29話 元不死の魔女の告白
乗合いの馬車は道中に近辺の村に寄り、それを中継地としながら進む。同じ馬車を使い続けるのではなく、村ごとに乗り換えるのは同じ人間が運転を続け長距離を移動し続けるのは疲れるからだろう。そんな辺鄙な場所にあるドガルの村と鉄道の終点まで馬車があるのは、やはり神の果実を目的とした人間が多いためだ。
(まあ……ユージンが死んでいれば、いずれはこの馬車もなくなるかもしれないわね)
神の果実の神秘性を増していたのは、生きたミイラとなっていたユージンの存在だ。彼には村を出る前に果汁を飲ませてきたので、上手くいけば死ねているだろう。
だって、一日が経っても私の手の傷は癒えていない。朝起きても痛みがあることが嬉しくてたまらなかった。
(やっと……やっと、私にも終わりができた)
つい微笑んでしまうくらいには嬉しくて、朝からそんな顔をしていた私を見たノクスもそれを察したらしい。傷薬を取り出しながら「包帯を変えよう」と言って、薬を塗りなおしてくれた。
「ねぇ、ノクス。貴方に話したいことがあるわ」
「……うん」
「でも、二人きりで誰にも邪魔されない場所がいいの。どうしましょうか」
乗合いの馬車の出発時間に遅れたら、その馬車が往復で戻ってくる二日後まで動けない。ノクスが私の告白にどんな答えを出したとしても、それでは彼が時間を食ってしまうだろう。
それなら鉄道が走る町まで戻ってからがいいだろうか、と思いつつノクスの考えを聞いてみた。
「……じゃあ、俺の拠点まで戻ってから」
しばらく無言で考えた後、彼は意外な返答をした。なんとなく、この旅を引き延ばしたいのではないかと感じたけれど、ノクスがそうしたいならそれでいい。私の最大の目的はすでに果たしたのだから。
「分かったわ。じゃあ貴方の拠点で話しましょう」
「うん。……それまではもう少し、設定のまま、ね」
「……ええ、分かってるわ」
あえて設定のままと口にしたのはどういう意図だろう。旅の間夫婦と偽るのは最初に話した通りで、私は当然帰り道もそのつもりだった。
帰りはノクスの傷も完治していたため行きほど時間はかからない。彼も何か考え込んでいるようであまり話さないので、自然と会話が減る。そのせいなのか帰りの二人旅は少しだけ寂しい気がした。
(今なら簡単に私を殺せる。十年以上追い続けた目標に手が届くんだから、ノクスも考えたいんでしょうね)
私の心は決まっているが、ノクスはまだなのだろう。いや、むしろ私が何を話すかが気がかりで逆に考えがまとまらないのかもしれない。
私はこのままノクスと生きてもいいし、ノクスに殺されて人生を終わらせてもいいと考えている。結婚してと言わなくなった彼が、私を殺して自分の人生を歩み始めようとしているならそれでいいし、まだ私と生きるつもりがあるなら寄り添いたい。
(ああでも……ノクスを見送るのは、やっぱり嫌ね)
そんなことをつらつらと考えながら移動し続けていたら、ノクスの拠点に戻るまではあっという間に感じた。人気のない静かな森の中の、私の家によく似た拠点。私たちは互いに拠点の中で、定位置となっている椅子に座る。
「やっと話ができるわね」
「……うん」
向かい合ったノクスの表情が浮かない。彼が何を考えているのかは知らないが、テーブルの下でその手がナイフを握っていることは知っている。それでも私はそんな彼に向って微笑んだ。
「ノクス、ありがとう。私は……これで、死ねる体になったわ」
「……よかったね、ララニカ」
「ええ。私、ずっと……今すぐにでも死にたいって思っていたから。ようやく死ねると思うと嬉しいわよ」
絶対に叶わないと思っていた望み。永遠を生きなければならないという絶望の中にいた私は、千年近い時を経てようやく限りある時間を手に入れた。私はすでに諦めていたから自分だけでは絶対に届かなかったものだ。だからこれはすべて、ノクスのおかげなのである。
その喜びと感謝を伝えたかったのに、私を見つめる黒い瞳が動揺するように揺らいでいるのを見て、少し慌てて言葉を続けた。
「約束は忘れてないわ。私を殺せるようになったら……貴方と結婚するという約束よね」
今でも忘れない。幼い子供の顔で、とてもいい方法を思いついたのだと言わんばかりの笑顔で、ノクスが放った言葉。始まりは幼稚な、荒唐無稽な夢だったはずのそれが十余年の時を経て実現可能となった。私よりもノクスの方が、これについては強い思いがあるだろう。
「……ララニカ」
「でもその話をする前に、私の気持ちを聞いてほしいわ」
死にかけの子供だった彼を拾って弟子のように思いながら育てた。その時の私は、まさか自分がこんな感情を抱くようになるなんて考えたこともなかったのだ。
私は彼と違ってまだ一度も彼に自分の想いを伝えていない。それをせずに結婚という話をする気にはなれなかった。
「私はずっと貴方を子供だと思っていたし、そうじゃなくなってもいつか私を置いて死ぬ別の生き物だと思っていたのよね。だから大事な存在にしたくなかった」
「うん、知ってる」
「でも、いつの間にか……私はもう、貴方を失うのが耐えられないくらい、貴方が大事になってしまった。もし私の祝福が解けなくても、この旅が終わったら言おうと思ってたのよ。一緒に生きてほしいって。貴方の最期まで私と居てくれないかしらって」
ノクスが目を見開いて、固まった。痛いほどに視線を感じる。自分の感情をこうして話すなんて、過去にあったかどうかも記憶にないくらいなので、なんだか恥ずかしくなってきた。頬が熱くなってきたので、顔にかかる髪を耳にかける。……これくらいで涼しくなんてならないが。
「私は……貴方が好きよ。不死の魔女だった私の望みを叶えるためだけに暗殺者になった、馬鹿な貴方を愛してるわ。今まで出会った誰よりも、貴方に愛情を感じる。だから……私は、死ぬことができるようになったからこそ、貴方だけは見送りたくない」
死ぬことができるからこそ、私はノクスに先に逝かないでほしい。我儘だと理解しているけれど、大事なものを失う苦しみを二度と味わいたくない、と距離を置いていた私の中に入り込んできたのは彼なのだ。その責任を取ってほしいと思ってはいけないだろうか。
「っ……それって、俺に……殺してほしい、ってこと……?」
その声は震えていた。喜びと絶望が混ざり合ったような、見たこともない笑みをノクスは浮かべている。その姿を見て思う。やっぱり、殺すということがどういうことなのか、彼は分かっていなかったのだろうと。……私を殺す覚悟は、出来ていなかったのだと。
「そう。私は貴方に殺してほしいわ。……でもそれは、いつかの話」
「…………いつか?」
「ええ。だから、私たちは結婚しましょう。……貴方が死ぬより前に私を殺して。そしてそれまでは、一緒に生きる……というのはどうかしら」
自分の前で指を組み合わせ、ぎゅっと握った。私としては一世一代の告白なのだが、ノクスはどう思うだろう。身勝手だと思わないだろうか。彼はまだ私を好きでいてくれているとは思うが、今更なんだと呆れないだろうか。
「その、勿論貴方がまだ私を好きで、結婚したい……と思っていたらの話、なんだけ、ど……っ!?」
突然黒いものに襲われ、視界がぐるりと回った。私の目に映るのは簡素な天井と、視界の端にちらつく紺色の髪。そのままの勢いで椅子から床へと落ちたが、床との間に挟まっている物のおかげか痛くはない。
落ちたナイフが転がり、そのままくるくると軽く回る音がする。自分を強く抱きしめているぬくもりはノクスのもので、どうやら行儀悪く机を飛び越えてきたらしいと理解した。
「好き。結婚したい。愛してる。……すぐにでも殺してほしいって……言われるかと、思ってた……っ」
苦しげな声が耳元で感情を吐露している。強い力で抱きしめられて、息が詰まった。彼は元から力が強いのだ、加減してもらわなければつぶれてしまいそうだと思いながら、それを伝えるべく背中を叩いた。今の私はもう不死者ではないのだから、内臓でも傷ついたら修復に時間がかかるし死ぬかもしれない。好きな相手に抱き潰されて圧死とは笑えない話だ。
「これ、死ぬ、わよ」
「……ごめん。……でも離れたくないからこのままでいい?」
「……仕方ないわね……」
私を潰しそうなほどの力は弱まったが、それでも身動きが取れないくらいには強く抱きしめられている。このままでいいとは言ったものの、天井を見ながら床に転がされているのは妙な状況ではないだろうか。
「……ノクス。離れなくていいから起きましょう。床は汚れるわよ」
「ん……それもそうか」
ノクスは私を片腕に抱いたままひょいっと体を起こし、倒れた椅子を片足で起こしてそこに座ると、私を自分の膝の上に乗せて抱きしめた。背中側から抱きしめられて、彼の顔が私の肩に乗っている。椅子を足で起こす行儀の悪さを叱るべきか迷いつつ横眼で間近にある顔を睨もうとしたが、肩に顔を埋めている彼の顔は見えなかった。
(全く……仕方のない子)
彼は私がすぐにでも死を望むと思っていたようで、それを考えていたからこそ帰りの旅の間は静かだったのだろう。彼が私を殺せるなら結婚すると約束したのだから、私もすぐに死ぬつもりはなかった……とも言い切れなかった。
(私がまだ、ノクスのことを特別だと思っていなかったら……早く殺してと、言っていたかも)
私のために死ぬ方法を探してくれたノクスへの義理は果たすだろうが、義理を果たしたと思えたらすぐに死にたがったかもしれない。ノクスは私の性格を知っているからこそ、そう考えてしまって旅を引き延ばした。……私を殺したくなかったのだろう。
「ねぇ、ララニカ。……好きだよ。いつか必ず君を殺してみせるから……結婚して、それまで一緒に居てくれる?」
「だから、そう言ってるじゃないの。……馬鹿ね」
「うん。……ありがとう」
こめかみに柔らかいものが触れる。それは恋人となった暗殺者からの初めてのキスだった訳だが、そうだと認識した途端に心臓がどきりと跳ねた。……そういえば、私はまともな恋愛をしたとことがないのである。
(……心臓の病になったらどうしようかしら……)
いつも不死を願っていた頭で、変に騒ぐ心臓が寿命を縮めないことを願う。
元不死の魔女である私は、いつかノクスに殺されるだろう。それまでは彼と共に生きていく。ただの人間のように、限りある時間を精いっぱいに。……それは間違いなく、どこにでもあるような、普通の幸福だ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます