1-9 これがわたしの〝音楽〟ですか?


 まばたきの前後で、景色が変わった。


 水のない深海じみた異空間フィールドから、いまどき丸形蛍光灯をぶらさげている八畳間へ。

 雀夜さくやはそこで座っていたときと同じ位置に立っていて、ユウキも人間の姿ですぐ隣りにいた。


 向かいには、ニットの制服姿とメッシュが白だけに戻ったさかき琉鹿子るかこが、恵比寿えびすのようにほこほこした笑みを浮かべて立っている。その両側に、これも人間状態のキッカとヨサク。

 雀夜がなにげなく見まわすと、壁ぎわで小さな女の子が毛布にくるまって寝息を立てているのも見つけた。ボリュームのあったツインテールがほどかれ、畳の上を流れている。


「はー、いいライブでしたわー」


 まず琉鹿子が口をひらいた。

 ぜんとして子犬の動画ででもながめていたような笑顔――が、不意にそのこめかみをぴくぴくと震わせはじめる。たおやかに持ちあがっていた頬の筋肉も、見る間に固さを増しながら余計に上へずりあがる。

 なにかに耐えるようにシワを寄せた眉根だけが苦しげで、次第に顔が赤く震えが全身に大きく広がっていき、ついに袋の底が抜けたみたいに「かはっ」と息を吐きだした。


「かハーッ! ブッヒェヒャッハッハッハハハハハハハハハハハハハハハハハハッ!! む、ぶぶぶっ、ぶりっ、むりぃぃぃぃヒィーッヒーィッ! ルカコっ、ルカコおなかいたいですわーッ! ぎひぃっけひっケヒッケヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒッ!」


「ルカッ! ちょ、ちょっと!?」キッカが見かねてたしなめようとする。が、「こんな時間に、そんな大声で……!」


「こっ、こんな時間じゃなかったらッ! ぶひゅっ、クヒッ! あぼっ、あごが壊れて、次回のに差しつかえるところでっぶっへっほほホハァーッ! ほぉーッほぉーッ! だって! だってあんな! ブッふ! ブァーッ! むりぃぃ!」


 あまりのけたたましさに、パートナーですら手に負えず途方に暮れてしまう。ついにたたみの上へ琉鹿子は横倒しになると、ひざりあげおなかを抱えて転がりはじめた。




   ☆☆ 数分前 ☆☆




 実は、ユウキもマジカル★ライブでの演奏は、今日が初めてだった。

 だが幸い、弾き始めから好調。魔法の音楽は自動演奏が基本だが、魔楽器の場合はイメージに基づく演奏再現となる。そして魔楽器の精度は、奏者そうしゃが持つ魔力コントロールの技量に左右される。


「ユウキはあれだけは養成所時代からの取りえだからなぁ。ほかはボロボロだったが」


 雀夜の初ライブ開始時点。ステージをななめに見おろせる位置の見えない足場で、白いマスコット姿のヨサクは短い腕を組んでぼやいていた。ただ、琉鹿子とキッカが感心したように見入っているのを盗み見て、まんざらでもなさそうに口角をあげる。


 実際、天使たちの食いつきも上々だ。最初のリフが終わる頃には、すでに魔力の泡が浮かび始めていた。『期待泡』と呼ばれる細かい泡。天使たちが積極的に興奮したがっている証拠。


(ルカちゃんじゃねえが、場はイージーモードだ。純粋にお手並み拝見はいけんといけるな)


 ヨサクはステージ中央を注視する。巨大な手かクジャクの羽根のように広がる板金の群れを背負い、手足にもよろいをまとう長身の魔法少女は静かに立っている。手もとの魔楽器ギターがどんなに激しい旋律せんりつを吐きだしていようと、彼女は長いポニーテールの先さえいでいた。


 前奏が転調したとき、ゴーグル型のヘッドセットが細い息継ぎブレスを拾う。

 同じメロディを、二回。


「歌って、雀夜ちゃん!」


 ギターがひそまる。薄紫のルージュが動く。

 歌が流れ出す。


 ヨサクは眉間に力が入るのを感じた。


(細い……)


 かすれた、ささやくような歌声だった。

 浅い深いなどが言える次元ですらなく、ひたすら単純に小さい。

 原曲からしておさえる歌いだしとはいえ、雀夜は明らかに声が出ていなかった。


(どうした……こんなもんか?)


「こんなものですわよね」

 自撮り棒に横顔を向けた琉鹿子がつぶやいた。「どうやらお口も小さめでしたし。まぁ、声が出ただけでもめてさしあげましょうか」口ぶりこそ気づかわしげだが、口もとには薄い笑みが貼りついている。並んでいるキッカの目も厳しい。


 しかし、ヨサクは首をかしげた。


(ほんとにそうか? あんな啖呵たんか切っといて……)


 多くが自動化されるマジカル★ライブだが、魔法少女自身の歌だけは事情が異なる。歌詞だけでなく具体的な歌い方までリアルタイムで意識にダウンロードされるし、キーやテンポも個々人の歌声に応じて調整チューニングされる。だが歌声は、あくまで魔法少女自身のものだ。


 マイクを通すことで魔法化はされる。が、それはそうしないと天使たちに歌が認識されてくれないからに過ぎない。

 琉鹿子などはわざと歌を抑えて、楽器がメインの曲を選んだり編曲をアレンジしたりしている。魔法が得意なら、魔法以外の技量にも左右される歌唱に心血を注ぐのは効率が悪いからだ。逆を言えば、まだ魔法の扱い方を知らない新米魔法少女は、歌に集中するほかないということでもあるが。


おんじゃねえ、これは。緊張で喉が閉じてる感じでもねえ。だいいち、気持ちは本物だって、なによりそう感じたから行かせたんだ。そうだろ、ユウキ?)


 歌声の弱々しさに合わせるため、ユウキのギターも攻めあぐねているようだった。コスチューム付属の浮遊フロートスピーカーも、ほとんどが死んでいる。いいかげん不審に思いはじめた天使たちが、耳を寄せるようにステージと距離を詰め始めていた。


 Bメロの終わりがまたたく間に近づいてくる。ヨサクは祈るような気持ちで待った。


 サビ。


 に、入ったとわかるより一瞬早く、ステージをなす氷柱が砕け散った。

 と、錯覚するほどの振動だった。

 空気が裂けて割れて爆発した。


 一瞬無音かと思うほどの爆音に目の奥を揺さぶられながら、ヨサクはそれが人の声だとかろうじて悟った。


 歌声だ。間鋼まはがね雀夜の。

 サビに入った瞬間、彼女は絶叫ぜっきょうしていた。


 前半の歌声を少しでも拾おうと、ユウキがアンプの音量をあげてもいたらしい。

 ヨサクのとなりで琉鹿子とキッカも、青ざめた顔で吹き飛ばされそうなのを耐えていた。

 耳が慣れてくるに従って、さらに聞こえてきたのは取り乱した悲鳴。


「痛痛痛痛痛いッ!? 弾かないでっ、雀夜ちゃん! 雀夜ちゃん!?」


 ステージの中央には、膝を曲げて腰を落とし、むすんだ髪を振り乱す魔法少女。

 彼女は腕の中のギターをかじりつくように抱き、一心不乱にその弦をかきむしっている。尋常じんじょうでなくツメのとがった鋼の甲手ガントレットで。

 ボディに傷こそついていないが、演奏が止まっているのにも雀夜は気づかないようだ。


 ヨサクはその光景を、じっとながめた。


 一匹残らず凍りついている天使たちと同じように、心をきょにしてそれをながめた。

 雀夜がひとりで歌い終わるまで。


 ユウキの計らいで、曲は一番限りに設定されていた。

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