22話 不死の魔女と鉄道
私たちは今、鉄道と呼ばれているものに乗っている。蒸気の力で動いているらしいのだが、仕組みはいまいち分からない。とんでもない速度で走り、見たこともない勢いで流れていく景色を飽きもせずに眺めていた。
その景色とて、私の知っている物と違うのだ。面白いと思ってしまっても仕方がないと思う。
「これ、すごいわね……人間の技術の進歩って本当に、素晴らしいわ」
「さっきからずっとそればっかりだね」
「仕方ないじゃない。……こんなに早く移動できるなんて、想像できないわよ。熊より早いのよ?」
人間の技術が進化し続けるのはきっと、人間の命に限りがあるからだ。天族の村では新しい技術など生まれなかった。生きることを急ぐ必要がないから、焦ることがないからだ。
短い生を工夫して面白く、楽しく過ごすためにあらゆる発想をして、世界を変えていく。それはとても人間らしい生き方で、かけがえのないものだと思う。
「これで俺の拠点のある町まで移動する予定だけど……それまでに傷もだいぶ治りそう」
「……馬車より揺れないものね、これ」
こんなにも早く走っているのに揺れは激しくない。専用の鉄の道を作りその上を走っているかららしい。座席も馬車に比べれば広い、というか多い。私たち以外の客も乗っているが、二人掛けの椅子を一人ずつで使える程度には空いている。その中でも向かい合わせに作られた席を利用し、私とノクスは向かい合わせに座っていた。
「でも貴方は背が高いから寝転がるには狭いわね。足を通路に投げ出すのは、通行の邪魔でしょうし」
「それはマナー違反だね。足は下に降ろしたまま上半身だけ倒せばなんとか寝れるよ」
そう言って半身を横たえて見せたノクスだが、脇腹の傷に触ったのか軽く眉を寄せた。固い座席に横たわるのはあまりよくなさそうだ。頭の位置が低いのが良くないのかもしれない。
「私を枕にしたら楽なんじゃない?」
「……君を枕に?」
「頭の位置が悪いのかと思って。こっちに座って私の脚を枕にしてみたら?」
ぽんぽんと自分の腿を叩く。慌てたようにがばりと起き上がったノクスは脇腹を押さえて小さく呻いた。怪我人なのに一体何をしているのか。
「何してるの。急に動いたら傷に響くのはあたりまえでしょう」
「だって、ララニカが……」
「私は何も変なことはしてないわよ」
漆黒の瞳が何かを訴えかけるようにじっと私を見つめてくる。不満げでありつつも、それだけではないように思える目だった。こういうところは昔と変わらないので、やはり大きくなってもノクスはノクスだと少しおかしくなる。
「でも、それはさすがにさ」
「……やっぱりそれだとちょっと狭いかしら。じゃあ肩を枕にするのはどう? 寄りかかれば少しは楽じゃない?」
座席の背もたれがノクスの背丈に比べると低いため、頭をもたれさせることはできない。窓際の壁に寄りかかるという手もあるが、それなら私に寄りかかった方がまだ柔らかいので痛くないだろう。
「…………じゃあ、そうする」
「ええ、どうぞ」
隣に座りなおしたノクスが私の肩にそっと頭を乗せた。彼の髪が頬に当たってくすぐったい。
「うーん……夫婦っぽく見えそう」
「そうね。仲睦まじく見えるでしょうね」
「……眠れるかなぁ」
すぐ近くから耳に響いてくるノクスの声が心地よかった。眠れるかな、などと言っていたが数分もすると寝息が聞こえてくるようになった。やはり体が休息を求めているのだろう。
さらに十分程すると、鉄道の軽い揺れで肩から頭がずり落ちて、ずるずると崩れていき結局私の太ももの上まで頭が落ちた。それでも目が覚めないため、深く眠ってしまっているらしい。
(……全く、無茶ばかりするから……)
彼はまだ動けるような状態じゃないのだ。明日には彼の拠点があるという町に着き、拠点で数日休む予定ではある。それまでの辛抱とはいえ心配だった。
毛皮のマントを毛布代わりに彼の体にかけてやり、時折その顔色や様子を窺いつつ窓の外を眺めて過ごした。そうして三つ目の駅に止まった時、新たな客が乗ってきて私たちの通路の脇を通り過ぎていく。
「まあ、とても仲のいいご夫婦ねぇ……微笑ましいわ」
「私たちだって同じくらい仲が良いじゃないか?」
「まあ、貴方ったら」
そんな会話が遠くへと消えていく。傍から見ても私とノクスはしっかり夫婦に見えるらしい。設定通りに見られていることは、喜ぶべきだろう。
ただ私たちはそのような関係ではない。夫婦というのは怪しまれないための設定であって、あくまでも私は死を望む不死の魔女であり、彼は私を殺すと約束した優しい暗殺者だ。
(でもノクスは私のことが、好きなのよね。……そして私はそれに応えてもいいと、思ってる)
彼が死にかけた時、私は先の別れに苦しむ自分よりも、今生きている彼の幸福を優先したくなった。その気持ちは今も変わりない。
自分よりも優先したい、大事な相手。それを愛しい人と呼ぶのかもしれない。ノクスにとって私がそうであるように、私にとってはノクスがそうなのだろう。
しかしこの旅の先に、本当に“最期の果実”が見つかったなら、私はちゃんと死ぬことができるようになる。
(私がもし、本当に普通の人間になれるなら……もう少しくらい、生きてもいいわよね。千年近い時間に比べれば、人間の寿命なんてあっという間だもの)
死にたいという気持ちは変わらないが、それは今すぐでなくてもいい。いつか死ねるならそれでいい、という考えに変わってきた。今一番望まないのは、意図せず、覚悟する間もなく、ノクスと別れることである。
(決めたわ。……噂の神の果実が本物であれ、偽物であれ……それが確かめられたら、ノクスにまだ結婚の意思があるかどうか、尋ねてみましょう)
不思議なことに、死の淵から生還したノクスは「結婚」という言葉を使わなくなった。私を殺す意思や好意は口にするけれど、顔を合わせる度に言っていたはずのその単語だけは聞かないのである。
もしかしたらもう結婚を望んでいないのかもしれない。私のことは好きでも、私と共に生きようという考えが変わった可能性はある。私の祝福が解けたら私を殺し、別の生き方をしようと考えている可能性だって、ある。……そうだとしてもかまわない。それは、私が拒絶し続けた結果なのだから。
「ぅ……ん……?」
「あら、起きた? 結構眠ってたわよ」
「!? ……いッ……!」
「だから急に起きたら傷に響くって言ったでしょ。馬鹿ね」
慌てたように起き上がったノクスはまた脇腹を押さえていた。こんなに間抜けな暗殺者がいるのだろうか。呆れた目で見ていると、彼が下にしていた方の頬が赤くなって跡がくっきり残っているのに気づき、つい笑いがこみあげてくる。
「ふふ……跡がついてるわよ? ぐっすり眠っていたものね。ほら、外ももう真っ赤よ」
彼が眠りについた時はまだ昼だったのに、窓の外では夕日が世界を赤く染めていた。今は町から遠く離れているようで、遮蔽物がなく広がる地平が良く見える。茜色の景色が、とても美しかった。
「……どうしたの? 黙り込んで」
「いや、ちょっと……驚いて」
「ああ、外の景色? 綺麗よね」
「…………そうだね。すごく綺麗で、驚いた」
私越しに窓の外を見ているノクスが、眩しそうに目を細めた。私が半分ほど窓を塞いでいるのにそんなに眩しいのだろうか。
彼につられるように、もう一度窓の外を眺める。夕日の色はだんだんとその光を弱め、夜の色へと変わろうとしていた。美しい茜の時間はあっという間に終わる。
(ああ、でも……ノクスの色になるわね)
そのうち彼の髪色に似た、紺色の夜空になれば星や月が瞬いて、また別の美しさを見せてくれるだろう。私は沈んでいく夕日が見えなくなるまで窓の外を眺め、ノクスもまた同じようにこちらを見ているようだった。
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