21話 暗殺者と夫婦ごっこ



 ララニカと旅をすることになったノクスだが、彼女の様子が以前と変わっているせいかどうにも調子が狂っている。

 成人年齢に達しているというのにあまりにも子供扱いをされるものだから、ノクスは一度我慢ならずにララニカに迫ったことがあった。それ以降、彼女は大人の男としてノクスを認めてくれたはずで、それからはある程度の距離を取るようになっていたのである。それは少し残念な気持ちもあったが、それよりも異性と思われるようになったことの方が嬉しかったので構わなかった。


(それなのに最近のララニカは距離が近い。……俺、何か試されてるのかな)


 子供の頃は、というか大人になってからでも何かを「しなさい」と言われることが多かった。それは師が弟子に向ける言葉なのだろうが、最近はそれを使うことが少なくなった。代わりに心配だからと理由をつけて何かを「して」と願われることが多くなったのだ。

 他にもノクスを頼り、甘えるような行動をとることがある。道案内をするノクスがララニカを見失いそうだと言ったら、以前なら「気配を悟る練習だと思って頑張りなさい」くらい言われそうだったが、なんとノクスのマントの端を掴んで「これでどう?」と上目遣いに見られた。……暗殺者として鍛えられたはずの心をガンガンと殴りつけられている気分だった。


(ほんと最近のララニカはなんなんだろう。綺麗だとは思ってたけど、可愛いと思うことはそんなになかったのに……一ヶ月もこれで大丈夫かな)


 ノクスの怪我の状態を見て休みを挟みつつ旅をする予定のため、目的地に着くまでは一ヶ月程かかると見積もっている。その間、二人で夫婦を演じることになった。自分で提案しておいてなんだが、それが通ったことにも驚いた。

 ララニカの反応が自分の予想を裏切るようになって、彼女の中で大きな変化があったのは確実だと思う。ただ、そうなってくると十年以上も育ち続けたノクスの恋心が暴走しかねない。


(周囲がララニカに注目してるのも気に食わないし……服、変えた方がいいな)


 金色の髪が珍しいということもあるが、何よりララニカの美しい顔や傷どころか日焼けすらしてない肌が目立つのだろう。不老不死という彼女の特性故だが、そんな磨き上げられたような肌を持つのは本来大事に育てられた貴族の娘くらいのものである。

 幼子がその美しさに憧れの視線を向けるだけならともかく、男たちがちらちらと彼女に視線を向けるのが本当に気に食わない。



「ララニカ。鉄道に乗る前にちょっと買い物に行こう。鉄道の出発までかなり時間あるし」


「必要な物があるなら私が買ってくるから貴方は部屋で休んでいたらどう?」


「いや……ララニカじゃ買い物をするのも苦労すると思うよ。お金の感覚も昔と違うだろうし」


「……それもそうね。じゃあ荷物を持つから、貴方は無理をしないで」



 少し困ったような顔で、ララニカの黄金色がノクスを見つめている。ララニカがノクスにだけ向ける目だ。他人を見る時はまた、あの透明な目をしているから違いが明確である。……これに優越感を覚えるのは仕方がないことではないだろうか。十年以上、ノクスはララニカの特別になりたいと願って生きていたのだから。



「ちょっとした消耗品の補充と……一番大事なのはララニカの服だね」


「これがあれば充分だけど?」


「いや、ララニカは目立つからもうちょっと考えた服装にしよう。金髪って珍しいんだよ」



 おそらく金色の髪は地上に降りて人間となった天族の子孫に引き継がれる髪色なのだ。美しいその髪色には誰しも目を惹かれる。どこからともなく現れた金髪金目の夫婦が住み始めたという始まりの昔話が各地に残っており、たちまち病を癒しただの、神聖な力があっただの、それらしい逸話がいくつもあった。そしてその逸話のある地方には金髪の子供が生まれることから、間違いないと思う。



「そう、髪を隠した方がいいのね。……短くできればよかったんだけど」



 ララニカの話では髪を切ったとしても翌日には戻っているらしい。短くなった髪が同じ長さまで伸びるのか、切った髪が戻ってくるのかは確かめていないが、その一度で髪を切るのは諦めたそうだ。



「俺はララニカの髪好きだから長いままでいいよ」



 水面に揺蕩う美しい金色を、今でもよく思い出す。ついでに肢体まで思い出しそうになったのはどうにか抑え込んだ。あの頃にはそんな欲などなかったはずなのに、大人になってからなかった感情が付随してくるのは困りものである。



「……そう。貴方が好きならいいわ」



 そう言って長い金の髪を掬いとり、指先で弄りながら軽く俯く頬がほんのりと赤い気がするのは気のせいだろうか。

 昔はこんな顔を見せることはなかった。ノクスの心臓がどくりと音を立てる。最近のララニカは随分と知らない顔を見せてはノクスの心や欲を掻き立てる。……今なら、結婚してと願えば応えてくれるのではないかと錯覚すらした。むしろだからこそ、それが口にできない。否定されたら、今感じているこの喜びはすべてまがい物なのだと知ることになるから。



「……じゃあ、買い物に行こう」


「ええ」



 自分の心をなだめる訓練はしている。ララニカから視線を外せばそれができるので、彼女を案内するという名目で視界から外した。まあ、それでもマントを引く後ろの存在が気になって、いつものように数秒で落ち着くなんてことはできなかったのだが。

 外に出て、宿に最も近い旅人向けの店に向かった。店に入ったらまずは衣類品を扱っている棚を見る。そしてララニカの髪や顔をできるだけ隠せるよう、大きな帽子を選んだ。髪を中にしまえる構造で、広く長めのバイザーがあるものだ。もういっそ顔は丸ごと隠してほしいのだが、強盗でもないのにそんな恰好をしていたら逆に目立ってしまう。

 服も袖が長く、首もしっかり隠せるもの。あとはしっかりした手袋も買ってできるだけ肌の露出を抑える。



「ねぇ。……私、お金持ってないんだけど」


「大丈夫。俺のお金は君に使うためにあるようなものだし」


「……なにそれ」



 裏の仕事なのでノクスの稼ぎは大変良い。しかし金の使い道がララニカ以外にないため、かなり貯まってしまっている。それをようやく使えるのだから、大きな町に着いたら高級なホテルに泊まらせたり、高級な料理店に連れていったり、贅沢をさせたい。


(……本当は今日だってもっと洒落た服屋に連れて行って、いろんな服を着てほしかった)


 彼女が今着ている服や靴は森に入る時に使ってほしいとノクスが贈ったものであり、旅人の服装としても無難なものだ。それを買い替える必要はないが、しかし街中を歩く時ように愛らしい普段着の一つでも買うべきでは? という考えが湧いてくる。


(これじゃ理由が弱いな。旅人が街を歩くのは不思議なことじゃないし)


 そうして諦めて必要な物だけを買った。折角夫婦という演技をしているのだから、妻に贅沢をさせたい夫の役でもやりたいと思ったが、それは旅には必要のないことだ。


(本物の夫婦だったら何を買ったってよかったんだろうな。……あ、そうだ)


 夫婦の証として必要な物があるのを思い出した。この店で旅に必要な物を一通り揃えて購入し、ララニカを連れて次の店に向かった。



「……この店に必要な物なんてある?」


「夫婦に必要なものがあるんだよ」



 訝し気なララニカを連れて装飾品店へ入った。店員はこちらを見た後、あまり金を持っていなさそうな旅人だと判断したのかすぐに視線を外す。

 高級品を買うつもりはないため、一番安い商品の並ぶ棚に近づいた。ショーケースにも入っていないような、シンプルで宝石の一つもついていない金属製の装飾品を見る。ララニカは商品とノクスを何度か見比べていたが、ノクスのしたいことが分からないため考えるのをあきらめたのか、ため息を一つついただけで何も言わなかった。



「これをください」


「はい。50シルバーです」



 商品の中から、金のない旅人が少し背伸びをして買うようなペアリングを選んだ。店員も金にならない客には素っ気ないもので、すぐに会計を済ませて小さな紙袋に二つの指輪を入れて手渡してくる。

 それを受け取って店を出たところで、後ろからくいっとマントを引かれた。……そういう可愛いことをしないでほしい。



「ねぇ、何でそんなものを買ったの?」


「うん。……一回宿に戻ってから話すよ」


「そう、分かったわ」



 指輪以外の買った物はララニカが持っているため、荷物を持たせている罪悪感もあり一度宿に戻った。買った物を含めて荷物を整理しなおし、大きなリュックにしっかり詰めてから装飾品店の袋を開ける。

 逆さに振って手のひらに転がってきた大小の指輪のうち、小さい方をララニカに差し出した。



「夫婦は同じもので作った装飾品をつけるんだ。指輪が一番一般的だから。旅の間の演技だけど、こういう小道具があった方が信用しやすくなるし」


「……私たち、手袋をつけるから指輪は見えないんじゃない?」


「食事の時に外したりするでしょ。むしろ普段見えない所にある方が説得力あるよ」



 そう言いながらもノクスの心臓は少し早く鼓動している。演技だと分かっていても、結婚指輪なのだ。どうせ偽物の夫婦だからとそれらしい安物を買ったし、ただの小道具でしかない。それでも何故か緊張していた。



「そう。じゃあつけるわ」


「……ねぇ、俺がつけてもいい?」


「……別に構わないけど……」



 不思議そうに右手を差し出したララニカに「利き手じゃない方だよ」と言って左手を出してもらう。こういう安物はオーダーメイドと違い本人の指に合わせて作られておらず、平均的な指のサイズに合わせて作られているため合わない可能性がある。小指から順番に試してみて、ララニカの指では中指に合うようだった。


(……本当は結婚式で、結婚相手に装飾品をつけてあげるんだよ)


 ララニカは不思議そうに中指にはまった指輪を眺めている。彼女の一族の結婚の文化は特殊なので装飾品は使わないし、彼女が森へと引きこもる前と今の儀式の内容が同じとも限らないので、知らない可能性は高い。彼女の表情を見るにその可能性が確実に思えたが、本当のことは言えなかった。



「じゃあ貴方のをつけるから、渡して」


「……え」


「? そういう風につけるものじゃないの?」


「……うん。じゃあお願い」



 鈍く輝く指輪がノクスの人差し指にはまった。本当なら同じ指にはめるものだが、金のない旅人の夫婦では既製品を買うのでこういうことになるのはよくある。


(……これは演技。かりそめの夫婦なんだからこれでいい)


 そう思いながらもその安物の指輪が、別々の指にはまっているのが寂しくなる。とても綺麗な指輪を作って、互いに同じ指につけられたらどれだけ幸せだろう。けれどそれは本物の夫婦にしか許されないことだ。


(旅の間は夫婦のフリをするだけ。でも……)


 この旅が終わらなければいいのに。そうすればずっと夫婦でいられるのに。

 ノクスはララニカがつけてくれた指輪をかざして、その鈍い光に目を細めた。

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