25話 不死の魔女と元婚約者の手記



「おお、それはありがたい。この手記に何が書かれているのか、我々もとても気になっていたのですよ」



 ヴァンは笑顔でそう言って、私たちを家へと招き入れた。大きな家ではあるが、その外見や構造自体は村の中にある家とあまり変わらない。しかし室内は随分と豪華だった。現代の装飾に詳しくない私でも分かるくらい、高価そうなものに溢れている。

 私たちが通された部屋には大きい窓があり、そこからは例の神の木が見えるようになっていた。室内に居ても大事な木を見張れるようにしているのかもしれない。

 この部屋は来客用なのだろうか。向かい合わせのソファの間に、低いテーブルが挟まれている。そこに私とノクス、向かい側にヴァンという形で座った。

 辺鄙な村には珍しく使用人を雇っているようで、若い女性がお茶を運んでくるとすぐに下がった。赤いお茶の入ったカップも緻密な絵の描かれた、高価そうな品だった。



「まさかこの手記の内容が分かるかもしれないなんて、嬉しい限りです。解読できるまでは是非、お二人とも我が家にお泊りください」


「ありがとうございます。妻の我儘なのに、そのようなお気遣いを頂いて……」


「いえいえ。こちらこそ是非お願いしたいお話でしたからな。それにしてもこんなに美しくて聡明な奥様、男として羨ましくもなります。ははは」



 私は丁寧な言葉遣いを知らないため交渉は主にノクスが担当してくれるのだが、ヴァンの視線はほとんどが私に向けられている。値踏みされているようであまり気持ちのいいものではない。

 ノクスの好意を理解するまでには時間がかかったけれどこちらはすぐに分かる。百年以上も浴びてきた、相手を物として消費、利用しようとする人間の目だ。見間違えるはずもない。


(ヴァンの目的は何かしら。手記に関しては、あちらにとってもただの名目だと思うんだけど)


 私はユージンに何があったのか知りたいので見たいが、相手はそこまでこの手記の内容を求めていないのではないだろうか。何故ならヴァンとノクスの会話は手記ではなく、おおよそ私のことについて話している。私は設定を作りこんでいないので相槌を打つだけだが、ノクスは自然な設定を作りこんでいるようで平然と嘘を吐いていた。



「愛しい妻と旅ができて私は本当に幸せ者です。旅をして苦楽を共にすると、絆も愛も深まりますからね」



 この辺りは微妙に嘘とも言えない。私はこの旅でノクスへの好意をはっきり自覚するに至ったし、その気持ちはじわじわと強くなっていると思う。

 まあ、夫婦であるということ自体は虚実であるが。夫婦の証であるという指輪のある場所を、手袋越しに撫でた。



「いやはや、お熱いようで羨ましい。……では、この手記をよろしくお願いします。こちらの紙はメモとしてお使いいただいて構いません。お泊りになるお部屋を用意してまいりますので、それまではこちらでごゆっくり」


「ありがとうございます」



 古びた手記を受け取り、ヴァンが部屋を出て行ったところで隣の顔を見上げた。ノクスの顔からスッと笑顔が消えて、非常に暗く冷たい目になったことに驚く。私の前ではあまり見せない顔。……殺意の籠った漆黒の瞳は、彼が人殺しであることを告げていた。



「ねぇ、大丈夫?」


「……ああ、大丈夫だよ。君にああいう目を向けられると殺意を堪えるのが、ちょっとね」



 ノクスもあの視線には気づいているようだ。一度目を閉じて小さく息を吐いた彼が再び目を開いた時には、いつも通りのノクスだった。



「気を付けて。何か企んでる」


「ええ、貴方もね」



 ミュラー家に気を許してはならない、警戒を怠らずに過ごすことを互いに確認してから手記を開くことにした。ノクスものぞき込んでみたものの「読めない」とあきらめたようだ。この文字は私たちの村で使われていたものなので、一族と彼らから文字を受け継いだもの以外は分からないだろう。



『愛するソラルカと地上に降りた。ララニカには悪いと思っているが、祝福を返していないのだから死ぬことはない。彼女も無事に地上に降りたことだろう』



 一行目から呆れてため息が出た。ユージンは元から楽観的というか短絡的というか、あまり物事を深く考えない性格だった。無事どころか私は全身粉砕されるという死を迎えた上にその現場を見た奴隷商人に捕まった訳だが、この男がそこまで想像できるはずもない。

 ソラルカは私の友人の一人だったが、大人しい子だったという記憶以外ない。なるほど私の知らぬ間に彼女と愛を育んでいたようだ。族長の息子であるユージンは私以外を娶ることを許されなかったので、あのような暴挙に及んだのだろう。



『地上は僕たちの知らないものであふれている。祝福を返し、短い寿命で生きるのはもったいない。しかし死ねないのも困るだろうから、僕たちは一房の果実を分けあい、もう一房は土に植えて育てることにした。腐っても困るし、もし祝福を返せていなかった時のために育てておけばいい。我ながらいい考えだ』



 ユージンとソラルカは一房の果実を分け合うことで祝福を半分返せるのではないかと思っていた。つまり不死ではないが頑丈で、不老ではないが老いが遅くなる体を手に入れたと考えたのである。やはり短慮だ。

 それが間違いだったと気づくのは、ソラルカがその後すぐに流行り病で亡くなったからである。一人残されたユージンは悲しみに暮れ、二人で植えた最後の果実を二人の思い出とし、それに縋るように過ごしていたが数年後にはこの村で新たな恋人ができて、やがてこちらの結婚をして子供を授かった。


(子供ができた、ってことは不老の祝福はこの時点で返している。果実の効果はあったのね。……でもユージンは不死のままだし、ソラルカは死んでいる)


 子供ができ、歳を取ってきたユージンは四十歳を過ぎる頃に自分が不死のままであることに気づいた。庭に植えた最期の果実は、二十年ほどしてようやく芽が出た程度である。

 もしかすると対になっている最期の果実は片方が「不死」を、もう片方が「不老」を返す力があったのではないかとユージンは考えた。ソラルカが長生きしていれば確実だったが、彼女はすぐに死んでしまったので確かめようがない。……だが、私もその考えが妥当なのではないかと思った。


(そしてこの頃に、天族狩りが始まった……)


 皮肉にも私が故郷から落ちたことで、あの台地に不老不死の人間が住んでいるのではないかという話が広まって、人間たちは好奇心に駆られて空を飛ぶ技術の開発に邁進し、飛行船が生まれた。はじめは少ない数の冒険家が訪れるだけだったが、次第にそれは不老不死を求める欲望を持つ人間たちの侵攻へと変わっていく。

 自分が不死であることを知られたら――そう恐れたユージンは、故郷に近づかなかった。最期の果実を取りに行くのではなく、少しずつ成長する木が果実をつけるのを待つことにした。この後に天族が自決し滅び、あとは自力で最期の果実を育てなければ死ねなくなったことの恐怖も書かれている。


(ララニカは故郷に戻って死ねたのか、羨ましいですって? ……私が故郷に帰った時は、もう全部なくなってたわよ)


 結局、彼が自力で動ける間にはこの木は育たなかったのだ。手記は「まだ実らない」という震える文字で終わっている。これ以降は文字を書くこともままならなくなったのだろう。


(……それからずっと、死にながら蘇り続けているんでしょうね)


 老衰で体の機能が停止しては体が修復され、そしてまた死ぬ。その繰り返しなのではないだろうか。それは、地獄であろう。その状態で何百年と生き続けているのは同情する。

 まあ、だからと言って私を突き落としたことは許してもいないのだが。自業自得の罰を受けているようだし、恨むほどのことではない。


(私はここまで不老不死で生きてきたからノクスに出会った、という見方もできるわ。ある意味ユージンのおかげなのだろうし)


 そして外に見えるあの果実は本当に、最期の果実なのだ。小さな木に数房しか実っていないが、あれを食べれば私は不老不死の呪縛から解き放たれるだろう。



「どうだった?」



 手記を読み終えてぱたりと本を閉じた私に、ノクスが問いかけてくる。彼は私が手記を読んでいる間、ただじっと待っていてくれたのだ。



「ええ、ユージンは天族の生き残りね。私の元婚約者よ」


「……それって」



 ノクスには私の過去を聞かせている。元婚約者が私を突き落としたことも知っているので、思い至ったのだろう。途端に寒気がして驚きながらその感覚の元を見る。ノクスの漆黒の瞳が、その色以上に深く暗い色になっているような気がした。



「怒らないで。……大丈夫よ」


「でも」


「おかげで貴方に会えたの。悪いことばかりじゃないわ。私は、貴方に出会ってからの人生に満足しているのよね」



 九百年前にユージンと結婚していたら、私がノクスに会うことは絶対になかった。貴族の奴隷として死にかけていた子供を助けることもできなかっただろう。

 千年近い時を生きてきて、おそらく彼に出会ってからのこの十数年が最も充実している。だから、いいのだ。私を突き落としたユージンを恨んではいない。憐れむだけの余裕もある。

 それを伝えるとノクスは黒い瞳を揺らしながら私を見つめ、少し困ったような顔をした。



「……ずるいよ」


「……何がよ」


「そんなこと言われたら、俺は……」



 唇を噛んでその後の言葉を飲み込んだノクスは、一度目を閉じて私から顔をそらした。恐ろしいほどの殺意は消えたが、代わりに抱きしめたくなるような、もろくて壊れそうにも見える空気を纏っていた。

 そんな彼に何と声をかけたらいいか分からないまま、それでも何かしてあげたくて手を伸ばそうとした瞬間、部屋の扉がノックされる。



「お部屋の用意ができました。手記の解読はどうですかな?」


「ええ、順調ですよ」



 部屋に入ってきたヴァンの問いに答えるノクスは、ノートンの笑顔をしっかりと被っていて、私もそれ以上彼に何か言うことはできなかった。

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