1-2 泊まりでいいですか?

 魔法少女のコスチュームプレイを前提ぜんていにした愛人契約――


 という誤解を解くのにまただいぶ時間を要してしまった。厳密には途中で少女のほうが、ずっと全裸で立っていてクシャミをすることになり、鼻水をすすりながら「まあ、なんでもいいです」と雑に折れただけ。もう一度シャワーで温まり直してもらってから、いっしょにホテルを出ることにした。


間鋼まはがねさくです」


 道すがら、いまさらのようにユウキは少女の名を聞いた。秋も終わりに近づく肌寒さの中、湯あがりのうなじをさらし、結い直した長いポニーテールが揺れる。ブレザーの制服を着た彼女の持ち物は、下着と水筒すいとうの入った古いリュックサックだけだった。


「お話ししたとおり、行くあてはありません。寝食しんしょくの世話をしていただけるのであれば、愛人でもビデオ撮影でもなんでもしますが」

「や、どっちも違うんだけど……」


 先を歩いていたユウキは眉をハの字にして途方に暮れつつ、恐れずついてきてもらえていることにあんして苦笑していた。相手の事情はだいたい聞きだして、自分の事情は伝えきれていないことにうしろめたさはあったが、これまでこうしゃすら一度として連れ帰れたことがなかっただけに、ユウキの心ははずんでいた。


「まあ、きみの希望は、だいたい叶うと思うよ、間鋼さん」

「雀夜で結構です」

「う、うん。雀夜さん」

「雀夜ちゃんで結構です」

「さ……雀夜ちゃん?」

「はい。ここですか、ユウキさん?」


 ユウキは、いままさに入ろうとしていたしきの前で足を止め、振り返った。一メートルほどうしろで立ち止まった雀夜は、目の前にそびえる二階建てのアパートをぼんやりと見あげている。建物は古いが、そとろうの明かりはすべてつき、雀夜のメタルフレームの眼鏡に反射していた。


「……お金は持っていなさそうですね」

「ヴッ……ま、まぁ、部屋は余ってるから……」

「おや。同棲どうせいをご希望かと。という以前に、管理人さんでしたか」

「管理……はしてるかな。人には貸してないけどね」


 建物わきの外階段をのぼり、二階で唯一窓に明かりが見える真ん中付近の部屋、イチマル号室に案内する。ドアノブをにぎったユウキは、扉がひらく側に雀夜が立ったので、「お先にどうぞ」とうながしながら手を引いた。


 結果、部屋から飛び出てきたクラッカーの破裂音と紙テープ二発分は、すべて雀夜が頭からかぶる羽目になった。


「おめでとぉーっ、ユウキちゃぁーん!」

「元気出せぇぇーッ、ユウキぃぃぃぃ!」


 円錐形えんすいけいの祝砲を構えて玄関に立っていたのは、パーカーを着た小柄な少女と、白い髪の若い男。


 少女のほうは、左右の耳の上でむすんだ明るい色の長い髪を振り乱し、まるで自分の誕生日のように興奮している。隣りで目線がそろうようかがんでいた男は、真円の大きな色眼鏡の下から指を入れ、涙をぬぐう真似をしている。


 紙吹雪がひとしきり落ち切ったところで、先に少女が「ふわっ!? ユウキちゃんじゃない!」と血相を変えた。男も「おっ? てことは……」とつぶやきながら色眼鏡をさげ、最初から喜色を浮かべていたらしい両目をのぞかせて雀夜を見あげた。雀夜にはその目が、赤くにごった紫色に見えた。


「た、ただいま、ふたりとも……」


 扉のかげからユウキがじわじわ顔を覗かせる。青ざめきったその顔を見つけたツインテールの少女が余計に目を丸くして、握っていた発射済みのクラッカーを床に落とした。


「だ、だいじょうぶ、雀夜ちゃん……?」


 ユウキの手がおずおずと雀夜の頭に伸びるも、そこに引っかかっている黄色い紙テープを取ろうとして取らないような距離でそわそわしてしまう。その反対側で「わぁぁぁっ、ごめんなさいごめんなさいぃ~~ッ!!」と靴下くつしたのまま靴脱ぎ場に飛び降りた少女が、雀夜のスカートについた色紙のかけらを猛然と取り始めていた。


「やるじゃねぇか、ユウキぃー」


 その少女のうしろで、男はかがんだまま動こうともせず、かけなおした色眼鏡越しの視線をユウキに移す。男が浮かべたへらりとした笑みに、見おろすかたちのユウキは引きつった苦笑を送り返した。


「先輩はいま〝なぐさめてやるモード〟でしたよね?」

はなが〝祝ってあげちゃうモード〟だったろ? バランスだバランス」

「なんのバランスですか……」

「……ユウキさん」


 気がつくと、雀夜がユウキのほうを振り向いていた。その両手は、彼女の胸より低いところでわたわた動いていた少女の肩を押さえていて、


「こんな小さな子までビデオに?」

「ブッ!?」

「ぶはぁーっ! 嬢ちゃん、それマジかよ!」


 たちまち目をむいて顔面蒼白そうはくになったユウキの前で、男が黒いスキニーのジーンズ越しに両膝りょうひざをたたいて喜び始めた。


「びでお?」とツインテールの少女がふしぎそうな目をして顔をあげる。雀夜さくやは彼女をさらに引き寄せつつも、困ったように首をかしげた。


「アパートまるごとを撮影所にしているというのではないのですか?」

「さ、撮影から離れようよ……」

「いやー、わかるわかる。店の外で看板持ってそうだもんな、コイツ」

「えぇえッ!?」


 いまだかつてないほど愕然がくぜんとしてユウキはふたたび男を見おろした。男はいつでも頭にりを入れられるような位置にいながら、なにくわぬ顔で首のうしろをかいている。


「先輩がッ、コレで登録しろって言ったんじゃないですかっ!」

「おう。だーって、似たようなモンじゃねーか」

「そ、そんなぁ!?」

「ちょっと」


 ユウキが絶叫ぜっきょうしたそのとき、部屋の奥から声がかかった。

 りんとして通る声に、全員が振り向く。


 キッチン直付けの短い廊下の奥、居間との境に垂れさがる古くさいたま暖簾のれんをかき分けて、ベージュのパンツスーツを着たOL風の若い女が立っていた。派手な赤い髪をショートにおさえた小ぎれいな顔には、剣呑けんのんな色が浮かんでいる。


「キッカさん……」


 ユウキが途端に緊張した様子で名前らしきものを呼んだ。『キッカ』はそのユウキとずっとしゃがんでいる男に視線を向け、鼻から重く溜め息をつく。


「いつまで玄関でやってるの? ドアもあけたままで非常識よ。お客さんも来てるのに」

「そ、そうだ! ごめん、雀夜ちゃんっ。先に入って?」


 ユウキがバタバタとあわて始め、ひとまず少女を離した雀夜は、「では、お邪魔します」と告げてくつを脱いだ。しゃがんだまま壁ぎわによけた男の白い髪のそばを通り、廊下ろうかへ進んだところで「こんばんは」と声がかかる。


 居間の境で腕を組んでいた女が、打って変わっておだやかな顔をしてほほ笑んでいた。瞳は森を映した湖面のように深くんだ緑色をしている。

 その色にか、むかえ入れた者を抱きとめるような笑みの温かさにか、雀夜は一瞬見とれたように言葉を失い、「……こんばんは」といっぱく遅れて会釈えしゃくした。


「入って待ってて?」


 そう言いおいて、緑の目は雀夜と入れ違いにユウキたちのもとへ向かった。「ほら、お茶くらいかして」「は、はいっ!」「ユウキくんじゃなくてこの白髪しらががやるの」「イヤーン、引っ張らないでぇー」「キッカちゃん、お菓子食べる?」「今日は特別ね」


 にぎやかしい玄関をしり目に、雀夜は居間へと足を踏み入れる。

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