20話 不死の魔女と暗殺者の旅立ち


 ノクスは宣言通り、目覚めた翌日には普通に歩き回って、普通の食事を摂っていた。絶対にやせ我慢だと思い、薬を塗るという名目で包帯を解かせるとまだ治りかけの生々しい傷が現れる。どう考えても動き回れる状態ではないが、昨日よりは確かに回復はしていた。やはり回復力は常人をはるかに上回っている。



「でも動けないでしょ、これ」


「これくらいなら動けるよ。見た目ほど悪くないから」



 まだ普段よりも白い顔をしているくせにニコニコと笑っているノクスをじとりと睨みつける。いくら彼の回復力がすさまじいとはいっても、動き回ればそれだけ回復は遅れ、悪化する可能性だってあるはずなのだ。



「傷口をぐっと押してあげましょうか?」


「……それはちょっとずるくない?」



 私もさすがに本気で触る気はないが、彼に無茶をさせたくないのは事実である。ノクスは苦笑しながらそんな私を見つめていたかと思えば、ふっと柔らかい顔で笑った。



「心配してくれて嬉しいよ。でも俺もララニカが心配だから、早く出発したい」


「……分かったわよ。じゃあ、そうね。せめて場所を移してもう少し休んで」


「うーん。……じゃあひとまず俺の拠点を目指そうかな。ここから二日くらいの距離だけど」



 また暗殺者が襲ってきたらノクスが無茶をしかねないため、渋々だが今日中に森を発つことにした。百年ぶりの外に対しての不安よりもノクスへの心配の方が大きく、ずっと隣を歩く彼の様子を窺いながら歩く。

 木々の数が減り、やがて開けた場所に出た。枝葉に遮られない日の光は目を焼くと錯覚させるほどに眩しく、思わず手でその光を遮る。



「……随分変わったわね」


「百年前の姿がどうかは分からないけど、最近開発が進んでるからね」


「……なんか、すごく道が……整ってるわね。歩きやすそう」


「車が走れるように舗装してるんだよ」



 ノクスの話が全く理解できないが、外の世界は本当にとても変わっていた。目に入る建物ですら随分様子が違う。この先はノクスが案内するというので、彼の後ろに静かについていった。

 そうすると数分おきに彼が振り返っては前を向く、というようなことを繰り返すので、一体何なのかと気になって仕方がない。



「ねぇ、さっきからどうしたの?」


「ん……いや、ララニカって気配を消すのが上手いよね。ほんとに後ろにいるか分からなくなって」



 森で暮らしていたので気配を殺すのが癖になっているとはいえ、私の弟子で暗殺者にもなり、気配に聡いはずの彼が私の存在を感じ取れないのは本調子でないのもあるかもしれない。

 しばしどうするべきか考え、そして妙案を思いつきノクスが羽織っているマントの端を掴んだ。



「これなら分かるでしょう?」


「…………うん」



 一瞬、驚愕の表情で私を見ていたノクスは短く答えると前を向いて歩きだした。何やら非常に長い溜息を吐いているのが聞こえてきて、何事かと彼の後頭部に視線をやると耳が赤い。

 


「ララニカはさぁ……魔女っていうか、魔性の女だよね」


「何よ、それ」


「んー……これ以上俺を惚れさせてどうするのかなぁって」



 意味が分からない。私は別に何かおかしなことをした訳でもないはずだ。ノクスが過敏に反応しすぎているだけだと思う。



「じゃあ放しましょうか?」


「いや、そのままで。そうしててもらえると居るのが分かるし」


「……じゃあ文句を言わないでよ」


「誉め言葉だよ。俺はやっぱりララニカが好きだって話」


 

 急にそんなことを言い出すから、彼のマントを掴む指に力がこもった。それで呼ばれたと思ったのかノクスが振り返り、私を見て驚いた顔をする。



「……何よ」


「……いや。……やっぱり、ララニカ少し変わった?」


「……貴方が心配かけるからでしょ」


「それは……ごめん。もう同じことが起きないように気を付けるよ」



 指先で頬を軽く掻いて、ノクスは再び前を向いて歩きだした。そうして彼に連れてこられた場所には乗合馬車というものがあり、それに乗ってしばらく移動するという。行先で今度は鉄道に乗る、と言われて知らない単語に頭がついていけなかったが、とりあえず頷いた。

 乗合の馬車には私たち以外にも客がいて、家族連れや旅人風の人間など実に様々な人間が利用していた。しかしちらちらと視線を感じるのは何故だろう。



「おねえちゃん、おひめさま?」


「……え?」


「すごくきれいだねぇ」



 私の隣に向かいに座っている少女が話しかけてきた。目を輝かせて私を見つめている。人間からそのような目を向けられたのが久しぶり過ぎて、どんな反応をしたらいいか分からずに困った顔をしてしまった。周囲からとても注目されているのが分かり、それもなんだか落ち着かない。



「分かる、すごく綺麗だよねー」


「うん。だからおひめさまなのかなって」


「実はそうなんだ。お姫様の秘密の旅だから、君もどうか秘密にしてくれる?」


「うん! わかった!」



 周囲からくすくすとこぼれる笑い声。こんな大きな声で話していて秘密も何もないと思うが、少女は私を見て自分の口に人差し指を立て「ないしょにするね!」と自信満々に告げてきた。とりあえず曖昧に笑いながら頷いておく。

 誰もが冗談だと思っているし、場の空気が一気に和んだ。そうして私への注目も薄らいだので、これが狙いだったのかと隣のノクスを見上げる。


(……普段からこうして周囲に溶け込んでるのね。誰もノクスを人殺しだなんて思わないでしょう)


 ただその顔に浮かぶ笑顔が普段に比べると嘘くさいため、森の外にまともな交友関係があるのかどうか心配になった。他人と衝突することなくするりと周囲に溶け込めていることには感心したけれど、他者を見る黒い瞳は非常に冷め切っているのが気になる。


 そうして乗り合いの馬車に半日揺られてついた町には妙な鉄製の線が引かれていた。出発地点の村よりもずっと整然としていて、人も多い。ここで宿を取るというノクスに大人しくついていき、手続きなどをすべて任せて黙って待った。



「ではこちらがノートンさまのお部屋の鍵になります」


「ありがとう」



 知らない名前に返事をして鍵を受け取ったノクスと共に貸し与えられた部屋に入る。ベッドが二つあり、他にはテーブルと椅子があるだけの簡素な部屋だが綺麗に掃除されているようだ。

 その部屋をノクスはぐるぐると歩き回りあちこち確認している。最後に窓から外を確認した彼は、その窓側のベッドを指して「ララニカはこっちね」と言った。



「私はどっちでもいいけど……それより貴方は早く休むべきじゃない? 馬車は思ったより揺れなかったけど、傷に響いたでしょ?」


「あれくらい大丈夫だけどなぁ……」



 マントを脱いだノクスは入り口側のベッドに腰を下ろした。私も自分のベッドに荷物を置き、中から薬などの道具を取り出しておく。

 部屋の中に洗面台があったので、そこで手を洗った。蛇口をひねるだけで水が出るのは非常に便利だと思う。昔は手押しポンプ式だったのだけれど。



「包帯を巻きなおすわよ。上着を脱いで」


「……うん」



 薬を塗って包帯を取り換えた。傷口は悪化していないようだが、体は少し熱を持っているようで熱い。これから熱が出るなら解熱剤も必要だろうか。

 ノクスの体は細くしなやかで、よく鍛えられている。しかし寝込んだことで筋肉が落ちただろうし、さらに痩せたように見えるので少し心配だった。



「ここで数日休みましょう?」


「いや、明日からは鉄道に乗る。そっちは馬車より揺れないし、座席も広くて寝れるから大丈夫だよ。移動しながら休めるし、その翌日には拠点に着く」


「……分かったわ。でも貴方が無茶をしていると判断したら、昏倒させてでも休ませるわよ」


「…………それ本気のやつだね?」


「当たり前よ。私にこれ以上心配させないで」



 道具類の片づけはあとでいいかとノクスの隣に座ると、ベッドがその重みでぎしりと軋んだ。ノクスが戸惑ったように私を見下ろしてくる。……座っていても私が見上げるほど彼の背は高い。見下ろせていたころが懐かしいくらいだ。



「ノートンっていう名前にしたの?」


「……え、何が?」


「貴方の名前。私はノクスと呼んでるけれど、新しい名前をつけてもいいって言ったでしょ?」


「ああ、いや……偽名だよ。俺の名前はノクス以外にない。でも……外では偽名を使おう。ララニカもそうしたほうがいいよ」



 正体がばれたらやりにくくなるという理由でノクスはいつも様々な偽名を使うらしい。この旅の間は「ノートン」と名乗るつもりだと言われた。私も外では「ララ」という偽名を使い、互いにその名で呼ぶことになった。



「ある程度設定を作った方がいいね。一緒に旅をしている理由とか……まあ、夫婦で旅してるっていうのが一番妥当かなぁ」


「そう。じゃあそれでいいわ」


「……いいの?」


「設定なんでしょう? 構わないわ。私も旅をしているときはいろいろ詐称したもの」



 主に詐称したのは年齢と家族設定だったけれど。人に知られたくないことを隠すために嘘を吐くのはよくあることだ。若い男女の旅なら恋人や夫婦であるのが自然だろうと思う。容姿が似ていれば家族でもいいが、私とノクスに似ている部分はない。



「……そっか。じゃあ人前では夫婦のフリ、するね」


「ええ」


「……でも今は違うから、ララニカは自分のベッドに戻ってほしいかな」



 見上げた先の漆黒に、私が映っている。この状況でそういう気が起こりそうだと思っているらしいことを理解して、下手に動けば傷口が開くだろうにと思いつつ立ち上がり、薬類を片付けて自分のベッドへと向かった。

 そうすると背後でどこか安心したような、少し残念そうなため息が聞こえてくる。


(……別に構わない、と思ったのは……変、かしら)


 怪我をしていなければ、ノクスであれば別に構わないのにと一瞬思ってしまった。そんな自分や首筋を上がってくる熱に疑問を覚えながら窓を開け、風に当たった。

 これから私たちは他人の前では夫婦として振る舞う。しかしそれは演技でしかない。そして演技が始まる前から、その役に感情が引っ張られることなんてあるのだろうか。


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