でしたか?」

「や、まぁ、その……ウーン?」


 どう答えたものか。ごまかしは通じないと先ほど考えたばかりなのに、ユウキはためらい、口ごもってしまった。


 いま伝えるのは、なにか違うような気がする。

 なにが? と自分にたずねて、「あ、」ユウキはすぐに気がついた。


「でも、それって、たの――」


 不意に、肩に当たる重みが増す。


 ふしぎに思ってとなりを見おろすと、しとやかに閉じるくせのあるすぼまり気味の唇が、かすかにほころんでいた。まぶたを引きつれてまつ毛が落ちきり、浅く長い息づかいがくり返される。


 ユウキは少し戸惑った。けれど、この子が自分の魔法少女だと、やがて思いかえす。


「……じゃあ、楽しかったんだね?」


 ささやきかけ、唇につきそうな彼女の髪をそっと払う。力をなくした細い手と、指先からこぼれ落ちそうだったチョーカーを、いっしょに拾いあげて。

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