28話 不死の魔女と最期の果実



 私たちはドガルの村を朝一番に立つ行商の馬車に乗せてもらった。都会ではなく、ドガルのように辺鄙な場所にある村を商売相手にしている個人の商人で、気のいい人物だ。ノクスが笑顔で少しの乗車賃と共に頼んだら訝しむこともなく荷台に乗せてくれたのである。

 簡単に乗せてくれたのはこの村で売るものを売って商品がほとんど残っておらず、荷台が軽かったからというのもあるだろう。



「本当によかったの? あいつに……食べさせてやって」


「いいの。……死ねない苦しみは私もよく知っているから」



 ヴァンの企みを暴き、脅すような交渉だったが“最後の果実”を手に入れた。二房を収穫し、そのうちの一房は絞って果汁を出して、狭い部屋に押し込められていたミイラのユージンの唇に垂らしてきたのだ。

 それで死ねるかどうかは分からないが、もうそれ以外の方法で彼が果実を口にすることはできないだろうから仕方ない。しかし死ぬことができればいいな、とは思った。



「死なせてやりたいなんて君は優しいね」


「そんなんじゃないわよ」



 馬を操っている商人に聞こえぬよう、荷台では最も後方に座り外を眺めながらノクスと小声で会話する。聞こえていたらとても不穏で気になってしまうだろう。

 商品が大層売れたとご機嫌で鼻歌を歌っている彼には、自身の歌声と車輪のガラゴロと回る音で聞こえないとは思うが。



「この果実も手に入れたし、もういいの」



 懐から布に包んでいた果実を取り出した。二つの玉が連なった、黄色の果実だ。これを二つとも食べることで私は「不老不死」の祝福を返すことになる。あまりにも感慨深くて、なかなか口にできないでいた。



「……食べないの?」


「……いえ、食べるわ」



 せっかく手に入れたのに紛失しては元も子もない。二つとも口の中に放り込んで、咀嚼した。口の中いっぱいに、優しい甘さがじゅわりと広がっていく。柔らかいのに弾力のある実で、種はとても小さいのかほとんど感じない。それを飲み込んだ。……だからといって体に劇的な変化が訪れる、なんてこともない。



「……何か変わったかどうか、分からないわね」


「見た目には変化ないね。……どうやって確かめる?」


「どこか切ってみればいいわ。……あの人を驚かせても悪いから、馬車を降りてからにしましょうか」



 そういう訳で次の村で降ろしてもらい、商人を見送ってから私たちも一度村を出た。

 この村にも乗り合いの馬車が休憩で寄るはずなので、今度はそれに乗って鉄道が走っている町を目指すつもりだ。しかしそれが到着するまではしばらくかかり、時間的に余裕もあるため人気のない場所へと移動することにしたのである。自分を傷つけようとする行為を見られたらいろいろと面倒だ。


 村の建物が見えなくなり、周囲に人の気配がないことをしっかり確かめてからナイフを取り出す。それを手に突き刺すためにと思いっきり振り下ろそうとしたら、手首をがしりと捕まえられた。



「ララニカ! ……不死じゃなくなってたら大怪我だよ、それ」


「ああ、そうだったわね。癖で……じゃあこれくらいかしら」



 どうもそのあたりの感覚がずれてしまっている。長年不老不死だった弊害だろう。じゃあこれくらいかなとナイフで手のひらを切ってみたら、思ったよりも深くやってしまったようで赤い血がぽたぽたと流れ始めた。

 こういう小さな傷は大きな傷と違って命に危険がないからか、不死の体でも治るのに少し時間が掛かった。とはいえ常人よりは早いので、翌日には跡形もなくなっているはずだ。……私が不死のままならば。



「……手当てしないの?」


「ああ、そうね。そうだったわ」


「俺がやるよ」



 ノクスは私の手を取ると傷口に布を当て、手を握るようにしてしばらく圧迫していた。止血法のひとつだが自分に使ったことがないので不思議な心地で眺めていた。

 十分程そうしていただろうか。ノクスが手を放しても傷口から血が流れることはなくなった。しかしそれなりの出血をしていたようで、ノクスの手にも私の血がついていて赤く汚れている。こうなることが分かっていたのか、彼はあらかじめ普段使っている手袋を外していた。手袋に血が染みたら洗い落とすのが大変だからだろう。



「汚してしまったわね、近くに水場があったかしら」


「ん、大丈夫だよ。ララニカの血は綺麗だし」


「……何馬鹿なこと言ってるの」


「ほんとだよ。悪党の血は汚いけど、君のは綺麗だ」



 暗殺者として仕事をしてきた彼独特の感覚だろうか。血液で感染する病でも持っていない限り、誰の血液でも似たようなものである。まあ私の場合はまだ何の病も持っていないだろうから、綺麗なのかもしれないが。

 そう思っていたらノクスは自分の手に唇を寄せ、夫婦を偽装するための指輪に口づける。そこに付着した血を口に含んだように見えた。



「ちょっと、何してるの」


「……ララニカの血は甘いのかと思って」


「そんなわけないでしょ。馬鹿なの?」


「……あれ?」



 全力で呆れて口をゆすぐように言おうと思ったらノクスの様子がおかしい。訝し気な顔をしながら体を捻ったり、伸ばしたりしていて、どう見てもまだ治っていない腹の傷に障るような動きをしている。



「もう、傷口が開いたらどうするの!」


「いや、それがさ……治った気がする」


「は?」


「ララニカの血を舐めたら治った気がする」



 ノクスが言っていることが理解できずに首をひねりながら眉間にしわを寄せた。彼は自分の手に残った血をしばらく眺めた後に布で拭い(名残惜しそうに見えたのは気のせいだろうか)、上着をめくって包帯の巻かれた腹部を露わにする。

 包帯の上から確かめるように傷のあたりに触れた後、包帯を解いた。先日まではまだ完治していない傷があった場所は、跡一つない白い肌へと変わっている。



「……うそ」


「天族の血には不思議な治癒の力がある、ってこと……?」


「そんなはずはないわ。……だって、私の体をいじった人間が試していないはずがないもの」



 百年ほど貴族に飼われていた間、私の飼い主何度か代替わりをした。ペットとして愛玩した者もいれば、生まれたときから体が弱かったために不死を求めてあらゆる実験を繰り返した者もいる。その人間が私の血を飲んでいないはずはない。結局早死にして別の飼い主になったのだから特殊な効果などあるわけがないのだ。



「でも、昨日ちょっと……動いたからまた痛くなってたんだよね。今は全然痛くないけど」



 どうやら昨夜の騒動はノクスの傷に響いていたらしい。しかしそれが今突然良くなったということは、やはり私の血の効果としか思えない。……分からないことが多すぎる。私の血についての考察は、とりあえずあとに回すとして、それよりも。



「……貴方、私に隠してたわね」


「ごめん。ララニカには自分のことをしっかり考えてほしかったから」



 そう言われると弱い。私は最期の果実を手に入れて、いろいろと考え込んでしまった。これを食べて普通の人間に戻った後のこと。ノクスに伝えるべき言葉。そして彼がどんな答えを返すかを考えて口数が減っていたので、ノクスが遠慮してしまったのだろう。



「……無茶はしないで。心配するでしょ」


「……うん。ありがとう。でも俺よりもララニカの手当てが先だね。続きをやろう」



 血が止まっていたのですっかり忘れていたが、そういえば手当ての途中だった。ノクスが優しい手つきで薬を塗って包帯を巻いてくれる。自分が怪我をしたところで普段は放っておくせいか、なんだか慣れないそれがくすぐったい。



「明日には治ってないといいわね」


「そんなセリフを言うのは君くらいだよ。……でも、そうだね」



 明日、この傷が残っていれば私は不死者ではなくなったという証になる。痛みを感じすぎたせいか、痛覚はあるのにその耐性もできているためあまり気にならない。この痛みが明日も続けばいい、そう願いながら二人で村まで戻った。

 井戸から汲んだ水で手や血で汚した布を綺麗に洗ったところで乗合いの馬車がやってきたため、その出発便に他の客と共に乗って次の村へと向かう。


(……明日が楽しみ、なんて……初めて)


 左手に巻かれた包帯を眺めながら、馬車に揺られる。私もノクスもあまり言葉を交わさず、明日の結果をじりじりと待った。


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